新田義貞 (人物叢書 新装版 239)

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  • Amazon.co.jp ・本 (213ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784642052320

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  • 北畠顕家は青野原の戦いに勝利した。そのまま顕家と新田義貞が合流して大攻勢をかければ南朝の天下になったかもしれない。しかし、両者は合流しなかった。これは南朝が勝機を失った失策と評価される。その理由は幾つかある。

    第一に顕家の軍勢は奥州からの強行軍であり、青野原の戦いで勝利したものの限界であり、休養が必要であった。この説に立つと合流して戦い続けることが、そもそも無理であり、勝機はなかったことになる。

    第二に顕家は青野原の防衛線を打ち破ったものの、足利方は第二陣として黒地川の防衛戦を用意しており、これを打ち破ることは容易ではなかった。関ヶ原の合戦のように関が原で勝利したら、そのまま進めるという状態ではなかった。
    この立場からは顕家は北上して越前に入って義貞と合流するという案が出てくるが、軍勢に山越えは非常に困難である。

    第三に義貞と顕家の間に対立があった。相手の手柄になることを嫌ったとする。

    第四に義貞と顕家の父親の北畠親房との間に不信感があった。親房は公家優位の思想を持っており、坂東武士の義貞と肌が合わなかった。

    第五に顕家の軍勢には北条時行がいて、義貞の合流を反対した。義貞は鎌倉幕府を滅ぼした武将であるためである。
    しかし、後に時行は義貞の次男の新田義興(にったよしおき)とも共闘して鎌倉を奪還している。時行にとっては足利尊氏が主敵であり、新田氏への嫌悪は大きかっただろうか。そもそも鎌倉幕府を滅ぼしたことを問題視するならば時行が南朝に降ることもあり得なくなる。

    第六に義貞は一所懸命の坂東武士であり、越前の領国化を優先した。「ようやく軌道に乗りかけた越前の制圧を上洛によって失いたくないこと、また南朝中枢部の策謀に振り回された比叡山から越前落ちの苦い経験などが、義貞をしてあえて上洛に踏み切らせなかった要因ではないかと思う」(峰岸純夫『新田義貞』吉川弘文館、2005年、124頁)。南朝の忠臣として義貞を見ることはステレオタイプになるだろう。

  • 手元に置いておきたいです。
    参考になります。

  • 昔の学者の著作はしっかりしている。
    ワクワク感が無いので、新田次郎の著作と併読した。
    昔の人名は読みにくいので頼りになった。

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著者プロフィール

一九三二年、群馬県生まれ。東京都立大学名誉教授。文学博士。専攻は日本中世史。
慶應義塾大学大学院文学研究科史学専攻修士課程修了。東京都立大学人文学部教授、東京都立大学附属高等学校校長、中央大学文学部教授を歴任。
著書に『中世の東国』『中世社会の一揆と宗教』(ともに東京大学出版会)、『中世災害・戦乱の社会史』『新田義貞』『中世東国の荘園公領と宗教』『足利尊氏と直義』(いずれも吉川弘文館)、『享徳の乱』(講談社)、『中世の合戦と城郭』(高志書院)、『中世荘園公領制と流通』(岩田書院)、『日本中世の社会構成・階級と身分』(校倉書房)など。その他、共編著多数。

「2020年 『中世鎌倉盛衰草紙 -東国首都鎌倉の成立と展開-』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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