- Amazon.co.jp ・本 (205ページ)
- / ISBN・EAN: 9784763132437
作品紹介・あらすじ
ミリオンセラー『生き方』待望の続編が、15年の時を経て刊行!
すべては〝心〟に始まり、〝心〟に終わる。
京セラとKDDIという2つの世界的大企業を立ち上げ、JAL(日本航空)を〝奇跡の再生〟へと導いた、当代随一の経営者がたどりついた、究極の地平とは?
これまで歩んできた80余年の人生を振り返り、また半世紀を超える経営者としての経験を通じて、著者がいま伝えたいメッセージ――それは、「心がすべてを決めている」ということ。
人生で起こってくるあらゆる出来事は自らの心が引き寄せたものであり、すべては心が描いたものの反映である。それを著者は、この世を動かす絶対法則だという。
だから、どんな心で生きるか、心に何を抱くかが、人生を大きく変えていく。
それは人生に幸せをもたらす鍵であるとともに、物事を成功へと導く極意でもあるという。
つねに経営の第一線を歩きつづけた著者が、心のありようと、人としてのあるべき姿を語り尽くした決定版。
よりよい生き方を希求するすべての人たちに送る、「稲盛哲学」の到達点。
感想・レビュー・書評
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京セラの創設者、稲盛和夫さんが"心"について語った本。
仏教の精神がベースにあっての考え方だが、「人生は心のありようですべてが決まっていく。」とのこと。
・「利他の心」で生きることが大切。
・目の前に現れた状況がいかに過酷なものであっても、それに対して恨んだり、卑屈になったりせず、つねに前向きに対処していく。
・よいときも悪いときも感謝の思いで受け止める。
・その瞬間に「できる」と思えば実現できる。成功の秘訣は諦めないこと。
・リーダーにもっとも大切な資質は"心"=人格、人間性。人格とは「性格+哲学」。
・「人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力」
・「運命とは、その人の性格の中にある」(芥川龍之介)
・瞑想や座禅など、毎日短い時間でもよいので、心を平らかに鎮めるひとときをとる(真我の状態に近づく)。 -
京セラを創設し、KDDI、日航など名だたる企業を率いてきた伝説の経営者、稲盛和夫
これまでは、アメーバー経営などの経営手法などの解説が中心であった。が、この本は違う。
「心」に中心を置いた書である。そして、宗教色も和らいでいる。
・すべては”心”に始まり、”心”に終わる
・利他 他を利する すなわち、「自分のため」は後回しにして、「他人のため」を優先する
気になったのは以下です。
・どんな劣悪な環境であっても、できるかぎりの仕事をやってやろうと肚を据え、研究室になかば泊まり込むほどに研究開発に没頭したのです。
・ただ考え方を改め、心のありようを変えただけで、自分をとりまく状況が一変した。
・いかに生きるかという問いは、すなわちいかなる心をもつかと同義であり、心に何を描くかが、どんな人生を歩むかを決定します。
・何事かをなそうとすれば、いかなる困難にも負けず、果敢に突き進む強い意志、何があってもなしとげるというすさまじいまでの熱意が必要です。
・人生の目的とは、まず一つに心を高めること。いいかえれば魂を磨くことにほかなりません。
・目の前に現れた状況がいかに過酷なものであっても、それに対して恨んだり、卑屈になったりせず、つねに前向きに対処していく―それこそが、すばらしい人生を生きる秘訣なのです。
・大切なのは、いかなるときでも、「感謝の心」をもって対するということです。
・いついかなるときでも、すべてのことに感謝の心で対応する
・感謝の心は、他者に対してへりくだる気持ちがないと出てこないものです。
・感謝の心の育む源泉となり、よりよく生きるための根っことなるもの―それは、謙虚な思いです。
・「清らかな人間ほど、目の間の目標も、人生の目的も、けがれた人間よりもはるかに容易に達成できる傾向があります」
