ナンガ・パルバート単独行 (ヤマケイ文庫)

  • 山と渓谷社
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  • Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784635047296

感想・レビュー・書評

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  • イタリアの伝説的な登山家ラインホルト・メスナーによる8000メートル峰ナンガ・パルバード無酸素単独登頂の記録。1978年の話。
    前半はベースキャンプに至るまでの経緯や心の動きなどの描写で、精神的・抽象的な話も多く、翻訳のせいもあるかもしれないけれど、読みづらく、大変。
    後半、メスナーが一人になってからは記述も具体的かつ変化があり、登山記として面白い。
    山野井さんもそうだけれども、一人で山に登る人は、自分との対話を通じて、多くの言葉を自分の体内から生み出していて、深い。自然を相手に生きているので、嘘をつけないことがわかっているのだと思う。
    あと、メスナーも山野井さんもそうだけど、そこにいない人との会話(幻聴)とか、ヒマラヤでは普通にあるんだな、というのも学び。どれだけ極限的な状況なんだろうか。

  • 尊敬するクライマーの山野井泰史さんが
    著書の中で自分が登山中に感じる気持ちに近い
    と書かれていたので興味を持って読んでみました。

    登山記録的な側面が強いのかと思いましたが
    思ったよりも登山前・登山中における内面描写が中心。

    いるはずのない自分以外の他者の存在や
    8000メートル級の山の中での孤独など
    自分では体験できない特異な状況における
    体験は興味深いものでしたし、
    超人とばかり思っていたメスナーの人間としての
    弱さを感じさせるものでした。

  • ラインホルト・メスナーは、北イタリア・チロル地方生まれの世界
    的な登山家で、1970年に25歳の若さでヒマラヤに足を踏み入れて以
    来、次々と8000m峰に挑みます。そして、1978年には世界最高峰エ
    ベレストを酸素ボンベを使わずに登頂。同年、絶対に不可能と言わ
    れていたナンガ・パルバート峰の完全単独登頂にも成功し、登山界
    を驚愕させます。以後、「無酸素・完全単独」は、メスナーのスタ
    イルとして定着していくのですが、本書はそんなメスナーの原点を
    形作る体験となったナンガ・パルバート単独登頂の記録です。

    技術にも、人にも依存せずに、人間という存在の限界と可能性に挑
    戦するためにただひたすら頂上を目指すメスナーの生き方を知った
    のはもう20年も前のこと。以来、ずっと記憶に留めていましたが、
    彼の著作を読むのは、実は今回が初めてでした。

    読んでみて思ったのは、「無酸素・完全単独」が肉体の限界以上に、
    精神の限界、社会的生物としての人間の限界に挑戦する行為である、
    ということでした。

    それは想像を絶するような孤独に満ちた世界です。その絶対的な孤
    独の不安に耐えきれなくなり登頂を諦めるシーンから本書は始まり
    ます。ナンガ・パルバート単独登頂成功の5年前のことでした。そ
    の時の恐怖は、「自分自身がこの孤独の中で失われてしまうのでは
    ないか」という絶対的なものであったと言います。この挫折の経験
    に加えて、結婚生活にも失敗し、最大の理解者を失ってしまった喪
    失感と孤独感がメスナーを苛み続けました。

    しかし、エベレストへの無酸素登頂に成功したことで、彼の中の
    「何かが変わった」のです。そして、「かつてなかったほど、自分
    は生きなければならない」という気になり、単独行への再挑戦を決
    意したのでした。孤独の不安に苛まれ続けた日々を乗り越え、「自
    分自身であるというこの神秘」に目覚めた瞬間でした。

    そして、改めてナンガの岩や氷と独り向き合う中で彼が辿り着いた
    のは「孤独はもはや恐れではなく力なのだ」という確信でした。こ
    の時の孤独の体験をメスナーは「白い孤独」と呼びます。

    「白い孤独」の体験の中で、メスナーは孤独の先にある世界と出会
    います。それは「見捨てられた世界にすっぽりともぐりこんで、守
    られているような感じ」であり、「安らぎの海に出てゆくような思
    い」であったと言います。「すべての秘密に対する問と答が自分の
    中にある」と感じ、「すべてのものとぼくのあいだには了解が成り
    立っていた」世界。それが孤独の力が開いた世界だったのです。

    メスナーは人と生きることを否定しているわけではありません。孤
    独の恐怖を知り尽くしているメスナーにどうしてそんなことが言え
    るでしょう。でも、それでも、メスナーは孤独が必要だと言います。
    それは孤独の力がないと見えないもの、感じられないものがあるか
    らでしょう。それらを見、感じることが、世界と、そして、自分自
    身と調和して生きるためには不可欠になるのです。

    人間の限界と可能性に挑戦し続けたメスナーの言葉の一つ一つに、
    身も心も引き締まる思いのする一冊です。是非、読んでみて下さい。

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    ▽ 心に残った文章達(本書からの引用文)

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    何もしないでただ待機していると、心の中からほとばしり出るもの
    は、孤独を前にした不安の念である。

    たとえ命を落としても、ぼくは自分の道を進んでいくつもりだった。
    あいさつをしたり、握手を求めたりする大勢の中で、ぼくは飢え死
    にしたくなかった。いくら報酬が入ったからといって、生きようと
    するぼくの飢えた気持ちを満たしてくれることにはならなかった。

    将来、ぼくは誰にも従わないつもりだ。自分自身にすら屈服しない
    だろう。(…)ぼくは、自分自身の道を歩くのだ。自分の歩く道と
    自分自身が一つになっているときにのみ、自分が強いと感じられる
    のだ。

