華麗なる「バレエ・リュス」と舞台芸術の世界-ロシア・バレエとモダン・アート-

著者 :
制作 : 原条 令子 
  • パイインターナショナル
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感想 : 9
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  • Amazon.co.jp ・本 (464ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784756251954

作品紹介・あらすじ

バクスト、ピカソ、シャネル、ストラヴィンスキー、伝説のダンサー・ニジンスキー…。天才アーティストたち天才アーティストたちが集結した「バレエ・リュス(ロシア・バレエ団)」の〈総合芸術〉。

20世紀初頭、ヨーロッパをセンセーションの渦に巻きこんだ「バレエ・リュス(ロシア・バレエ団)」。美術とダンス、音楽、文学、ファッションなどが結ばれてできた〈総合芸術〉が、モダン・アート史に大きな変革をもたらした。芸術世界を華やかに彩った「バレエ・リュス」の魅力と全貌を、ロシアの世紀末〈銀の時代〉から、「バレエ・リュス」の舞台・衣裳デザイン画、同時代の舞台芸術作品など約700点の図版を豊富な解説とともにします。

感想・レビュー・書評

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  •  1905年と1917年のロシア革命の間に芸術の分野でもヨーロッパ中をセンセーションの渦に巻き込んだ革命が起きた。バレエの革命である。
     ディアギレフという天才プロデューサーが設立した「バレエ・リュス」は、それまでのバレエの概念を大胆に打ち破ったバレエ革命であった。
    トゥシューズを履かず、つま先立ちせず、衣装もダンスも自由。そしてダンスだけでなく、美術、音楽、文学、演劇などの総合芸術であった。歴史的に見ると「バレエ・リュス」はモダン・アートの歴史における一つの奇跡であったといえる。ヨーロッパの中でロシアは最も封建的な皇帝政府に支配され、近代化が遅れていた。クラシックバレエが既にフランスやイギリスで衰退していた時代、ロシアでは皇帝の庇護を受けて、最後の美しさを放っていたのだが、そこから一気にバレエ革命が行われ、全く新しいバレエが誕生し、世界を驚かせた。
     「バレエ・リュス」が誕生した背景には、「ロシア銀の時代」と呼ばれる世紀末文化があった。
     ヨーロッパのアール・ヌーヴォーの影響を受け、ロシアのフォークアート、デカダンティシズムなどと融合し、その後ロシア・アヴャンギャルドに繋がっていく新芸術運動は新都ペテルブルクと旧都モスクワを中心に展開された。
     「銀の時代」の前半はモスクワでマーモントフという鉄道王が芸術家村を作り、私設のオペラ一座も結成して、「アーツ・アンド・クラフツ運動」を展開し、ロシアの「アール・ヌーヴォー」の出発点となった。そして、バレエやオペラと舞台芸術を融合させる総合芸術の礎を築いていた、
     一方、ペテルブルクではディアギレフがマーモントフをパトロンとし「芸術世界」という総合芸術雑誌を創刊した。そして、マーモントフの一座で公演される総合芸術的なバレエを見て、「このバレエをパリで見せたい」と思った。そして、「バレエ・リュス」を結成した。マーモントフの芸術村や雑誌「芸術世界」で活躍したアーティストを舞台美術や衣装デザイン、台本に起用し、革命的なダンサー、ニジンスキーを中心にした「バレエ・リュス」はパリやロンドンでセンセーションを巻き起こした。
     最初の大成功は、1910年の「シエラザード」であった。音楽は、ディアギレフの師であったリムスキー=コルサコフ、美術と衣装はバクスト、振り付けはフォーキン。後にディアギレフはこのバレエで画家、音楽家、振付師の完全な融合を果たしたと語っている。そして目玉の「金の奴隷」役は「バレエ・リュス」を代表した踊り手のニジンスキー。この役で、ニジンスキーは「バレエ・リュス」の一つの特徴であった、性の境界を超えていく、両性的な妖精というイメージを確立した。ちなみにこの「シエラザード」の1914年、オペラ座での公演の公式プログラムの表紙の絵が、10月29日に私がレビューを書いたゲルギエフ指揮、マリンスキー劇場管弦楽団の「シエラザード」CDのジャケットの絵だ。
    「シエラザード」の頃は「ロシア・オリエンタリズム」の時代であったが、1912年、ニジンスキーを中心とする「バレエ・リュス」新時代の幕が開けた。
     ギリシア神話を元にし、ドビュッシーの曲にニジンスキーが振り付けした「牧神の午後」はあまりにも露出的なコスチュームで振り付けも淫らと取られ、動きの少ないパントマイムのような踊りで、パリの観客は呆気に取られた。幕が降りてもしばらくシーンとしていたらしいがもう一度幕が上がり、初めから上演されると拍手がきたらしい。新しいもの好きなパリっ子には受け入れられたらしい。