・目の前にあるなすべき仕事は全精力をかけて没入することです。
・精進:何事にも懸命に取り組み、努力をしつづけること
・「相手が得をするよう」にという思いを基準に判断したことは、すべて成功してきたと明言できます。
・「一家が仲睦まじく暮らすにはどうしたらいいか」―「みながそれぞれ、少しずつ欲を減らすことだ」
・その瞬間に、「できる」と思えば実現できる
・「一度や二度で尻尾を巻いてどうする。目の前に立ちはだかるのがどんなに高い壁のように見えても、まず『かならず越えられる』と思う事だ。」
・「ダメだと思ったときが仕事のはじまり」
・これまでの作業を振り返って改善すべき点や気づいたことがあれば、いても立ってもいられず、深夜まで仕事を続けてしまう。
・成功させる その秘訣は何かと問われたら、ただ一つ「あきらめない」ことなのです
・「かならずできる」と信じ、途中でいかなる難局を迎えようと、またどれほど大きな障害物が現れようと、けっしてあきらめることなく会読みを進めていく。そのことが、いかなる困難にも打ち勝つ力となり、大きな成功へと導いてくれるのです。
・一生懸命に仕事に打ち込む 感謝の気持ちを忘れない つねに謙虚で素直な心をもつ
・この変化の激しい時代においては、外的環境がどんな状況であっても「何が何でも達成する」という燃えたぎるほどの強い意志をもたなければ、会社を発展成長させていくのはむずかしいでしょう。
・そのときに必要なのは、けっしてあきらめない心と、どんな困難や壁も突破していこうとする強靭な精神なのです。
・曲がったことを許さず、正しいことに貫く”気骨”のようなものでした。
・正しいことは正しいといい、曲がったことを許さない
・私はどんな局面であっても、自分にとって損か得かといった基準ではなく、正しいかどうかで行動する―つまり「正道を貫く」ことで困難を突破してきたように思います。
・南洲翁遺訓 道を行ふ者は、固より困厄に逢ふものなれば、如何なる艱難の地に立つとも、事の成否身の死生抔(など)に、少しも関係せぬもの也
・西郷自身、事にあたって筋を通し、誠を尽くし、正道を貫いたために、若いときからさまざまな辛酸をなめてきましたが、その艱難辛苦をいわば糧として、何事にも動じない山のような不動心を培ったのです。
・組織はそのリーダーの「器」以上のものにはならないものです。
・リーダーという立場にいる者はすべからく自らの心を磨き、人格を高める努力を続けていかなくてはならない。
・大なり小なり集団を率い、人の上に立つ役割にある者であれば、何よりもまず美しく高邁な心をもつよう精進しなければならないのです。
・多弁な才覚や鋭敏な機知よりも、まるで岩のようにどっしりとして揺るがない、重厚な人格のほうを尊重する
・経営をしていくためには、「私はこの会社をこういうふうに経営していきたい」「将来はこんな会社にしたいのだ」と自らの考えやビジョンを社員、従業員につねに伝え、理解してもらう努力を払わなけばいけません。
・「怒り」「欲望」「愚痴」―この三つを仏教では「三毒」といって、心を濁らせ、惑わせる元凶であると説いています。
・現実とは、たった一つの真実が投影されたものです。
・人生とは実にシンプルなものといえます。利他の心をベースに、日々の生活の中で、できうるかぎりの努力を重ねていく。そうすればかならずや運命に好転し、幸福な人生が訪れます。
<稲盛氏の読んだ著書>
考え方~人生・仕事の結果が変わる 大和書房
アメーバ経営: ひとりひとりの社員が主役 日本経済新聞出版
稲盛和夫の実学―経営と会計 日本経済新聞出版
生き方 サンマーク出版
京セラフィロソフィ サンマーク出版
<稲盛和夫オフィシャルホームページ>
https://www.kyocera.co.jp/inamori/
目次
プロローグ
第1章 人生の礎を築く
第2章 善なる動機をもつ
第3章 強き心で成し遂げる
第4章 正しきを貫く
第5章 美しき心根を育てる
ISBN:9784763132437
出版社:サンマーク出版
判型:4-6
ページ数:208ページ
定価:1700円(本体)
