- Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
- / ISBN・EAN: 9784762832291
作品紹介・あらすじ
「遊び=自発的な活動」というのは本当か? これまで「自発的な活動」として捉えられ議論されてきた「遊び」。本書では,「いいこと思いついた!」という現象を切り口に,「中動態」や「天然知能」などの概念を参照しながら「自発的な活動としての遊び」について多角的に検討する。そこから見えてくる「遊び」の本質とは。
[主な目次]
●第Ⅰ部 「いいこと思いついた!」の理論的背景
第1章 「自発的な活動」と見なされている遊び 【矢野勇樹】
第2章 「個人化」という力学 【矢野勇樹】
第3章 「実体論」から「関係論」へ 【矢野勇樹】
第4章 中動態と関係論の関係 【矢野勇樹】
●第Ⅱ部 「いいこと思いついた!」が切り拓く世界
第5章 遊びの語り方を変えよう―中動態としての遊び 【久保健太】
第6章 「遊び心」と「しごと心」 【佐伯 胖】
第7章 養成校の視点から遊びの指導を問い直す 【岩田恵子】
第8章 「森のようちえん」実践における「いいこと思いついた」を考える 【関山隆一】
感想・レビュー・書評
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今まで疑問に思ったことがなかったことを改めて問い直してくれていて、おっっもしろい!!
わくわくする読書体験。
まだ読み途中なので、読み終えたら追記したいと思います。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
自発的な活動とは、そんなに自主的でなくてはいけないの?、いいこと思い付いたくらいから遊びが生まれてきた方がいいんじゃないの?
中動態
個人化
個人能力主義、個人化に対して私はアンチテーゼを語りたい、そんなにも個人なのか、自己責任なのかと、
なんで怪我と弁当自分持ち、自分の責任で自由に遊ぶにプレーパークはなってしまったのか、それは歴史時代背景が絡んでいる
実態論から関係論へ
関係やその文脈から、関係から、自分の回りから、意志が生まれてくる、自分で決めているように思ってもそれは関係の中で決めていることである。
文化的実践:よりよくこうしようということを他者にも語りつつ残していくことこの全体がそうである。
文化:いい生活の有り様
中間的な関係、中動態
ガダマー
遊びは遊ぼうと思ったときにはそれは遊びではなく遊び自体が遊びである
西村「遊びの現象学」
遊び「軽快に動揺し、ゆきつともりつ徘徊する、あてどなく自在な往還運動」
遊びがあるという日本の言葉をみると、歯車、人生、梁、
物理的な余地(遊隙ゆうげき)と態度としての余地(遊動)がある、遊動はわたしという存在があるその人の身構えである
遊戯関係、主体客体を分かちがたく行き来する
これはあくまで関係があるということなので、わたしが存在してその後関係が結ばれる。しかし中間的な、、、といったときの関与ということは曖昧になっている
その関与の研究から中動体の研究になる
国分、森田「芸術の中動態」
メルロポンティ
見るー見える、主体ー客体の枠組みを越えたもの
見えるは自然発生性を考えることができる作為的ー自然的