- Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
- / ISBN・EAN: 9784622083634
作品紹介・あらすじ
「社会の諸制度が個人のなかに、その社会にふさわしい性格をうえつけてゆく」。個人と社会、時代との関わりを論じた不朽の名著、改訂訳版で登場。初版(1950年)から20年後に書かれた新たな「まえがき」を付す。
感想・レビュー・書評
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これまた、とても有名な本で、既に読んだつもりになっていたが実は読んでなかったものである。
くどい前書きでちょっと疲れたが、本文に入るとどんどん面白くなっていく。アメリカ人の文化状況を分析した書物だが、初版1950年なのでもちろん古い。古いけれども、それ以後の状況をどう分析するか、その手がかりとしてこの本は有効に利用できそうだ。書籍の分野としては社会学なのだろうが、中身は社会心理社会学という感じである。
リースマンは人々の社会的「同調性の様式」を「伝統指向型」「内部指向型」「他人指向型」の3つに区分する。もちろん、どれもシームレスに並列する「型」であって、人間をこの3つに分類したいということではない。
「所属する文化の影響をまとまったひとつの単位として感じ、無難な行動をとり、『恥』をかくことを恐れる」という「伝統指向型」は、たぶん欧米から見てアジア的なものであり、日本人はいまでもこの傾向が強い。
「内部指向型」は、どうやらベートーヴェンとかショパンとか、そういう近代的人間像のタイプらしい。彼の自己をみちびく戒律は、両親の手でまずは植え付けられるというから、フロイトの言うエディプス状況、超自我のことだろう。ともかく「権威」が彼のなかに内在し、生をコントロールしようとする。
「他人指向型」の人間は「ひろい世界からの信号に反応し」、「集団的な環境のなかに生きている」。彼のエネルギーは「無限にひろがりつつある消費のフロンティアに流れ込んでゆく」。内部指向型が「生産」を目指すのに対して、他人指向型は汎-消費の世界に生きている。
人間関係を非常に重んじる他人指向型については、恐らく、50年当時のビジネス界の様子から析出されたものだろう。
さらに消費社会化、汎-情報化、汎-記号化が進んだ現在の状況は、リースマンの言う「他人指向型」よりもさらに次の段階の、たとえば「記号消費型」とでも呼ぶべきものだろう。すでに指向するべき「他人」の姿は見えなくなり、人々は各自個室で情報の流れに身を任せているからだ。
この本の古さは否定できないが、そういった発展的な知を刺激してくれる。
私自身は「芸術家もどき」として内部指向型の側面ももつが、人間関係を絶えず気にする他人指向型の感覚をも持っている。そして日本人の「習性」としては「伝統指向型」の名残も存在する。
このように現実は混沌としたものだが、リースマンはそれをある種のカテゴリーを利用することで、分析可能なものとして呈示してみせるのだ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
デュルケームの『自殺論』はあんがい論拠がしっかりしてるように見えて感銘を受けたがこっちはあんがい粗くてびっくりした,本人も言ってる通りスケッチみたい
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