     同じ年、同じギリシア神話をテーマにラヴェルが作曲した、「ダフニスとクロエ」があった。こちらはフォーキンの振付で、ディアギレフとニジンスキーは「古臭い」と思っていたが、ニジンスキーのダンスが評判になり、音楽も素晴らしく、非常に楽しめるバレエとして評判になった。過激すぎる「牧神の午後」は保守的なイギリスでは上演されず、「ダフニスとクロエ」は絶賛された。対照的な二つの作品であったが、どちらも美術はバクストが手がけた。
     驚いたのは「春の祭典」のエピソードである。ディアギレフが見出したストラヴィンスキーに曲を書かせたこの作品は、私は今まで単純に、春に生命力が溢れる喜びを描いたものだと思っていた。がこれは「大いなる犠牲(いけにえ)」と呼ばれ、人間の死と再生の物語であった。原始の祭において、人間、特に若い娘がいけにえに捧げられる。それは冬(死)において春(再生)を甦らせる密議なのだ。こうして「春の祭典」のイメージが作られ、そこに画家であり、文化人類学者でもあったニコライ・レーリヒが加わり、その舞台がニジンスキーに与えられた。いけにえになる乙女たちが狂ったように踊り、倒れた。音楽は、ハーモニーやリズムを乱し、騒音のように不快に響き、観客を圧迫した。「バレエ・リュス」の支持者と反対派が互いに罵りあい、乱闘を始め、劇場は大混乱に陥った。ディアギレフは「予想通りだ」と言ったそうだ。彼は驚かすこと、既成の概念を転倒させることを望んでいたのだ。
     この公演のあと、ニジンスキーはロモラという女性と駆け落ち結婚し、激怒したディアギレフはニジンスキーを解雇した。
    振り返れば「春の祭典」はニジンスキー、第一次世界大戦という大きな「犠牲」を予告していたのであった。
     1914年.第一次世界大戦が始まるとパリはバレエどころではなくなり、「バレエ・リュス」は戦争から遠いアメリカやスペインで細々と公演を続け、やがてロシアでも革命政府の支配が始まり、本国に帰れず、ヨーロッパ中を彷徨った。だが、この後期、ディアギレフは新しい振付師のマシーンを始め、次々と新しい人脈を確保した。指揮者のアンセルメ、作曲家のプロコフィエフ、サティ、プーランク、ミヨー、画家のピカソ、マリー・ローランサン、作家のジャン・コクトーなどである。デザイナーのココ・シャネルは衣装をデザインしただけでなく、ディアギレフのパトロンにもなった。
     後期で一番特筆すべき作品は、「パラード」だろうか。1917年.ロシア皇帝が退位し、ケレンスキー政府が成立した年、唯一パリで公演された「パラード」は、闘牛士、アルルカン、曲馬師、ターバンを巻いた黒人などがキュビズムの絵の前に現れ、モダニズムの世界を開幕させた。これはディアギレフに「私を驚かせてごらん」と言われたジャン・コクトーが、サーカスとミュージックホールの要素によるバレエを提案し、軽業師、綱渡り芸人、手品師などにジャズ、映画の表現を交えたバレエを構想した。それにピカソがすぐに反応して、モダンな衣装や舞台美術をデザインし、サティがジャズやラグタイムの入った曲を作曲し、マシーンが新しい振り付けを考えた。「バレエ・リュス」にパリのアヴャンギャルドの息吹がもたらされ、新しいショービジネスが始まった。
     「バレエ・リュス」は1929年、ディアギレフの死とともに解散したが、そこに関わり、影響を受けた人達が新しいバレエ団を作ったり、バクストがファッション・デザイナーとして活躍するなど、その後アーティスト達がそれぞれの分野で活躍するきっかけを作った。
     ロシア帝国の最後の灯火から革命政府樹立までの短い間に見たこともない総合芸術を作ろうとした人がいたということ、お金があるから芸術家を育てようという徳のある人がいたということ、素晴らしいと思った。
     何より目から鱗だったのは芸術家というのは孤独なものだと思っていたが、それぞれの才能を見出し、バレエという総合芸術を作ろうと誘ったディアギレフのお陰で、「みんなで協力して新しいものを作る」という夢のような楽しい時間がアーティスト達にあったのだということだ。 
     ディアギレフが誘わなかったら、舞台芸術などと関わらなかった作曲家や画家がディアギレフのお陰で新しい表現の道を見つけたのだ。もちろん、ニジンスキーのように保守的なバレエから脱却したかったダンサーにも活動の場を与えた。
     この本には「バレエ・リュス」のために作成された、舞台デザイン画や衣装画、パンフレットや緞帳の絵などが沢山詰まっている。それらは、アール・ヌーヴォーとロシアフォークアートの融合、ジャポニズム、キュビズム、ロシア・アヴャンギャルドなど近代アートの過渡期に創作意欲を注ぎ込んだ作家の作品である。
     世界の美術館やコレクターにばらばらに保管されている「バレエ・リュス」のアートを一冊の本にまとめて下さった海野弘氏に感謝。
     

