賢治の学校: 宇宙のこころを感じて生きる

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  • サンマーク出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (261ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784763191403

作品紹介・あらすじ

みんなが賢治にかえる、みんなが賢治になれる。教育の理想のかたちがここにある。親へ、教師へ贈る書。

感想・レビュー・書評

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  • 生徒の中に大事件が起こらないような授業は授業ではない。(林竹二)

    鳥山さんは子どもの体にある,本質的なものに興味があった。病んでいる体をこわばっている体を解放させ,五感を開く授業を徹底的にやってきた人だ。宮沢賢治との接点がそこだったなんて。今まで賢治に興味がなかった私にはショックだった。これからでも遅くない。賢治を読もう。賢治の童話を声に出してからだで読もう。

    賢治は自分は「ヤマグミの木」だという。ヤマグミの目で改めて自然や人間・社会を見直す。人間は自然の宇宙の一部という認識からスタートしないと賢治も鳥山さんも理解できない。

    賢治は茶目っ気もたっぷりある教師だった。「学校は楽しく勉強する所なのです。」ときっぱり言える人だった。「もしおぼれる生徒があったら,自分も飛び込んで行って一緒におぼれよう。」そう言ってのけるすごい人だ。スケールがちがう。彼は無邪気な天才である。

  •  賢治の生き方から学び,閉塞した現在の社会を生きぬくための本当の「からだ」を手に入れようではないか…という呼びかけの書です。
     賢治に関する評論は数あれども,賢治から何を学ぶのかを真摯に追究した本は,あまりありません。賢治が完全無欠な人間であったわけでもありません。だからといって,「賢治のここは,不十分」と追究したとこで,読者自身は何も変化しない。著者は,賢治から学べるところはしっかり学び,自分の人生に活かせるところは活かしていく…そういう態度が大切だと言います。
     鳥山さんは元小学校教師で,現役の頃から,からだ全体で自然とぶつかる実践をしてきました。それらは,月刊誌『ひと』にも発表されてきましたし,その中のいくつかは単行本にもなっているはずです。
     鳥山さんのいう「賢治の学校」というのはどんなものなのか,本書の最後に掲載されている津村喬氏の寄稿より引用しておきます。

     星の数ほど「賢治の学校」を,というのは夢物語のように聞こえるかもしれない。…ただ賢治のような感性をもった「からだ」に気づき,学びを持ち寄って親たち,子どもたち,教師たちのいのちの場をお互い支えあってつくっていこうという呼びかけであるから,賢治のことばにふれてからだのなかに動くものがあった人の数だけ「賢治の学校」がそこからはじまっていっても少しもフシギはないのである。だれにとっても「それ」が起こるというのは,実はそんなにむずかしいことではない。(本書260ページ)

  • 教育論、社会批判的としてはありきたりであるものの、

    なにか大きな起点となるような、

    皮膚の震えを感じた本。

    この出会いを大切にしていきたい。

    農民芸術概論網要の精読も。

    比較をしない、優劣はない、ただからだとこころの赴くままに生きる、

    それに寄りそうおとなでいる。

    人にわかってもらおうとしない。

    けれど説明はする、わかりやすく、噛み砕くようにして。

    大切なのは、宇宙と心の呼応に呼ばれ、進むこと。

    「生徒の中に大事件が起きないような授業は授業ではない」

    「子どもたちのからだにとって必要でないものをいくらぶつけても、事件は起きない。からだやこころが本質的に求めているもの、人間の勘や勘定を超えたものをスパークさせる」

    「いつも何かを意図し、こういうふうに教育してやろうというのが授業とされているが、そういうものは決して生徒には伝わらない。伝わるのは、無意識のうちにからだから溢れ出てくるものだけだ。」

    「無意識部からあふれ出るものでなければ多く無力か詐欺である」

    「子どもを早く物質欲から解放するには子どもが欲しいと思うものをそれ以上に与えてやればよい」

    「世の中なんてこんなものだ。このへんで妥協しておこう というのが賢治にはなかった」

    「読んだ本の断片が、賢治が体で感じていたものにことばを与え、賢治の思想をかたちづくるヒントとなった」

    「花を見ても、花のひとつひとつのことばが賢治には本当に聞こえたいた」

    「人に何かを与えたことで見返りを期待しない」

    「人間は自分のなかにあるものを外界から感じる。自分の中にないものは感じられない」

    「だれが正しいか、だれが賢いか、誰が偉いか、本当にはわからない」

    「人の王の栄えのほうが野の百合よりも優れているとか、野の百合のほうが人の栄よりもすぐれているというように比べたりはしない」

    「どこまでもからだが向かう方向に行く。それしかないからそうする」

    「生活のために削られ、あきらめ、よどみ、鈍くなった己の感性を、これでいいのかと揺さぶる。そういうものを感じさせてくれる人というのは、それほどどこにでもいるものではない」

    「そのようにしかできないから、そのようにしているだけなのである」

    「人にわかってもらうことをしないというのは非常に大事なことのような気がする。いまわからないことでも、自分のからだから生まれた本質的に大事なことは必ず残る。そういう絶対的な信頼と自信が賢治にはある」

    「自分のやっていることをわかってもらいたいということと、自分の伝えたいことを相手の体に働きかけ、相手が理解していけるように工夫していくことは別」

    「賢治にそういう授業が出来たのは、生徒の体の奥に持っているもの、宇宙からもらっている力をみていたから」

    「人間は何のためにうまれてきたんですか―なんのために生まれてきたか、それを考えるために生まれてきたのです。」

  • むかーし買って、そのまま。

  • 宮沢賢治教職時代の生徒の話や教育者としての著者の体験がまじりあった、暖かな書物。
    一筋縄では現せれない多様な顔を持つ賢治の、光の部分が読みたい人におすすめ。

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著者プロフィール

1941年、広島県に生まれる。64年、東京都で小学校教師に。60年代の教育科学運動のなかで、地球・人間の歴史の授業や鉄づくり・米づくりの授業といった先駆的な仕事を生みだす。それらは『ひと』誌(太郎次郎社)に公表された。さらに、そうした実践を超えるために、70年代、竹内敏晴らの「『からだ』と『ことば』の会」に参加、「こんとんの会」で真木悠介と出会う。80年代をとおして、「奇跡的」といわれるいきいきとした授業内容を、子どもたちとの空間に次々と切り拓いてきた。その内容は著書および映画「鳥山先生と子どもたちの一ヶ月間 からだといのちと食べものと」(グループ現代、1985)などに記録されている。現在、『賢治の学校』代表。◎おもな著書『からだが変わる 授業がかわる』(晩成書房、1985)、『いのちに触れる 生と性と死の授業』『イメージをさぐる からだ・ことば・イメージの授業』(ともに太郎次郎社、1985)、『ブタまるごと一頭食べる』(フレーベル館、1987)、『写真集 先生はほほ〜っと宙に舞った 宮沢賢治の教え子たち』(塩原日出男・写真、自然食通信社、1992)など。

「2011年 『いのちに触れる【オンデマンド版】』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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