発売日:2019年06月25日初版発行
発売日:2022年09月20日第22刷発行 -
「心がすべてを決めている」
JALの再建も「心の改革」が源。
「謙虚」と「利他」を在り方とすること。
本書を体現する生き様を刻みたいものです。 -
読んで良かった。心や精神の規範となる言葉に出会えた。心を磨き他につくすこと、利他の心、感謝の心。ありがとうと言える心の準備。他者に対してへりくだる気持ち。目の前にある、すべき仕事に全精力をかけて没入する。経営者に送りたい本。
-
稲盛さんだけでなく、中村天風さんや他の偉人のように、達観した人達の考え方にはどこか共通点がある。仏教がベースのため、おそらく日本人の心に1番しっくりくるのではないだろうか。稲盛さんの著書はいつもそうだが、本書もまた読むだけで心が洗われるような、高潔な説法を受けたような気分になれる。
以下本書より抜粋。
「私は人格とは『性格+哲学』という方程式で表せるものだと考えています。哲学とは噛み砕いて言えば、考え方のこと。生まれついた素質としての性格に加えて、どのような考え方を持って人生を歩いているかを加味しなければ、人を見抜くことはできないのです。」 -
「利他」という考え方。著者の考えの基本である。誰かのためになることをする。半ば当然なことではあるのだが、これがなかなか難しい。
人生で起こるすべてのことは自分の心が引き寄せたものである。納得。 vf -
先日読んだジェームズ・アレンの『「原因」と「結果」の法則』に通じると思いながら読んでいると、まさに引用する箇所もあった。人は心掛けで変わる、考えた通りになる、というのは普遍とまで言えなくとも、多くの人が信じるところなのは間違いないのだろう。
どれだけ当たり前のこと、正しいと思ったことを実践できるか、それが重要なのも明確。これだけ自分の信念を徹底的に貫ける、それが著者を特別な存在にしているのだと思う。『人間としての正しさとは、「正直であれ」「人をだますな」「思いやりを大切に」』
感謝する心を忘れない、という話もあった。これは、小林正観の『100%幸せな1%の人々』や、他の本にも登場する。小林正観の本では、嘘でも「ありがとう」を5万回口に出し続けると、何かが変わるとあったような。
「宇宙普遍の法則」という行もあるが、ここは唯一、違和感を感じる部分。他に例えよう、説明のしようがないからなのか。他の本でも登場するが。
「根拠もなく人をおとしめようとする人たちは、ほうっておけばそれ相応の報いを受けるもの。そのような人が近づいてきても、同調したり、対抗したりしなければ、彼らはやがて静かに去っていくものです。」 -
直球で「心。」と題されている。2019年末で長年主宰してきた盛和塾も終了するという稲盛氏の集大成ともいうことができるのかもしれない。いかに「心を高める」ことが重要なことなのかを滔々と述べ、美しい心がよいことを引き寄せると書く。そこには仏教の教えをときに引きながら説明され、論理的な説明は薄いが、自らの経験と結果を通してそれは示されているのだと説く。集大成ということですべてをまとめるというよりも、できるだけ平易に多くの人に自らの考えのエッセンスが届くようにという想いで書かれているように感じる。そのエッセンスは次の通りだ。
「いま多くの人たちに伝え、残していきたいのは、おおむね一つのことしかありません。それは、「心がすべてを決めている」ということです」
そして、すべてのことが自責によって起こっているものであるのだから、それは受け入れるべきものであり、さらに心を高めるための切っ掛けにすべきものなのである。
「人生とは心が紡ぎだすものであり、目の前に起こってくるあらゆる出来事はすべて、自らの心が呼び寄せたものである」
さて、この本を読んで何を思ったかというとックス・ウェーバーの古典『プロテスタンティズムと資本主義の精神』いわゆる『プロ倫』のことだ。「心」が大切だという稲盛氏の言葉が、プロテスタントの教えが資本主義の発展につながったと論じた『プロ倫』に書かれていることとを現代において示していると感じたのだ。『プロ倫』でウェーバーは、利益を求める活動が市場で調整されて発展するとされる資本主義が、自らの利益のために活動することを是とするような考えの下ではなく、逆に禁欲的なプロテスタントの社会で発展したことについて、その禁欲的な教えこそが逆説的に資本主義の発展につながったということを示した。
