- Amazon.co.jp ・本 (233ページ)
- / ISBN・EAN: 9784642027229
感想・レビュー・書評
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1258年~1261年の『吾妻鏡』の記述。
・本巻の政治情勢
・吾妻鏡 第四十八 正嘉二年(1258)正月~12月
但し、正元元年(1259)の記事は欠落。
・吾妻鏡 第四十九 文応元年(1260)正月~12月
但し、4月までは正元二年。4月に文応元年に改元。
・吾妻鏡 第五十 弘長元年(1261)正月~12月
但し、2月までは文応二年。2月に弘長元年に改元。
注、有り。付録は、時刻表/方位。大倉御所概念図。
鎌倉時代の鎌倉、若宮大路周辺図。
天皇家系図、鎌倉将軍家系図、北条氏系図。
宗尊将軍の上洛を来年に決定するが、冷夏と暴風雨で
諸国の田園が全て損亡する事態になり、上洛は延期に。
その後も、大雨、洪水、地震、疫病、そして正嘉の大飢饉に。
弘長元年に徳政中心の関東新制を定めることとなる。
また、悪党の蜂起、夜討や強盗への治安対策。
延暦寺と園城寺の戒壇を巡っての対立。
三浦義村の子・良賢らによる謀叛の企ても発覚する。
なお、若年の北条時宗は供奉人に。
次いで10歳で小侍所の別当になり、金沢実時から実務を学ぶ。
北条時利、宗尊、北条時宗の結婚が成されるが、
幕府の重鎮・北条重時が死去する。
朝廷では、後深草天皇の弟が亀山天皇に即位。
「現代語訳吾妻鏡」完読まで、あと僅かとなりました。
う~む、誤字・脱字、名前の間違いが多いんだけど~。
儀式の供奉人や引付、廂番等の記録がやたらと登場しています。
20歳代になった宗尊の供奉人の催促が激しく、
しかも差しさわりで欠席したい者が多くなり(肉食したとか)、
調整する実時の心労が目に浮かぶようです。
確かに実務を学ぶ場ではあれど、時宗10歳!
将来の得宗の後継と執権への英才教育ってところですか~。
また、宗尊の正室、御息所藤原宰子の、御服の月ごとの注文が
興味深かったです。当時の高位の女性の衣裳や化粧道具が
記録されています。
北条政村の息女が、比企能員の娘の霊に祟られるってのも
ありました。蛇身が出現するようだったとは怖いなぁ。
若宮別当僧正の隆弁の加持は、効果抜群!詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
新着図書コーナー展示は、2週間です。通常の配架場所は、3階開架 請求記号:210.42//G34//15
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