    ぼくはこの街を何時間もぶらつくことができる。人々を眺めること
    もできる。こうやって歩くのが好きだ。だがしばらくすると、ぼく
    は垂直の岩壁を高く登っていかなければならないような気がしてく
    るのだ。

    「他の生活領域は、山登りほど自分自身に対する深い誠実さを要求
    するものではありません。(…)この下界にいるとき、ぼくは自分
    に向かっていろいろこまかすこともできます。でもあの非常に高い
    ところに行けば、もちろんそんなことはできません。8000メートル
    以上の高所で力以上のことをしようと思えば、ぼくは命を落とすで
    しょう」

    自分の行なうことが成功するかどうかは重要でない。自分がどこか
    に向かっていること、それだけが大事なのである。

    独りだという気持ちがぼくを押しつぶしてしまう。そして、不安の
    念がぼくを遠くへ連れ去ってしまうようである。

    現在、技術として使えるものをすべて投入すれば、ぼくはどんなと
    ころにだって登ってゆける。でも、そうすれば技術に依存すること
    になる。どんな成功もぼくが獲得したものではなく、技術が獲得し
    たことになる。(…)なんとしても技術に依存したくないのだ。

    ぼくは山を征服しようとして出掛けてきたのではない。また、英雄
    となって帰るためにやってきたのでもない。ぼくは恐れることを通
    じて、この世界を知りたいのだ。

    孤独感はもはや、破滅を意味するものではなくなっていた。明らか
    にぼくはこの静けさの中で、新たな自信を得ていたのだ。
    だが孤独とは、なんと変わってしまうものだろう。かつては気のめ
    いる思いのした別離が、じつは自由を意味したことに気がつくのだ。
    これは人生で初めて味わう白い孤独の体験だった。孤独はもはや恐
    れではなく力なのだ。

    炊事をし、飲み、ときどき空気を胸の中にためこんでいるうちに、
    次第に自信が戻ってきた。いまぼくは、この見捨てられた世界にす
    っぽりともぐりこんで、守られているような感じなのだ。

    ぼくは以前から、何度心の中で対話してきたことだろう。そして自
    分だけではないのだということを、自分自身に向かって無意識のう
    ちに確認していたのだ。ここでもぼくは、自分独りだけではなかっ
    た。

    ぼくは何も工業時代から原始時代に逃げ帰ろうとしているのではな
    いし、人間から逃げ出しているのでもなく、ただ自分の道を歩いて
    いるだけである。

    ぼくの理念とぼく自身が一つに溶けあっている。世界は静止してい
    る。この高いところから眺めた世界はなんと広大無辺なのだろう。

    ぼくは孤独の海から安らぎの宇宙に出てゆくような思いだった。

    ここで獲得する一分間一分間がプレゼントされた生命といえた。

    「人間は、独りでは何もできない。自分にはよくわかっている。人
    間は決して独立した存在ではないんだ。(…)だが、ぼくはこれか
    ら先へ進んでゆくためにも、しょっちゅう独りでなければならない
    と思うんだ」

    すべての秘密に対する問と答が自分の中にあると感じていた。自分
    の中に生命の力が、生命を与える力が、自分の中に死が、始めと終
    わりがあるように思えたのである。

    すべてのものとぼくのあいだには了解が成り立っていた。いや、そ
    ればかりではない。自分自身とも了解しあっていたのである。

    この、いつもある方角に向かって歩いているということが、人生を
    もひとりで耐えてゆくことのできる唯一の可能性をぼくに与えてく
    れるのだ。

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    ●[2]編集後記

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    先週からずっと海外出張で、土曜日からはニューヨークにいます。

    9.11からちょうど十年目のニューヨークでは、グランドゼロでメモ
    リアルの公式祭典が開かれていました。教会には人が集まり、喪服
    や制服の人の姿が多く見られました。多くのビルや商店が国旗を掲
    揚し、街行く人々の手には国旗が握られていました。

    能天気な観光客達が街に溢れていても、それでも184人の死を悼み、
    悲しみを思い出しているような雰囲気が街全体を覆っていました。
    We will never forget 9.11という言葉に至るところで出会いました。

    9.11から10年の日をニューヨークで過ごしながら思ったのは、
    「何を忘れないのか」ということでした。

    死者のことを忘れないのは勿論ですが、忘れないのは、同じ過ちを
    繰り返さないようにするためではないでしょうか。であれば、テロ
    が二度と起きないような社会をつくるための尽力する、というのが
    忘れないということの本質なのだと思います。

    しかし、現実は、「テロの脅威を忘れるな」という文脈にすり替え
    られています。ムスリムに対する憎しみが公然と遺族の口から語ら
    れ、それを当然のようにマスコミが流していました。こういう形で
    憎しみを忘れないことが本当にテロの起きない社会につながるのか。
    自分達のあり方を見直すことをせず、「敵」のことばかりを話して
    いる。こういう構図そのものがテロを再生産につながるように思う
    のは自分だけでしょうか。

    3.11からもちょうど半年。「忘れない」という耳障りのいい言葉で
    本当に大切なものを覆い隠す事のないようにしたいものです。

  • 内容的には悪くないんだが、登山するまでが長くて飽きた。また日本語訳が下手なのか、あまり入りこめなかった。

  • 8000メートル峰への単独行を成功させた登山家ラインホルト・メスナーの自著。山行の記録よりもなぜ山に登るのかなぜ単独なのかということを自分自身に問いただすような内面的な文章が印象的な本です。

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