福島第一原発 メルトダウンまでの50年――事故調査委員会も報道も素通りした未解明問題
- 明石書店 (2016年3月8日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (316ページ)
- / ISBN・EAN: 9784750343150
作品紹介・あらすじ
福島原発事故から5年。事故調査委員会、新聞記者、弁護士などによって、多方面から明らかにされてきた事故原因。だが、まだ解明されていない部分があった! 緊急時に原子炉を冷却する主戦力となる装置がまったく使われなかったことが1つ。また放射性物質の広がりを予測する解析システムの結果が死蔵されたこともこれまで問題とされてこなかった。原発事故以来、なぜ政府や電力会社はこんな失敗をしたのかという問題意識のもと、独自に取材を重ねてきた著者のよる渾身のレポート。被害の拡大を招いた痛恨の過失に迫る。
感想・レビュー・書評
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福島第一原発事故から10年である2021年が終わりにかかった頃、今まで見て見ぬ振りをしてきた罪の意識のようなものが募り、ようやく手に取った書。向き合おうと思ったのは、日本が足元から崩れていくような実感があり、その根源には何があるのか知りたくなった、という気持ちもある。また、今まで素通りしてきてしまったのは、自分の恐怖心を封印してきたためでもある。私が見ようとしなかったのは、現実で、現実から目をそらしたかったのは、余裕のなさと思う。
本書を読んで、普段からというのはもとより、余裕のない時・なんとなく負の感情を抱いてしまう時ほど、冷静に事実を知ろうとし、現実を見なければいけないし、その方が事態は多少はましになるのではないか、と心が少し強くなった気分。
2011年3月11日からの数日間、福島では一体何が起こっていたのか、事故や被害の拡大は防ぐことができたのではないか、という核心に迫り、丹念に事実を追い求めた一冊。テレビで何度も何度も聞いた「直ちに影響はありません」という言葉が空虚に蘇り、当時のメディア報道がどうだったか、ということも改めて知りたくなった。
あの頃から日本は何も変わっていないし、「あの頃」というのはどこまで遡れば良いのだろうという気もしてくる。このままでは、原発事故はまた必ず起こる。
本書冒頭の双葉町町長の言葉には、思わず涙が溢れたが、その涙がいかに欺瞞に満ちているかということも同時に気づいて、自分にうんざりしてしまう。あの時から、時間が止まってしまった人・土地がある。それは果たして自分とは関係のないことなのか?今年は事故から11年目。私はようやく、自分が加担してきた現実に向き合おうとして、スタート地点に立ったばかり。
(以下、双葉町町長へのインタビュー)
「『ドン』と低い音がしたんです。『ドカーン』というテレビで聞くような爆発音ではなく、低くて鈍いドン、という音だった。『ああ、やってしまった』。その瞬間、何が起きたかわかりました」
それから数分して、白や灰色の降下物が降ってきた。大きなものは5センチ角くらいあった。…
「もう終わりだ、と思いました」…
「死を覚悟したんです。今でもそうです」…
ーー落ちてきた降下物をどうしたのですか。
「ホコリか雪のように、手で払うしかありませんでした」詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
2016.4.8-2016.4.9
「こうした電力業界、規制官庁、政界、学会から報道までを含めた「社会全体の総合力」が「原発を引き受けるレベルに達しているのか」というテストが、福島第一原発事故だった。日本社会はそのテストに落第したのだ。そして事故後の行動においても、やはり及第点には達していない。そして実はこの「日本社会には原発を引き受け切れる総合力がない」という現実こそ、日本人がもっとも目を背けたい、否定したい現実なのではないか。」
この本を読むと、まへがきで著者がかう言ひたくなる気持ちが分かる。原子力発電の導入時にはあつた緊張感が失はれ、全てが形骸化した。電力業界、規制官庁、政界、学会から報道まで、自分の仕事が何なのかといふ基本的なことを理解してゐないのではないか、と思はれて来る。専門家がその責任を果たしてゐない。起こるべくして起きた事故だといふ気がして来る。
あれだけの事故が起きて、何万といふ人達が自宅を追はれてゐるのに、誰も自分の責任だとは言はない。賠償責任を負ふと困るからと、組織から口止めされてゐるのかも知れないが、割り切れない。
かうした本を独力で書かうとする人がゐるといふのが、せめてもの慰めか。