本物の思考力を磨くための音楽学~「本質を見抜く力」は「感動」から作られる~

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  • ヤマハミュージックエンタテイメントホールディングス
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  • Amazon.co.jp ・本 (264ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784636930931

感想・レビュー・書評

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  •  普段は行かない、同じ県内だけれど遠い図書館の音楽のコーナーにあったこの本。とても貴重な出会いとなりました。そこの音楽のコーナーはびっくりするほど良書ぞろい。司書さんの選書眼が素晴らしいのだなと、その地域の方々が羨ましくなりました。

     「生きる意味」を求める時、人は美と真理と愛を求める。生きる意味が見つかりにくい現代だからこそ、私たちは「生きている音楽の力」を必要としている。しかし、死んでいる音楽がはびこっているという。

     「生きている音楽」を奏でるためには、「人間存在への飽くなき関心」が重要で、その関心に目覚めるために、人がどのような成長を辿れば良いかが丁寧に書かれている。未熟な0人称から思春期を経て1人称になり、他信から脱却し、「主体」として生きたいという強い意志を持ち自分の裡に向き合うことで、利己的な擬1人称から超越的0人称を含んだ真の1人称になる。

    他者と対話するにあたっての前提条件が書かれていた。
    1.互いに相手を「主体ある」他者と認識している
    2.互いが水平的関係である
    3.その他者を知りたいと思っている
    4.他者を知ることによって、自身が変わるつもりがある

    この4番にハッとさせられた。そんな心つもりで人と話したことは殆どなかった。子供と話し合う時くらいだろうか。
     経験とは、体験に自分の価値観や感性に新たな要素が加わることであり、変化を受け入れる開かれた状態が必要とあった。私が年を重ねるにつれ、どんどんなく無くしていっている性質だ。

     そして、芸術表現における〈愛〉は、対象(曲)を、対象らしく捉え、対象らしい本質が現れるように表現をし、それを喜ぶことである。この楽曲が“どのように生きたがっているのか”、楽曲と、先のような前提条件の元、対話することで、生きた音楽になる。その経過を辿って、真理に共鳴したときに人は、美を感じる。

     最初から最後まで密度の高い、納得の内容で、日頃は専ら読みっぱなしの読書スタイルですが、珍しく何度も読み直し、大量なメモを取りながら読みました。音楽への愛情がひしひしと感じられ、精神科医であり音楽家ならではの視点と観察眼で、時になかなかの芯をついた毒舌で書かれていて、他の多くの本とは一線を画す見事な一冊でした。

  • 音楽が消費の対象になりつつあり、人々の欲求を満たすことが普及への条件となりつつある昨今、
    音楽の持つ意義と我々の向き合い方について、
    改めて問い直す内容です。

    創作者、演者、聴衆、世間に存在を伝えるメディアなど、
    音楽に携わる全ての人が、
    本書によるところの「生きた音楽」の感覚を少しでも共有出来れば、ルネサンスのような時代が再び訪れるのではないかと錯覚させてくれるような名著でした。

    個人的な話ですが、
    私は下手の物好き程度で趣味として音楽に触れていまして、本書を読んでから演奏がガラッと変わりました。

  • TSエリオット「文化は生を生きるに値するものとしてくれるところのもの」。

    音楽体験そのものは腹の足しになるような「意義」をもっておらず、純粋に「意味」だけのために存在する。

    レヴィ・ストロース「神話と音楽どちらも連なり・断片を追うだけでは不充分で、全体の構造を俯瞰するような見方が大切」

    音楽の最高の瞬間には、目的と手段、形式と内容、主題と表現のあいだに区別はない。それらは互いに帰属し、完全に浸透しあっている。

    ツィメルマン「私たちは「音」を使って「時間」を操り、聞く人に感情を伝えるべきで、「音」じたいは音楽ではない」。

    演奏家があるテンポを選ぶということは、それに対応した生理的精神的状態を喚起する表現を選んだことになる。

    音楽がどのような響きで作曲者に降りて来たのか、正しく見通し、そこから一意的に選ばれるべき問題としてテンポはある。

    「心=身体」側の時間は「頭」の単純な時間とは違うもの。

    「スタイル」(その音楽に内在している秩序)に沿った上での自由でなければその音楽は死んだもの。

    弁証法的に統合された演奏はいま作曲者がそこに生きているような、新鮮さがある。

    作品の本質を掴めば、演奏は自由になる。

    フルトヴェングラー「名曲はふつう考えられているより即興性に満ちている」。

    演奏家は作曲者に訪れたインスピレーションを感じると同時に、彼がどのような意図でその曲の構造を組み上げたか、ということを解読すべし。演奏者にも完成と理性を弁証法的に駆使することが求められている。

    芸術は人間存在への飽くなき関心なしには存在しない。

    人は真理に共感した時「美」を感じる。

    作曲者を超えて、その曲がどう生きたがっているか、曲との対話が必要。

    時間芸術である音楽を扱うときには動物と付き合うような即興性が必要。

    Mエンデ「どんな芸術でもどこか暗黒を持っていなければいけない。そうでなければ、明るさにしてもなんの値打ちもない」。

    「色気のある美」とは複雑さと統一が同時に表現されたもの。

  • オーケストラやアンサンブルに入ってるけど、本を読んで芸術とは何かわかって、いっしに音楽の本質を理解した

  • 精神科医と作曲家という2つの顔を持つ筆者が、現代における音楽のあり方について考察している。豊富な資料を提示しつつ「生きた音楽」と「死んでいる音楽」とな対比や「心・頭・身体」の関係と音楽のつながりなど、示唆に富む内容が多く、また精神科医ならではの観点も面白い。
    ただ、懐古的な側面も強く論調はかなり好き嫌いが分かれると思う。

  • 難しいけれど、音楽に携わる者として、忘れてはいけないこと。
    生の演奏の素晴らしさは、音楽には欠かせない。

  • 誰かに生きるモットーをきかれたときに、なんとなく「自分本位に生きること」と言ったが、似たような内容がツァラトゥストラ「三様の変化」で詳しく書いてあり、興味深かった。
    他、言葉(ロゴス)についてや愛とはなんぞや、など、大変興味深い記述が多くて、学ぶ点が多くあった。

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著者プロフィール

泉谷 閑示(いずみや・かんじ)
精神科医、思想家、作曲家、演出家。
1962年秋田県生まれ。東北大学医学部卒業。パリ・エコールノルマル音楽院留学。同時にパリ日本人学校教育相談員を務めた。現在、精神療法を専門とする泉谷クリニック(東京/広尾)院長。
大学・企業・学会・地方自治体・カルチャーセンター等での講義、講演のほか、国内外のTV・ラジオやインターネットメディアにも多数出演。また、舞台演出や作曲家としての活動も行ない、CD「忘れられし歌 Ariettes Oubliées」(KING RECORDS)、横手市民歌等の作品がある。
著著としては、『「普通」がいいという病』『反教育論 ~猿の思考から超猿の思考へ』(講談社現代新書)、『あなたの人生が変わる対話術』(講談社+α文庫)、『仕事なんか生きがいにするな ~生きる意味を再び考える』『「うつ」の効用 ~生まれ直しの哲学』(幻冬舎新書)、『「私」を生きるための言葉 ~日本語と個人主義』(研究社)、『「心=身体」の声を聴く』(青灯社)、『思考力を磨くための音楽学』(yamaha music media)などがある。

「2022年 『なぜ生きる意味が感じられないのか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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