田沼意次:御不審を蒙ること、身に覚えなし (ミネルヴァ日本評伝選)

著者 :
  • ミネルヴァ書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (312ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784623049417

作品紹介・あらすじ

田沼意次、江戸中期の幕臣。将軍小姓から幕府老中へ、六〇〇石の旗本から五万七〇〇〇石の大名へ異例の出世を遂げ、十八世紀後半に大胆な経済政策を展開した田沼意次。賄賂汚職の悪徳政治家か、清廉潔白な開明的政治家か。毀誉褒貶の激しい意次の実像は、いかなるものか。

感想・レビュー・書評

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  • 日本近世史の泰斗による田沼意次の評伝。田沼意次を通して、18世紀中盤から19世紀末までの幕府財政と経済政策について詳細に述べられている。意次が権力を握ったときの一番の難題は、元禄時代以来の幕府財政問題だった。俗説では、田沼意次は積極財政を実行したかのように喧伝されているが、その実態は緊縮増税財政である。意次は、享保の改革のように年貢を増やすことができないという制約の下で、幕府の利益を追求する政治を展開した。

    山師跋扈の時代
    田沼時代の役人たちは、幕府の支出を一銭でも減らすことを第一の仕事とし、『御益』と称して幕府の収入を一銭でも増やすことを競い合い、それで出世を遂げた。一銭でも多くの御益を上げるために、田沼時代には、民間からの興利策の採用が多く行われた。「御益」を生み出すには、さまざまな技術、知識、思いつきやひらめきが必要であり、怪しげなのを含めた「山師」と呼ばれる人々が跋扈した。かの有名な平賀源内も「山師」の一人である。(秋田藩での鉱山開発に携わっていたから、文字通り源内は山師だ)田沼「積極」財政政策と一般には見なされている印旛沼干拓工事、蝦夷地開発、大坂貸金会所の設置は山師たちの献策によるものであり、全てが尽く失敗している。

    出るものは一銭でも削る-支出の切り詰め
    田沼時代には多くの倹約により幕府支出削減が行われた。宝暦5年には役所別予算制度の制定、明和3年には京都から江戸に来る摂家・門跡・公家たちの接待の簡素化と朝廷予算の削減、明和8年には七カ年の倹約令により幕府から大名への助成金である拝借金の制限、天明3年には拝借金が停止されている。また国役普請の改正が行われ、大名たちは治水工事費を転嫁させられている。

    入るものは一銭でも多く取るー運上・冥加
    17世紀から18世紀の元禄から享保期にかけて、江戸時代の経済はそれまでの幕府・藩主導型の経済から、商人や職人が武家の需要を満たすという民間主導型の経済へと大きく転換した。民間の経済力の充実を背景に、田沼時代には、株仲間や会所設立を積極的に認められ、冥加金を徴収した。また商品経済の発達を背景に、あらゆる商品に運上金が課せられたのも田沼時代の特徴である。

    このように田沼時代とは、緊縮増税の時代であり、積極財政が行われたとは言えないのが実情だ。田沼意次「積極」財政vs松平定信「緊縮」財政という二項対立は完全な虚構である。最近の研究では、享保の改革期から田沼時代、寛政の改革期と一貫した緊縮増税が行われたという見解が主流のようだ。本書は、日本近世史の泰斗による評伝だけあって内容に隙がない。同筆者による『勘定奉行の江戸時代』、『田沼時代』と本書を読めばだいたい田沼時代というものが把握できると思う。

  • 田沼意次は二度失脚する
    一度目は①~⑤の失政
    二度目は松平定信の私怨と政治パフォーマンス
    ①大名政策(御手伝普請・拝借金停止)
    ②貸付(御用金令・貸金会所)
    ③新税(冥加金)
    ④諸物価(米切手統制・株仲間)
    ⑤開拓(印旛沼・蝦夷地)

    ※600石~57000石と急拡大で有能な臣下不足
    執政として飢饉・噴火・大水等で生活が困窮し
    倹約令や諸経費削減等で庶民も武士も不満続出
    失脚後は婚姻関係で田沼派になっていた幕閣も
    付き合いを止めていく最後は悲しい(´・ω・`)