「自分が持つ才能や能力は、けっして自分の所有物ではなく、それはたまたま自分に与えられたものにすぎない。私がやっている役割を他のだれかが演じても、何ら不思議はないし、私の能力も、私のものでなくてもいっこうにかまわない。だからこそ、それを自分のためだけに使うのではなく、世のために使うようにしよう - そう考えるようにしたのです」
上記の考えは京セラが上場を果たし、多額の財産を手に入れたときに稲盛氏が考えたことだという。全員が自らの利益を求めて行動することで資本社会が発展するとした資本主義の理論とは異なり、禁欲的な考え方こそが資本の再投資を促し、価値の蓄積に努め、資本主義の発展につながった、というのが『プロ倫』の分析である。稲盛氏のここでの考え方は、まさにその考えと相同ではないか。
特に次の言葉は、『プロ倫』の鍵となる「天職」の概念にも結びつく。「天職」は神により与えられたものであり、人々の義務はその「天職」を通してできる限り多くの貢献を行うことであり、利益が世の中の役に立ったことの証拠ともなるという考え方である。
「私たちが自分のものと考えているものはみんな、現世における一時的な預かりものにすぎません。また、その真の所有者がだれであるのかを私たちは知る由もない。そうであるからこそ、私たちはそれを自分のためではなく、世のため人のために使わなくてはならない」
プロテスタントの基軸となるカルヴァンの予定説は、ある意味で神の超越を示すもので論理的な教えであるが、一方でキリスト教徒を不安にさらすことになった。なぜなら、この世で功徳を積むことで天国に行けるのではなく、天国に行けるかどうかはすでに決まっている中で日々教えに沿って行動せよというものであるからである。
その中でプロテスタント教徒は、自らに与えられた「天職」を一心にこなして社会に貢献することで、そういうことができているという事実が自らが神に選ばれたものであることを示すものであると考えることで心の平安を手にしたのである。天職への没頭によって「魂を磨くこと」こそ、予定説によって不安に苛まれることとなったプロテスタントが一心に行ったことに他ならない。そして、だからこそその仕事への打ち込み方は際限がなく、これだけ儲かったから十分だとするのではなく、またその利潤を放蕩するのではなく、次の投資に回して事業を大きくすることにつながったのである。
本書の中の次の文章は、まさしく『プロ倫』の「天職」の概念をそのもののように写し取ったかのようである。
「このように、目の前に与えられた仕事を懸命にこなすことが、何にもまして心の修養となる。日々の労働によって心はおのずと美しく磨かれ、人格は陶冶されていくのです」
「天職」という言葉は、勝ち目の薄い業界の中で驚異的な成功を収めたナイキ創業者フィル・ナイトの自伝『SHOE DOG』にも出てくる。利益の追求よりも「天職」が大いなる成功につながることが示される。フィル・ナイトは自著の最後近くで次のように語る。
「20代半ばの若者に言いたいのは、仕事や志す道を決めつけるなということだ。天職を追い求めてほしい。天職とはどういうものかわからずとも、探すのだ。天職を追い求めることによって、疲労にも耐えられ、失意をも燃料とし、これまで感じられなかった高揚感を得られる」
フィル・ナイトは靴という「天職」を見つけたことによって、彼自身の欲望の枠を超えてナイキという会社を大きくすることができたのである。
2007年5月に資本主義の私欲の塊が渦巻くような東京証券取引所で稲盛氏は次のように語ったという。こちらの言葉も本書の内容とほぼ同じであるが、より一層『プロ倫』との内容の相似性がよくわかる。
「『半導体が勃興していくには、ある人間が必要だった。たまたまそれが「稲盛和夫」であっただけで、ほかの存在が「稲盛和夫」と同じ才能を持っていれば、その人が代行していてもよかったはずだ。私が一介のサラリーマンであってもおかしくはない』
