いかにして民主主義は失われていくのか――新自由主義の見えざる攻撃

  • みすず書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (344ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622085690

作品紹介・あらすじ

いまや新自由主義は、民主主義を内側から破壊している。経済の見かけをもちながら統治理性として私たちを駆動する過程を解き明かす。

いまや新自由主義は、民主主義を内側から破壊している。新自由主義は政治と市場の区別を取り払っただけでなく、あらゆる人間活動を経済の言葉に置き換えた。主体は人的資本に、交換は競争に、公共は格付けに。だが、そこで目指されているのは経済合理性ではない。新自由主義は、経済の見かけをもちながら、統治理性として機能しているのだ。
その矛盾がもっとも顕著に現れるのが大学教育である。学生を人的資本とし、知識を市場価値で評価し、格付けに駆り立てられるとき、大学は階級流動の場であることをやめるだろう。
民主主義は黙っていても維持できるものではない。民主主義を支える理念、民主主義を保障する制度、民主主義を育む文化はいかにして失われていくのか。新自由主義が民主主義の言葉をつくりかえることによって、民主主義そのものを解体していく過程を明らかにする。

感想・レビュー・書評

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  • 著者ウエンディ・ブラウンによる新自由主義分析の書である。他の新自由主義批判と大きく異なる点は、新自由主義をフーコに習いながら、単なる経済的諸運動ではなく政治の経済的言説化を通して、政治体制、社会制度、教育、そして人間そのものさえ作りなおす理性の命令ととらえる。
    私たちは新自由主義を20世紀のケインズ主義から19世紀的経済自由主義への先祖返りとおらえる傾向があるが、ブラウンそれは全くの間違いであると指摘する。新自由主義は政治ホモ・ポリティクスをホモ・エコノミクスで書き換え、民主主義そのものの存在を否定してゆくという。
    彼女は民主主義を「民衆支配」「人民による支配」より大きな意味を持たせない。民主主義は近代では自由民主主義として資本の本質を覆い隠す言葉として使われてきたし、オキュパイ運動の参加者は「これが民主主義だ!」と叫んだ。民主主義はこのように多義的だが、民主主義なくして自らの未来を創る権利を与えるような言語や枠組みを失うという。
    ガバナンス、人的資本、ベストプラクティス確かに価値中立的言葉で西洋が作り出してきた民主主義を意味のない言葉にしてゆく。
    本書を読むに際して、アメリカの現実と差異があるためか、具体的問題(取り上げられているのは、イラクへのベストプラクティスで支配の実態、大学の教養課程の衰退など)と哲学的論証がどうも釣り合わない感じを受ける。それがこの本を理解しがたくしているように感じる。

  • いわゆる新自由主義を非難する本ではあるのだが、単に上っ面だけの批判に終わっていないところが秀逸である。近代に「市場」が発見されて、それを最大限に活用して社会は発展してきたといえるが、その功罪を問うているところが類書と一線を画す。
    翻訳も流麗な日本語でよいのではあるが、ところどころに日本語の語学力に疑問を感じる部分があるのが残念。

  • 簡単にいうと本のタイトルに要約される。新自由主義が見えないうちに私たちの生活に入り込んで、民主主義を破壊しているかという本。

    それだけだと他にも同様の主張をする本は多そうだけど、この本は、アメリカの現状を具体的に説明するだけではなく、哲学思想のレベルでどうしてそうなっているのかということをフーコーの「生政治の誕生」を基軸におきながら、解読していくところが面白いところ。

    といっても、フーコーの議論は、70年代後半で、サッチャーやレーガンが政権をとる直前の話し。そこからすでに40年くらい経っているわけで、その後の変化を踏まえつつ、フーコーの議論の不十分な部分を補いつつ、現実を踏まえながら、理論的にも乗り越えていくところに著者の哲学者としての力量を感じる。

    哲学的な本なので、読みやすいわけではなく、一応、「生政治の誕生」をはじめフーコーの講義録を何冊か読んだわたしもときどき迷路にはいっていく。

    が、結論部分は、ほんとそうだよなと納得するものであった。

    新自由主義は、もともとファシズム、全体主義に対抗するため、全体に対抗する個人を守るための思想であったのだが、経済だけでなく、政治、家庭、個人の人生が資本主義に飲み込まれて、結果的に個人が「人的資本」としてしか存在しないものになってしまう。そして、そこに皮肉なことに、違う形での全体主義を生み出す土壌ができてしまう。ということなんですね。

  • 前半部分は『生政治の誕生』講義の簡単なまとめとなっていて読みやすい
    後半は、『生政治の誕生』講義を民主主義論に接続させた感じ

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/713142

  • 2017/09/16購入
    2021/09再読

  • 読了。
    ・新自由主義により、経済が重視されるだけではなく、政治の経済化、民主主義が解体されてしまうことに警鐘を鳴らしている。経済を基準としてあらゆることを決定することで個人の意思の尊重は失われ民主主義が破壊されていく点を指摘。
    ・イラクの農業がイラク戦争後の統治政策で新自由主義が徹底的に導入され従来の農業が失われ国際市場競争に依存してしまった事、アメリカの企業献金の制約を撤廃する最高裁判決により政治への資本化が進み個人の権利の反映たる政治の場が資本に支配されてしまった事、等の事例は面白かった。
    ・一方で新自由主義批判としてはあまり目新しいものは見つけられなかった。政治の経済化等の表現で新しい観点を提示しようとしているが、従来の批判との大きな差異は見当たらず。

