ヤマケイ文庫 ヒマラヤの高峰 8000メートル峰14座 初登頂の記録

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  • 山と渓谷社
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  • Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784635049290

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  • ヒマラヤ研究の第1人者でもあった深田久弥の著作。
    地球上に8000mを越える山はヒマラヤ山脈にしかなく第三の極地と呼ばれている。
    世界で最も若い山脈でインド大陸が北上しアジア大陸に接触して今も隆起しているとか。
    ヒマラヤには地球上でもっとも高い14峰の8000m級ピークがあり、この地域以外には7000m以上の山は存在しないとゆう圧倒的な存在感を放っている。ちなみにヒマラヤを除けばアンデス山脈アコンカグアの6961mが最高標高になる。

    1950年フランス隊がアンナプルナに登頂成功させる。これが人類初の8000m峰登頂になり、世界は大登山時代を迎えたようです。
    本書は、世界最高峰のエベレストから標高順に初登ルートなど書かれており登山家たちのヒマラヤ欲を増幅させるバイブル的存在だったようです。
    特にエベレストの登頂史については多くのページを割いてました。1924年に遭難したマロリーなしでは語れないのですが、イギリスが威信をかけてチャレンジしてたようで、1934年には飛行機を山腹に不時着させて登頂するとゆう奇抜なプランもあったとか。1953年ヒラリーによって初登頂。

    エベレストで遭難死すると遺体は回収されず冷凍のまま残されてそれが正規ルートをしめしているとか登山者はそれをポイントに登るのだから世界の登山家の即身仏巡礼をしてるかのよう。マロリーの遺体も遭難から75年後の1999年に発見されるとか凄いところですね。

    世界で1番高い山は知っていても2番目とか3番目、ましてや14番目とかになると知らなかったのですが一応順にあげておきます。
    ①エベレスト 8848m
    ②K2 8611m
    ③カチャンジュンカ 8598m
    ④ローツェ 8516m
    ⑤マカルー 8485m
    ⑥チェ・オユー 8188m
    ⑦ダウダギリ 8167m
    ⑧マナスル 8163m
    ⑨ナンガ・バルハット 8126m
    ⑩アンナブルナ 8091m
    ⑪ガッシャーブルムⅠ峰 8080m
    ⑫ブロード・ピーク 8051m
    ⑬ガッシャーブルムⅡ峰 8034m
    ⑭シシャパンマ 8027m
    1964年には最後の8000m未踏峰シシャパンマに登頂成功して14座すべての8000m峰に人類がたったことになる。その5年後の1969年には人類は月まで行ってるのだからこの頃の冒険心とゆうのは尋常じゃない。

    余談が多くなりますが、人の欲は尽きないもので8000m峰14座全部登りたいとかなるわけで最初に14座登頂に成功したのは1986年イタリアのラインホルト・メスナーあの伝説の登山家です。日本人としては唯一、竹内洋岳さんが2012年に達成しています。世界で29番目の14サミッターです。
    そして、今シーズン日本人女性で8000m14座に王手をかけている人がいるとか。看護師の渡辺直子さん。
    2006年のチュ・オユーを皮切りに2013年エベレスト、
    昨年2022年には8000m6座登ってラス1が14位のシシャパンマを残すのみとかww マナスルが好きみたいで3回も登頂してる。
    今年41歳だからまだまだいけるでしょ。
    是非是非、14サミッターになって欲しいと応援したい。

    深田久弥氏は『日本百名山』を発表してからも精力的にヒマラヤに赴き執筆されてたのですが1971年茅ケ岳登山中に倒れ亡くなりました享年68歳。
    『世界百名山』の構想もあったというからまじ山好きだぁ。後人にこれ以上登山欲を注がないでくださいww

  • 岐阜聖徳学園大学図書館OPACへ→
    http://carin.shotoku.ac.jp/scripts/mgwms32.dll?MGWLPN=CARIN&wlapp=CARIN&WEBOPAC=LINK&ID=BB00622103


    深田久弥の、ヒマラヤの山々に対する熱い思いが込められた不朽の名著!
    『日本百名山』の著者として知られる深田久弥さんは、ヒマラヤの研究家でもあった。

    1958年にはジュガール・ヒマラヤに赴き、現地ルポを雑誌に連載。
    翌59年からは「ヒマラヤの高峰」と題した連載を以後10年間、120回にわたって『岳人』に掲載している。
    そのかたわらで書き下ろしたのが『ヒマラヤ登攀史』(1957年、岩波新書)。
    その後、1967年に改稿されて『ヒマラヤ登攀史第二版』が出版され、
    没後、1973年には白水社から『ヒマラヤの高峰』が刊行された。

    ヤマケイ文庫版では朝日新聞社刊『深田久弥 山の文庫2 ヒマラヤの高峰』を底本としながら、
    『深田久弥 山の文学全集』(1974年朝日新聞社刊)の原稿を確認しつつ、写真と地図を刷新して
    ヒマラヤ8000m峰14座の初登頂の歴史を紹介する。

    1950~70年代にかけての、ヒマラヤ初登頂時代の人と山とのかかわりを
    克明に調べて記した深田久弥の遺作が、没後50年目によみがえる。(出版社HPより)

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著者プロフィール

1903~71。小説家・山岳研究家。1933年、小林秀雄らと「文学界」を創刊、小説に『オロッコの娘』『津軽の野づら』等。日本の山岳紀行、ヒマラヤ研究の第一人者。主著『日本百名山』は読売文学賞。

「2017年 『山の怪談』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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