- Amazon.co.jp ・本 (205ページ)
- / ISBN・EAN: 9784642054652
作品紹介・あらすじ
日本史上の偉人=聖徳太子。しかし、残された史料に厩戸王は実在するが、聖人としての太子は謎のベールに包まれている。太子のイメージはどのように成立したのか、奈良朝の政治地図の中に位置づけた革命的聖徳太子論。
感想・レビュー・書評
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最近のメディアでは、よく「聖徳太子はいなかった」論が取り上げられる。本書は、その最先鋒にして、学問的な標準を満たしつつ分かりやすく書かれた一冊である。
筆者は、聖徳太子の実在を証明するとされる史料(『日本書紀』や法隆寺系史料)を検討し、その語句の使用法などから、どれも後世に「捏造」されたものだと結論付ける。そして、この「捏造」が行われた背景には、藤原不比等と長屋王の共通する思惑(「天皇制の中に中国的聖天子像を取り入れる」)と両者の対立する思惑(皇位継承をめぐる権力闘争)があったと指摘する。
この聖徳太子「捏造」説については、既に多くの異論・反論が出ており、必ずしも学会の定説にはなっていない。しかし、本書は「権力者が歴史を編纂する意味」を考えされてくれる一冊である。権力者が歴史を編纂する際、そこには自身の立場や政策を正当化しようとする作為(時には捏造や改竄)が少なからず組み込まれる。歴史を記述するにあたり、こうした権力者の思惑をいかに排除し、その実像に迫れるか・・・それこそが、歴史学者の腕の見せ所と言えよう。
※追記
本書の記述については、私自身も疑問に思うところはある。聖徳太子に関する史料には、多くの作為があったことは確かである。しかし、それを以って「捏造」と結論付けるのは、やや早計の感が否めない。そのような all or nothing の議論ではなく、そうした“作為”を除いた史料には、何が残るのかを検討する必要があるだろう。そうした意味でも、聖徳太子については、さらなる研究・議論が必要である。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
聖徳太子は人物はいたけど聖人君子としての太子は藤原不比等が作ったという。前から存在は疑問視されていたことは知ってはいたがショック。
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厩戸王という皇太子はいたけど聖徳太子なる人物は捏造されたモノであると断じた本。
日本書紀にある信用に足るものはなく法隆寺系資料も実在性を示すに至らずという事。聖徳太子の時代より後代の藤原不比等、長屋王、光明皇后の三者の思惑が聖徳太子の成立に関与しているという話。
長屋王が神仙に傾倒しているというのは初耳であった。