    ・また、これも新自由主義批判でよくあるが破壊されつつある価値観が何故守るべきなのかについての説明が弱い。教育や民主主義についての重要性が曖昧で議論の大前提が説得力に欠ける。本来そういった価値観だとは思うので誰もが苦しんでいるわけだが。。
    ・経済が必要条件であり共通化しやすいことから目的化しがちだが、他の価値観を社会で共有して育てていくことが重要、というありきたりな結論になった。
    ・一方でこうした感想は逆に自分が現代的な価値観に染まっているからで、改めて読み返してそこからの脱却の糸口になるのではと期待。人的資本の際限ない最大化、などは成長と評価を当然のものとしている考えをまさに表していて刺さった。別で買っている本がこの本を下敷きにしているので、それを読んで解釈を見直したい。

  • 新自由主義という統治合理性が、人々を人的資源化するプロセスが存分に描かれている。指摘はないが、承認欲求とか、ナルシシズムとかミクロな有様が、人的資源として、マクロに統合される。その延長線上で、政治は経済化し、政治にしかできなかった本来の役目を果たせなくなる。高等教育もそう。もっとも不利な社会的階層こそが、教育を受ける機会を奪われ、メディアにもろに晒されて益々人的資源化し、その資源の乏しさに苦しむというスパイラル。フーコーの言うてた生-権力はまさにこれ。プラグマティックなアメリカは悲惨だが、なんにでもすぐに染まる我が国でも周りを見渡せば具体例がいくらでも見つかる。けったクソ悪いと思っていた横文字ビジネス用語が益々鼻持ちならないものとなった。

  • 新自由主義
    日体系的。
    人も国家も現代の企業をモデルに解釈される。
    公共財の民営化と外注化。
    ホモ・エコノミクス。
    かつて経済以外の領域だったものの、経済化。
    人的資本としての主体。
    信用格付け。
    市場の本質が、交換から競争に取って代わられる。
    全ての最終目標が、「価値を高めること」に収斂されて行く。
    新自由主義は、「人が労働して、食べ、生活する。」以外の生を抹殺する。
    市場経済の諸原理を一般統治術に反映させる。
    自由主義が、「市場のものは市場に。」と国家の不干渉を訴えるのに対し、新自由主義は、全てのものを経済化し、国家が市場を管理する事を要請する。
    新自由主義では、市場の基本原則が、交換から競争へ取って代わられる。
    交換の前提が、等価性で平等なら、競争の前提は、不平等である。
    労働の主体が、人的資本への変容を蒙る。

    新自由主義的合理性による抑圧。
    9.11後の新自由主義的理性と安全保障との交錯。
    資本の世界形成の力。

    ホモ・ポリティクスの存在。

    第3章「フーコー再訪 ホモ・ポリティクスとホモ・エコノミクス」において、ホモ・ポリティクスとホモ・エコノミクスの系譜を辿る。

    アリストテレスにおいては、ホモ・エコノミクスよりも、ホモ・ポリティクスを上位に置き、市場での経済的営為を不自然なものとして戒めた。

    人類の歴史が、「所有者のあいだでの交換関係」に還元されて行くにしたがって、ホモ・ポリティクスは死滅してった。

    その際の人間の原則は、利害関心である。

    ジェンダー的従属化
    新自由主義は、ジェンダー的にも問題だ。
    なぜなら、政府は、福祉などのケアの民営化を進め、そのケアを担うのは、多くは女性だからだ。

    ”人的資本たる主体は、つねに解雇されたり見捨てられたりする危険にさらされている。”(p125)

    新自由主義理性による統治。

    ”現代の新自由主義はガバナンスなしでは考えられない。”
    ガバナンスという概念と浸透は、国家、ビジネス、非営利の区別を溶解させる。
    そして、そのガバナンスが、民主主義を手続き的なものにし、社会から切り離し、再概念化する。

    <レビュー>
    特に、フーコーに関する記述がとても難解である。

  • 国民が自らを統治する民主主義が、いかにして新自由主義に蚕食されているかを描いている。

    リベラルの大統領であったオバマの演説ですら、経済的な利益になるからリベラルの主張は正しいという論調になっているという分析や、高等教育の新自由主義化が、公的な社会と民主主義の危機に至る描写は唸るものがあった。

    訳者の解説によれば、本書の筆者はフーコーの講義や主張を分析によく用いるようだが、呆れるほどフーコーの引用や大学講義の言葉が繰り返され、よほど西洋哲学が好きな人間でなければこの辺りの理解は難しいだろう。

    なお、本書は、左翼のみが今の絶望的な民主主義の状況を何とかできる存在であるという、半ば祈りのような結びで終わる。筆者も訳者も左翼の人間であるからだが、日本のいわゆるデモとアジテーションに明け暮れるような左翼とはまったく異なることは、本書を読み進めるうちに分かるだろう。

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著者プロフィール

ウェンディ・ブラウン(Wendy Brown)
1955年生、アメリカの政治哲学者。カリフォルニア大学バークレー校政治学教授。著書に『寛容の帝国』(法政大学出版局、2010)『いかにして民主主義は失われていくのか』(みすず書房、2017)。

「2022年 『新自由主義の廃墟で』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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