    • なおなおさん
      まこみさん、ビューティー・ペア、調べました^^;知りませんでした。
      私はクラッシュギャルズのファンで。もうどっちもかっこよくて選べず。ダンプ...
      まこみさん、ビューティー・ペア、調べました^^;知りませんでした。
      私はクラッシュギャルズのファンで。もうどっちもかっこよくて選べず。ダンプ松本も活躍していましたね。ブル中野も。懐かしいなぁー。
      あとよーく覚えているのが、北斗晶のデビュー戦を見たんですよ。当時は悪役ではなく、ほっそりとしたかわいい女子だったような。
      2023/11/07
    • Macomi55さん
      なおなおさん
      女子プロって面白かったですよね。男子のプロレスには全然興味ありませんが。
      でも私は「ビューティー・ペア」で止まってます(^^)...
      なおなおさん
      女子プロって面白かったですよね。男子のプロレスには全然興味ありませんが。
      でも私は「ビューティー・ペア」で止まってます(^^)。たしか、一人はジャガー横田だったと思うけど。
      2023/11/07
    • なおなおさん
      まこみさん、昔の女子プロは面白かったですよね。
      同じく男子の方は興味ありませんでした。
      私の方は、クラッシュギャルズ、ビューティー鈴木や北斗...
      まこみさん、昔の女子プロは面白かったですよね。
      同じく男子の方は興味ありませんでした。
      私の方は、クラッシュギャルズ、ビューティー鈴木や北斗晶、極悪同盟で止まっておりますw
      まこみさんと意外な共通点をまたもや発見して嬉しい限りです。
      2023/11/08
  • バレエに関わっていない方々には馴染みのないと思われる
    「バレエ・リュス」。

    1909年から1929年ディアギレフが亡くなるまで
    ヨーロッパの芸術世界を華やかに彩り続けたこのバレエ団
    皆の知っている有名なアーティストが
    本当にたくさん関わっているのです。

    ヨーロッパの国々では寂びれてしまっていた「バレエ」
    帝政ロシアでだけ盛んになっていた時代。
    バレエ・リュスはヨーロッパでその芸術を披露するのですが、
    第一次世界大戦とロシア革命が勃発し
    帰る場所を失い、その拠点をヨーロッパにします。

    当時ヨーロッパではモダン・アートが革命を迎え、
    新しい動きがでていました。
    そのような目新しいアートに、貪欲に飛びつくディアギレフ。
    (「バレエ・リュスのような上流階級のお遊びに、
    革命的なシュルレアリストが出るのはけしからん」と
    シュルレアリスト側からの抗議もあったのですが)

    バレエ・リュスを書いた本はいままでも読みましたが、
    モノクロ写真程度でした。
    この本は「こんなにたくさんあったの!?」と思うほど
    バレエ・リュスの作品の詳細を満載、
    そしてカラフルで綺麗な絵がとても楽しいです。
    1.2キロを超える重さがちょっとキツイけど。