つまり我々が生きている社会は、壮大なドラマだと思うのです。劇場です。その劇場で、たまたま私は京セラという会社をつくる役割を担い、京セラという会社の社長を演じることになった。ただし、それは『稲盛和夫』である必要はなく、そういう役割を演じられる人がいればよい。たまたま、私であっただけなのです。
今日は主役を演じているけれど、明日の劇では別の人が主役を演じてもよい。にもかかわらず『オレが、オレが』と言っている。それこそが、自分のエゴが増大していく元になるように思うのです。
自分の才能は、世のため人のため、社会のために使えといって、たまたま天が私という存在に与えたのです。その才能を自分のために使ったのでは、バチが当たります。エゴを増大させていっては身の破滅だと思った私は、それからエゴと闘う人生を歩いてきました」(2007年5月 稲盛和夫 東京証券取引所にて)
引用元: https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19nv/00124/00016/
稲盛氏と『プロ倫』の違いは、プロテスタントの世界では宗教とその道徳がその行為の必然性を一定程度保証をしていたが、現代においては宗教はそのような形では働かないということである。したがって、稲盛氏の言葉が宗教に近しい色を帯びるのは必然のことのように感じる。それは、自らの心を高めるだけではなく、周りも同じように心を高めることを要求する。
「十分に魂が磨かれ、清らかで美しい心で生きているならば、まわりにいる人の心も同様に美しくなっていくはずです。そうならないとしたら、まだまだ自分の心の”修行”が足りないせいだと思わなければなりません」
その結論として、稲盛氏の考えの下にあっては、従業員を大切にするが、その従業員は同じように高い心を持っていなくてはならない。言い換えると「信者」である必要がある。救われるのは、彼らが信者であるからである。本書の中でも悪しき心を持つ人にはかかわらないのが最善の策とも言い、結果、信者であれば救われるというものである。
「京セラが株式上場を果たし、思いがけない大きな資産を持つにしたがって、私は少なからず戸惑いを覚えるようになりました。そこで、財産とはけっして自分個人の持ち物ではなく、社会から一時的にお預かりしたものにすぎないと思うようにしたのです」
上記は、正しく資本主義の精神として、プロテスタントの資本家が当初持っていた心意気でもあった。
「本書で再三述べてきたとおり、人生は心のありようですべてが決まっていきます。それは実に明確で厳然とした宇宙の法則です」
いわゆるそれが「宇宙の法則」であるわけはなく、そもそも人生のすべてが心のありようで決まるようなものではない。「宇宙の法則」だから正しいというのでは循環論法だと言われても仕方がない。「生存者バイアス」というものを知っている人は、多くの失敗者の中でたまたま成功した人の経営ポリシーがこうだったということだと諒解するものもいるかもしれない。しかし、京セラを起業してグローバル企業に成長させ、第二電電を成功させ、JALの再生まであの短期間で成功させた実績について、それをもってたまたまであるとかその教えを「生存者バイアス」の結果であるなどとするべきではないだろう。さらに「心」について考えを進めるといくつかのことがわかる。
「いかなるときも自分の心を美しく、純粋なものに保っておくということが大切です。それこそが自分の可能性を大きく花開かせる秘訣であり、幸福な人生への扉を開く鍵なのです」
「美しい心」とはいったいどういうものを指すのか。「美しい心」を、「私心のない心」と言い替えてもおそらく大きな間違いはないだろう。では、「私心のない」とはどういうことか。「善なる動機」=「利他の精神」と言ってよいのではないだろうか。
「利他を動機として始めた行為は、そうでないものよりも成功する確率が高く、ときに予想を超えためざましい成果を生み出してくれます」
