源氏物語と貴族社会

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  • 吉川弘文館
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  • Amazon.co.jp ・本 (326ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784642023832

作品紹介・あらすじ

源氏物語は当時の貴族社会の実状に準拠して書かれた。そこに描かれた婚姻制度や住宅から、貴族社会の実像を読み解く。また、物語が生まれた文化史的背景と、女流文学が主張する主体性確保を求めた平安女性の姿を描く。

感想・レビュー・書評

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  • 増田繁夫先生の論文集です。

     現実=史実の世界と、源氏物語の世界がシームレスに語られすぎる傾向があるように思います。

    序章 過渡期としての一条朝
    特に「花山朝の文人たち」について
    私の知らなかった事実がいくつか判明しました。

    源為憲
    源順に師事し、文章・漢詩・和歌に秀で、『本朝文粋』に受領申文を載せ、『本朝麗藻』『類聚句題抄』などに漢詩作品を、『拾遺和歌集』(1首)に和歌作品を残している。

    順や惟成らと為光邸に出入りして、誠信のために『口遊』を編集している。
    『世俗諺文』などの教養書も撰している。また仏教にも造詣が深く、『三宝絵詞』『空也誄(くうやるい)』などを撰している。

    藤原惟成


    菅原資忠
    天暦10年(956年)以前に大学寮に入り[1]、秀才に及第する[2]。冷泉朝の康保5年(968年)課試宣旨を下されている(この時の官位は正六位上・文章得業生美濃権少掾。

    惟成の対策の時の問者を務めている。

    三条帝誕生のときには、惟成とともに御湯殿読書博士を務めた。

    ☆惟成の妻が義懐の妻の姉(新意見・典拠はない)


    慶滋保胤
    菅原文時に師事して文章生から大内記兼近江掾となる。康保元年(964年)に念仏結社『勧学会』の結成に力を尽くした。永観元年(983年)には元号を「永観」に改める際の詔などを起草している。

    藤原為時・為頼兄弟も親王家に出入りしていたらしい。
    為頼男の伊祐は親王の落胤頼成を養子にしていた。
    (赤染門集)

    高岳 相如(たかおか の すけゆき、生没年不詳[1])
    平安時代中期の官人・漢詩人。氏は高丘とも記される。字は高俊[1]。右大史・高岳時光の子とも言われるが、出自は未詳[1]。官位は外従五位下・飛騨守。

    経歴
    文章生として紀伝道を学び、村上朝の天徳・応和年間(957年-964年)に慶滋保胤とその才をならび称される[1][2]。応和3年(963年)『善秀才宅詩合』と安和2年(969年)『粟田左府尚歯会詩』に保胤とともに漢詩が採録された[1]。正

    円融朝の天元4年(981年)権少外記に任ぜられると、天元5年(982年)少外記、永観2年(984年)大外記と円融朝末から花山朝にかけて外記局で昇任され、寛和元年(985年)外従五位下に叙爵された。一条朝の正暦年間(990 - 995年)飛騨守となった[1]。藤原在国・源為憲・藤原為時らと詩席を設けたほか[1]、清原元輔・大中臣能宣らを自宅に招いて歌を詠じたこともある[1]。

    『本朝文粋』や『和漢朗詠集』に詩文が残されている[1]。『和漢朗詠集』に掲載句が多いのは、選者の藤原公任が相如の弟子だからだと伝わる[1]。


    その他;

    第2章 源氏物語に描かれた住宅(紀伊守の中川の家
    宇治八宮の山荘 ほか)
    第3章 平安京の風景(河原院哀史
    「東院大路」考―光源氏の二条院 ほか)
    参考になりました。

  • 序章 過渡期としての一条朝(花山朝の文人たち
    藤原伊周の生涯)
    第1章 十世紀後半の貴族社会の婚姻制度(摂関家の子弟の結婚
    女御・更衣・御息所の呼称―源氏物語の後宮 ほか)
    第2章 源氏物語に描かれた住宅(紀伊守の中川の家
    宇治八宮の山荘 ほか)
    第3章 平安京の風景(河原院哀史
    「東院大路」考―光源氏の二条院 ほか)

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