- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784622090373
作品紹介・あらすじ
親の顔も知らずに育った青年。身寄りもなく、万引きを繰り返して刑務所と外の世界を行き来する高齢者。重度の精神障害のため会話もままならず、裁判すらできずに拘置所に収容されつづける男性――。著者は精神科医として、刑務所や少年院などの矯正施設で、ありとあらゆる人生を見てきた。刑務所の高い塀の向こうで、心の病いを抱えた人はどう暮らし、何を思うのか。罰と病いをめぐるエッセイ。
感想・レビュー・書評
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矯正施設の受刑者や非行少年たちの中には、一般社会よりも高い割合で、精神障害の方や、学習面や身体面に困難さを抱えて社会に適応できずに道を踏み外してしまった方がいるとされる。
本書は、そうした矯正施設で精神科医師として20年以上勤務した著者のエッセイである。著者の野村先生は、哲学、臨床心理学を経て、30代後半で医学の道に進んだという。この“回り道”が、野村先生の医師としての懐を深いものにしていることが、本書を読むと伝わってくる。
野村先生は、このトレーニングをすればいい、この治療でどうにかなる、ということを軽々しく言わない。むしろ何度も医療の限界を述べ、それでも試行錯誤して、根気強く、支持的に対応をしようとする。落ち着いた口調で、殊更に煽ることなく、淡々と語られる塀の中の精神医療は、非常に心を揺さぶられる。
先日も刑務所の受刑者には再犯者が多く、高齢化も深刻な状況であると報道されていた。このため国は矯正施設にリハ職である作業療法士を配置したり、触法者の地域定着支援をしたりしているが、なかなか思うようにはいっていない。自助ができず、互助、共助の力も落ちている今、矯正施設が彼らのセーフティネットとなっている。
堀の中の人たちにも人生がある。本人、家族、被害者、それぞれの人生が入り乱れ、交わる。もしかしたら、この人生は自分の人生だったかもしれない。そう思い、読み通した。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
社会から隔離された場所で過ごした後、もう一度社会で暮らさなければならない。元々、居場所が無いような人達が、さらに追い詰められるようなら構造になってしまっているのだろうか。
また、精神病患者が現れたのはここ最近の出来事では無いというのは、興味深かった。確かに、知能などが劣っている人や、落ち着きがない人は昔からいたはずであり、彼らはどのようにして生きたのだろうか。気難しい人というイメージは持たれていただろうが、それでも、現代よりは気にかける人が多分、居たのだろうな。
精神病患者と名付ける事で、より患者は増えただろうが、一方で、彼らを気にかける人は減ったのだろう。このドアの向こうに住んでいる人は、どんな方だろうかと、私自身は考えることすらしない。こういう部分がある事を思うと、繋がりって何だろうと思ってしまう。 -
少年院や刑務所で精神科医として被収容者の治療にあたってきた著者のエッセイ。発達障害、認知症、薬物依存、統合失調症、双極性障害などの精神疾患を抱えた被収容者は少なくない。医療と司法の間で、彼らをどのように治療して行ったらいいのか。現在問題視されている、児童虐待や薬物依存での犯罪、高齢犯罪者の増加などについても書かれている。いろいろなことが問題提起されていて、頭の中が飽和状態なので概略のみ。
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知人から紹介を受けて読んだ。抑揚が効いた文章であり、慎重に記述されたのだと思う。精神科医のエッセイは他にも読んだことがあるが、その方と比べると伸びやかさを感じない。著者は既に亡くなられたと聞いたが、いろいろなことを思い、それをカタルシスなく、逝かれたのではないだろうか。
書評サイトに熱いコメントを拝見した。このエッセイに書かれていないことも含めて、著者の仕事を知る方によるものだと思う。ご冥福をお祈りする。 -
精神障害を抱えた受刑者と向き合ってきた精神科医の記録。更生、保護、治療、刑罰、何が必要とされていて、刑務所で過ごす意義はあるのか。諸外国では全く異なる刑務所の在り方には驚いた。高い塀に囲まれて社会とは隔絶している、ということに安心してその後のこと、その中のことには目を背けて考えていないことを思い知らされた。
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20年以上ものあいだ、刑務所をはじめとする矯正施設で勤務してきた著者によるエッセイ。