    読んでいて思ったのは、ディアギレフという人
    彼なしではバレエ・リュスは存在しない
    おそらく今のようなバレエも無いでしょう。

    しかし彼はずっと上手くいっていた仕事仲間と絶縁してしまうことが一度や二度ではないんです。
    でも、何らかの事情で復縁するんですね。
    自分なら感情的なしこりが絶対消えなくてありえないと思うんですが、そういう部分が芸術家(あるいはビジネス?)の違うところなのかな。
    そんなことを考えさせられた2021年正月。

  • お金が足りない(通院やめようかな?)

    華麗なる「バレエ・リュス」と舞台芸術の世界 | PIE International
    https://pie.co.jp/book/i/5195/

  • 総合芸術の視点から捉えた「バレエ・リュス」の全てを綴る。
    第1章 銀の時代ーロシアの世紀末 「バレエ・リュス」の源泉
    第2章 「バレエ・リュス」の時代 1909-1929 ロシアから世界へ
    第3章 「バレエ・リュス」と同時代の舞台美術。
    画像・写真が豊富。コラムも充実。
    種々の年表や図解での人物紹介・小事典・注、有り。
    1900年代、パリに現れた「バレエ・リュス」は、
    その自由奔放さでバレエに革命を起こした。
    更に、美術・音楽・文学・演劇などの総合芸術として、
    それらの分野にも影響を与えた。
    前時代であるロシアのディアギレフ、「バレエ・リュス」と
    ディアギレフ死去からのその後を、豊富な資料と共に綴る。
    言わば「バレエ・リュス」集大成な本です。海野先生、多謝!
    前時代でもあるロシアでのディアギレフと周辺の芸術家から、
    「バレエ・リュス」の時代、そしてディアギレフ以後、更に、
    同時代の舞台芸術等を紹介し、説明、数多くの画像・写真を
    掲載しています。味わいのある当時のモノクロ写真、
    バクスト、ブノワ、ゴンチャローワ、ピカソ等の
    鮮やかで大胆な舞台芸術の画像の強烈なこと。
    華やかな衣裳のダンサーたちが動くのが想像出来ます。
    未発表の舞台や衣裳デザインが掲載されているのも、嬉しい。
    成功しようとも、失敗しようとも、常に新しい芸術の潮流を
    取り込む柔軟さ・・・ディアギレフ自身は感情の起伏が激しかった
    ようですが、プロデューサーとしての先見さの素晴らしいこと!
    「バレエ・リュス」を知りたい人には必見&必読の一冊です。

  • 美しい本

  • バレエの世界は全く無知の当方ですが、色んな有名人が登場してきて知識・教養がなくとも楽しめます。
    何となく映画が登場する前の娯楽の王様、という感じがしなくもなく。そしてアメリカのミュージカルに繋がる気もしなくなく。それ位、当方の幼稚に過ぎるバレエのイメージからすると総合芸術やなぁと。
    ただ、それらをすべて飲み込んで、ここに登場するエリア、すなわちキエフ、オデッサ、ペテルブルグ、モスクワ、、、この地域は一体の文化圏で、彼の人物の妄信は一定の根拠でもあるんでしょうか。。。結構複雑な、石を飲み込まされたような気持を否定できず。。。

  • 昔(1998年)、セゾン美術館「ディアギレフのバレエリュス展」を見に行きました。
    あの時の感動、興奮が甦ります。
    鮮やかな色彩。総合芸術の極み。

  • バレエ・リュスの華麗なる歴史をこれ以上ないほどたっぷりの美しい図版で綴った本。これで3800円は安すぎる。

  • ヴィジュアル資料の量は少なくとも日本語文献では過去最強(1998年のセゾン美術館図録をも凌ぐ)で、他では見たことのないものが次々に出てくる。バレエ・リュス旗揚げ以前のロシア美術からの流れを辿る構成によって新しい視野を開いてくれる。

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著者プロフィール

美術評論家。1976年から平凡社『太陽』の編集長を務めた後、独立。幅広い分野で執筆を行う。

「2023年 『アジア・中東の装飾と文様』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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