- Amazon.co.jp ・本 (299ページ)
- / ISBN・EAN: 9784763134363
作品紹介・あらすじ
もう、「男らしさ」の檻の中で生きるのはやめた。著者が体を張ってのぞんだ、驚愕のノンフィクション。
感想・レビュー・書評
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仕事でも成功し、結婚もしている男性が、まさしく題名のとおり『女装して、一年間暮らしてみ』た。
きっかけは、冬の寒さ対策に女性用のストッキングをはいてみたこと。恥ずかしさがあったものの、その快適さに、はたと考えた。
この恥ずかしさはどこからくるのか。
男がストッキングをはくと、男ではなくなるのだろうか。
男と女の違いとは何だろうか。
男が女装したら、内面的に何かが変わるのだろうか。
そうして始めた実験としての女装だが、徐々に心地よくなってくる。
それは“オカマ”だとか、“女装趣味があった”とかではなく、“男らしくある”ことからの開放だった。
化粧をし、ミニスカートをはき、むだ毛処理をし、ハイヒールを履き、乳房をつけ、婦人科の検診受け…。
この徹底ぶりは、おかしくもあり、驚きでもあり。
男だとか女だとか、性別や外見は関係ない。みんな同じ人間。隔たりを取り払うと、きっと心地よいのだろう。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
著者が女装するのは「実験」ゆえだが、それは「『女性なるもの』を知る」ためのものではない。どちらかというと、男でありながらこれまで知らなかった・「こういうもの」と思い込まされ、がんじがらめに抑圧されていた「『男性なるもの』の真実を知る」ためのものだった。
生物の基本形は女性であり、男は「女のできそこない」なのだという。であるならば、外形と同じく内面もまた、女たちの優しい共感に満ちたふれあい、礼儀正しい態度、節度あるしぐさ、清潔で身ぎれいなたたずまいこそが「スタンダード」なのではないか? 男たちの、互いに相手に優越し、自分を大きく見せようとする虚栄に満ちた意地の張り合いや、すぐ隣にいる相手の感情にすら微塵も配慮しない無骨さ、それが「男らしいから」と刷り込まれた野蛮で粗野で馴れ馴れしい振る舞いなどにいやけがさしているのは、ひとり女性たちのみではないのではないか…?
「男として」十二分の成功を収めていながら、著者は幼いころから強いられてきた「男らしさ」にうんざりする。「男であるならば」、敵意や闘争心を剥き出しにし、無遠慮に振る舞わなければならない。優しさや清潔さを求めるならば、それは「男らしくない」——。
この手の男性は別に前代未聞ではないが、著者が画期的だったのは、彼が「女になりたい」人ではなかったことだ。男に生まれた自分、男である自分には、疑問も不満もない。いやなのは、強制される「男らしさ」。しかし、本当のところ、それはいったい何なのか…?
「男らしさ」の不自由とやらを声高に訴えかける言説は多い。しかし女の私にとっては、他ならぬその男たちによってもたらされている女の不自由さのほうが、はるかに深刻な問題だ。だからこれまで微塵も心を動かされることはなかったが、本書を読んで、女になりたいわけでもないのに化粧をして「男」から「降り」ないことには「男らしさ」とやらから逃れられない男性たちも、確かに哀れなものだと思った。
ただ、それにしても、女を生命が脅かされるレベルで縛り付けている「女らしさ」にしても、作り出したのはどちらも男たちだ。被害者であり加害者であることを肝に銘じた上で、早急にこの社会を改善してほしいものである。
冒頭、「女性もの売り場はなんて華やかなんだ! それにひきかえ男は、みすぼらしくて、みじめで…」と言い出した時には先が危ぶまれたが、やがて我が身で経験するにつれ、女であるゆえ(に男によってもたらされる)苦難も、きちんと認識できるようになる。男の妄想の中の、ふわふわした「男にチヤホヤされてラクな女の子」ではないリアルな女性のありさまを知ってなお、おしゃれや女子会を楽しめる著者の姿は、確かに本人が志向したように「自由」だ。
生物の基本形が女であるならば、男も女も、「旧来のいわゆる女らしさ」——共感や、協調や、清潔さや、穏やかさや、静かさを持って生きられれば、世界はもっと平和になるのかもしれないと思った。不要なのは「男」というより、「男らしさ」だったのだ。
2015/7/19読了 -
この本は、高野秀行さんがツイッターに感想を書いていたので知った。自分ではまず目がいかない本がよく紹介されていて、それが好みではなくてもインパクト大であるものが多い。これもそんな一冊。
ゲイというわけではなく(妻もいる)、女装趣味でもない、世間的には成功者である男性が、一年間女性の格好をしてすごし、その間の自らの内面や周囲の反応などを綴っている。読む前は多少ユーモラスなフェミニズムからのアプローチかなと思ったが、そうではなくて、あくまで個人的な探究心、シビアな内面への問いかけから始まったものなのだった。
著者は、寒い日にデパートで女性用ストッキングを買ったことをきっかけに、自分の中の「女性性」ととことん向き合っていく。これがまあおそろしく徹底している。妻とは(一時的にだが)深刻な危機を迎え、友人のほとんどは去って行く。偏見かもしれないが、このあたりの突き進み方がいかにもドイツ人だなあという気がする。曖昧なごまかしを許さない感じで。
自分の行動や周囲についてもとことん考察する。くどいくらいに、もう考えに考える。さすが哲学の国の人だ。このあたりを面白がれるかどうかが評価の分かれ目かもしれない。私はちょっと胸焼けしました。それと、ドイツでも女性ってこんなセクハラや暴力にさらされているのかというのがちょっとした衝撃。187センチという長身で、細身とはいえ骨太の筆者が、常に性的な視線で見られ、声をかけられ、挙げ句の果てあわやというピンチに陥るのだ。うーん、オソロシイ。 -
大学一年生くらいで意識高いぶって読んだ
きっかけや心の変化など丁寧に綴られていて具体的にイメージできたし考えさせられて面白かった
ドキュメンタリーで観たい -
めちゃめちゃ面白かった。まず翻訳が秀逸ですね。ぼくとかおれとか私とか、使い分けうまい。
自分が女だから、男性が女装するとこうなるっていうのが新鮮で面白い。
そもそも付けおっぱいはわかるとして、アタッチメント式の乳首があるなんて誰が思うか!
ただ逆に、これが女性が男装して男として生きてくとなると、難しいんだろうなって思うのだけど、どうなんだろうな。 -
これは大変興味深かった!!!!
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「男らしさ」「女らしさ」「あるべき姿」というような抑圧は誰にでもあるのでは…。
なぜ女装して生活することをやってみたのか、そのきっかけから気づき、嫌な経験、良い経験などなどが綴られている。
自分に対しても他者に対しても、「こうだからこうであるべき」というような意識を持ってしまうことに対して自覚的になりたいと思う。そこから、なぜそう考えてしまうのか掘り下げられるように思うから。 -
男性として、結婚もして妻と良い関係を築き仕事も上手く行っている、そんな著者様が「実験」と称して女装したときの体験を綴った本。一歩引いて肩肘張ることなく読める。
服装や化粧や立ち居振る舞いにに四苦八苦する様子は微笑ましく、新たな発見は興味深く、女装したことや女性に見られたことで嫌な思いをした記述は苦しく、…とにかくエッセイ(?)なのに感情ジェットコースター。うまく感想をまとめられないけれど、性とは、性別とは、決めつけや線引きできるものではないんだな、とだけは言えるようになった。