「塀の中」という普段は見えない世界の話ではあるものの、最後まで興味深く読んだ。虐待や精神疾患、発達障害に認知症など非行や犯罪の背後にあるものも様々で、登場するのも自身の心がけや気の持ちようだけではどうにもできない問題を抱えた人物ばかり。著者が言うように、自分だって十分彼らと同じ立場になりうるということがわかる。自己責任という言葉だけでは何も解決しない。読後感こそすっきりしないが、それとともに著者自身の迷いや複雑な心境も嫌というほど伝わり、その誠実な姿勢には好感が持てた。 -
刑務所で臨床医として勤めた経験のある筆者が体感し、考えた罪と罰、そして精神医療の在り方について書かれた一冊。
この本には、正解も不正解もなく答えはなにもない。
結論もないし、筆者の一貫した意志や考えがあるわけでもない。
だけど、平坦や冷淡ではなく
自己の主観に縛られることなくフラットな視点で事実が綴られている感覚がある。
少年犯罪からの更生の余地
少年犯罪を取り巻く環境
高齢者、特に認知症を患う高齢受刑者の取り扱い
フィンランドの刑務所
「刑務所」というものへの根本的な価値観
決してどれも答えがない。
けれど、この答えのない問を考えることに価値がある。
そう感じさせてくれる一冊。 -
2021年12月
現場の難しさについて冷静に淡々と書いている印象。知識のある人ほど自分が一部しか知らないことを前置きしながら語るみたいな感じ。よかった。
帯からは何かを糾弾するような内容の本であるかのような印象を受けたが、内容を読んでみると淡々とした語りぶりで、何かを責めるような部分は一切ない。それは現状が最良だと言っているわけではなくて、問題がそう単純でないということだ。
飯のために働く医者はいい医者だというような文章があったが、自分がすべてをわかっているとは思わない謙虚さが飯のために働くということになるのかもと思った。 -
一人の人間が社会的人間であるためには様々な要件が必要となる。そこから押し出されると、司法、行政、医学、福祉などさらに多くの人々の関わりと、制度の関与が必要となる。
世間の認識や社会的な要請によって「社会的である」という要件も変わってくるだろう。
犯罪は世相を表し、社会問題を反映している。刑務所は社会のあり方の一つの様相だ。
精神鑑定、高齢化社会、個人の性質など多くの視点から社会から押し出されてしまった人たちを知ることができた。
私たちの形成する一般的な社会というのは、一体何を排除して、何を望んできたのだろうかと考えさせられた。 -
医療刑務所や拘置所などに勤務経験がある精神科医の本。知った話が多いかな…?と想像していたけど思った以上に面白かった。
・ずっと拘置所の保護室に隔離されている人。訴訟能力にさえ疑問を持たれるような状況のようだが、ずっと拘置所にいる。拘置所では強制治療を行う権限がないため、なすがままだという。裁判所の進行管理はちゃんとやらなればならない。
・精神鑑定の面接の数日前だけ錯乱する女性被告人。刑務官は、「鑑定に来ると大なり小なり演技していますよ」「鑑定なんてちょろいもんですよ」という。
他方、刑務所にいると「なぜこの人が精神鑑定を受ける機会がなかったのだろう」と心底疑問に思うことが少なくないという。なるべくその機会に気づいていかねばならないと思うけど、鑑定を行うとなると終局まで大幅に長期化することになりかねず、「もし結局結果が同じだったら?」と思うと本当に被告人のためになるのか、という疑問も生じるところである。当然少し会っただけの素人判断では分からず、鑑定をやってみないと分からないところもあって、難しい。
・軽犯罪の認知症の受刑者。食事直後に「飯を出せ」と騒いで大変。一般の病院なら散歩をしたりして気分を変えるところだけど、刑務所では人手を調整しなければならず簡単にはできない。向精神薬での鎮静や、一時的隔離をせざるをえない苦しい状況。現場の刑務官からすると刑の執行停止を検察官に申し出るのはとてもハードルが高いというのも想像できる。
・フィンランドの刑務所訪問記も面白かった。仕事をせずにおしゃべりしてる受刑者たちの様子を気にせず紹介する様子、刑務官が受刑者の自殺をためらいなく訪問者に回答する様子。職員が自由でなければ、受刑者に開放的な処遇ができるわけがない。刑務所内のチャペル、母子で生活できる居室など。日本の刑務所の厳しい処遇には、戦後のある時期に刑務所内へ暴力団抗争が持ち込まれて大変苦労したことが影響しているのではないかとのこと。
・非行や犯罪は社会的価値観を含んだ概念であるから、犯罪をしたことで「治療」を行う、というのは危うい。反社会的思想の持ち主が精神科の矯正治療を受けたのと同様の事態になりかねない。医者は病気を治すのが仕事だから、価値観からできるだけ自由でありたいと著者の医師は考えていたそうだ。
刑務所での精神科医からみた「裏側」、精神鑑定の「裏側」など、精神科医ならでは、著者ならではの視点でとても面白く勉強になった。