なぜ「利他を動機として始めた行為」は成功率が高いと言えるのだろうか。正に、ここでも『プロ倫』での分析がその理解に役に立つ。
利己的な経済主体が自己の利益のみを望んで市場で行動することで全体的な最適化が実現されるという資本主義社会が利己的である程度先進的でもあった中国を始めとしたその他の地域ではなく、利他的ですらあるプロテスタントの社会で逆説的にまず実現されたのか、を説明したのが『プロ倫』であった。まさしく、利他、ときに社会の発展を目的とした場合それは、利潤はその目的の達成のための手段となり、利潤の蓄積自体が目的となる。それ自体が目的となった利潤の追求は留まるところを知らず、予想を超えた成果をもたらすことになる。
稲盛氏の考え方が宗教的かと言われれば、「宗教的」とは何かという問いはあれこそすれ、おそらくは間違いなくYESと言ってよいだろう。それが、実利的で世俗的なビジネスと結びつかないのかと言われると、答えはそれどころではなくだからこそ成功したのだと言うことができるのである。
それは、ここで見たように資本主義の誕生の頃から、動力として思想があり、よくありたいとする心による際限のない達成があるからである。信念と言い換えてもよいかもしれないが、いわゆる利己的ではない心が、結果として資本主義社会における成功をもたらすのは、意外なことでも、その信念が美しいために天が味方をしてくれるからでもないのである。その集団が合わせて同じように心を高めることができるのであれば、成功は当然の帰結となるのである。
「人生の目的とは、まず一つに心を高めること。いいかえれば魂を磨くことにほかなりません」
そして、信じるものは救われていくのである。
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『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(マックス・ヴェーバー)のレビュー
https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4003420934
『SHOE DOG』(フィル・ナイト)のレビュー
https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4492046178 -
幸せは
巡り巡って
戻るもの
利他と感謝は
忘れてはダメ -
日本を代表する経営者稲盛和夫氏が行き着いた境地。それは『心がすべてを決めている』成功も災難も心が引き寄せている。KDDI創設期もJAL再生期も『動機善なりか、私心なかりしか』と自分に問き、利他の心を持ち、正しさを貫き通す。人生は心を磨き、強い心で成し遂げることの大切さを伝える本。
心を洗うために定期的に読み返すべき書籍。
利他というのが、大切なんでしょうけど。
そんな心持ち合わせていない人が周りにはたくさんいます、、、残念で...
利他というのが、大切なんでしょうけど。
そんな心持ち合わせていない人が周りにはたくさんいます、、、残念ですが、、、
人に関心を示さない時点で、人の幸せなんて考えないですよね。ほんと、そんな人は多いです。
丸運という物流会社に在籍していたことがあるんですが、創業時の経営理念が「利他自利」というものでした。「他人のために利益を図ることによって、初めて自らも利益を得ることができる」というものでした。
そういう心持ちや、行いを、心がけたいですね。
利他の境地に達するのは難しいですが、まずは、周りの人に関心を示すことから、ということで...
利他の境地に達するのは難しいですが、まずは、周りの人に関心を示すことから、ということですね。私も心がけたいと思います。
丸運さんの「利他自利」という経営理念もよいですね。
でも、そういう人が周りに増えると、すごいよい環境になりますよね〜
私もそうなりたいと思いますし...
でも、そういう人が周りに増えると、すごいよい環境になりますよね〜
私もそうなりたいと思いますし、そういう人が増えていくことを願っています(^^)