  • [評価]
    ★★★★☆ 星4つ

    [感想]
    この本を読み田沼意次に対する感想は優秀な吏僚だ。
    将軍の側用人として仕えている時は規則に従い、その優秀さを発揮していたようだけど、老中として行った政策は目先の利益を追いかけすぎたせいで失敗を繰り返している印象だ。
    当人は疲弊した幕府を復活させるために色々と考えたのだろうが、ことごとく失敗してしまっている。もう少し周囲を立てつつ、重農主義に商業を取り込むことができていれば、幕末のようなことは起きなかったのかもしれないな。
    しかし、部屋済みだった田沼家が大名となれたことは間違いなく、田沼意次のおかげと言ってよいだろうと思う。

  • 跋扈する山師!ひと山当てるぞ!限界突破!

  • ハイライトは、伊達家文書の資料批判です。この資料だけで田沼が潔白であったとは断定できない、といっています。覚は冷静に田沼の足跡をみており、とぼしい資料ゆえ、断定口調をさける傾向が顕著です。

    全体的に教科書的な記述で、田沼意次の核心に突撃していこうとする気迫が感じられません。そのため、読者は隔靴掻痒をおぼえます。伝記としては失敗です。ただ時代背景についてはいろいろと学べるので、田沼時代についての書物だと理解しましょう。

    あとがきは爽やか。洞察力を遺憾なく発揮させ、侃々諤々を覚悟した覚の本気の評伝田沼を、そのうち読ませてもらいたく候。

  • [ 内容 ]
    田沼意次、江戸中期の幕臣。
    将軍小姓から幕府老中へ、六〇〇石の旗本から五万七〇〇〇石の大名へ異例の出世を遂げ、十八世紀後半に大胆な経済政策を展開した田沼意次。
    賄賂汚職の悪徳政治家か、清廉潔白な開明的政治家か。
    毀誉褒貶の激しい意次の実像は、いかなるものか。

    [ 目次 ]
    第1章 権力掌握の道のり(田沼家の歴史;田沼意次の経歴―将軍家重の代;田沼意次の経歴―将軍家治の代;出世と権勢の理由;田沼意次の人脈・党派の形成;幕府権力の掌握)
    第2章 利益追求型の政治―意次の政治(田沼時代の幕府財政;御益追求と山師の時代;意次と源内・藍水;興利策の追求;幕府利益中心主義)
    第3章 幕府全権掌握期の政治(下総印旛沼の干拓工事;ロシア交易と蝦夷地の開発;両替商役金の問題;幕藩財政と御用金;幕府銀行設立の構想)
    第4章 田沼意次の素顔(意次は清廉潔白か;江戸時代の賄賂と意次;意次の素顔と世相;相良藩田沼家の素顔)
    第5章 田沼時代の終焉(田沼意知の横死;田沼意次の失脚;田沼意次の処罰;波瀾の生涯を振り返って)

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    読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • 田沼意次は、江戸時代に賄賂政治を行ったとして批判された人物である。将軍の側用人から将軍の厚い信頼を背景に出世するとともに、血縁・婚姻関係で幕閣人事を独占し、その政治に群がる「山師」たちの親玉であり、金権政治を行った、というのが通説である。

    それに対し、彼が試みた新田開発・鉱山開発・蝦夷地開発計画は、いずれもその当時の「国益」にそうものであった。それが失敗したのは、大火や浅間山の大噴火、また飢饉による食料難が原因であって、そのツケを一身に背負わされたのだ。

    意次は「またうど(正直者)」と称され、特に、晩年になって自らの藩の人事を、家臣の選挙によって重臣を決めようとした、開明的人物であった。

    それらのことから、意次の評価を見直そうという趣旨の本である。彼の弁明書である、「御不審を蒙ること、身に覚えなし」を副題としているのは、その意である。

  • 毎日新聞2007.7.22

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著者プロフィール

東京大学名誉教授

「2022年 『もういちど読みとおす 山川 新日本史 下』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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