- Amazon.co.jp ・本 (110ページ)
- / ISBN・EAN: 9784763197214
感想・レビュー・書評
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「愛と慈悲の心を育むことは、まずはじめに他者よりも自分自身にとって役立つことなのだということをはっきりと認識していただきたい」という教えが深い。
「自分自身にとって役立つ」という利己的な理由で、「愛と慈悲の心を育む」という利他を行うのは、アリなのだ。
「えっ、なんで?矛盾してるじゃん?」と思ったら、本書をお読みいただきたい。
仏教の教義について語った後半部分は難解で読んでもわからなかったけど、慈悲と執着の違いや他者との違いの受容などについて語った前半部分40ページだけでも十分に読み応えがあった。 -
先に読んだ楠木センセのダイバーシティと共通するところがあって興味深かった。
もちろん、なんとかしてその苦しみをなくすための手段を探そう、という思いは同じでしょうが、苦しみの本質を認識することができれば、窮地に立たされたとき、もうどうにもならないというような悲愴な絶望感は起きてこないのではないでしょうか。
生老病死の苦しみに対しても、これらの苦しみは人間として生まれた以上、誰にでもあって避けられないものなのだと考えるなら、それほど悲惨な気持ちにはなりませんね。
このような考え方をすれば、望まぬ苦しみに直面したときも、苦しみにうちひしがれて不幸のどん底に陥るかわりに、「この苦しみは、もともと自分の心が鎮められていなかったために起きたものなのだから、自分のかき乱された心をなんとか鎮めるように努力しよう」というような前向きな姿勢を保つことができて、絶望することがないだけでなく、その逆に勇気が湧いてくるのです。
そして、本当に考えられないような悲惨な状況に直面して窮地に陥ったときでも、もし自分に少しでも出離の心があったなら、望みを失って絶望してしまうようなことは絶対に少なくなります。
遍在的な苦とは、煩悩の力に支配されている状態のことを言います。ですから遍在的な苦を苦しみだと認識するためには、煩悩のもたらす悪い点をはっきりと知る必要があるのです。
欲望と執着という二つの言葉がありますが、その二つをはっきりと区別することが必要ですし、執着と愛情という二つの感情も、はっきり区別しなければなりません。
愛情とは偏りのないものですが、執着は偏った見方をする心です。
たとえば、もし自分の好きな人や身近な人に何かひどいことが起きてしまったとき、自分も心を痛めて、それを悲しんだり心配したりしますね。しかしそれが、「ああ、私のとても大切な人がこんなひどい目にあってしまった」という気持ちからであれば、その心は執着が混じっています。
しかし、誰かが苦しんでいるのを見て、その人が苦しみを望まず、幸せを求めているにもかかわらず、そのような状況に陥ってしまったことを理由に心を痛めるのは、愛情だと言えるでしょう。
このように、他者の苦しみを見て悲しんだり心を痛めたりするのは同じでも、一方は主に自分の側からの理由であり、もう一方は主に相手のことを思いやってのことなのです。 -
まずは、小乗仏教からなんですね
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合間に
美しい写真に優しい言葉が添えられた素敵なページがあります。
これが安らかな気持ちになり、心洗われます。
「仏教」という宗教を超えて
人間としてどうあるべきかを考えるきっかけになりました。
本当に「大きな人」とは、全てを包み込む優しさと
強さも併せ持っているのだと感じます。
読み終えた時、あたたかく、大きな何かで包まれたような気持ちになれる本です。 -
前半は日常生活から人生レベルでみて、思いやりを持つことが心穏やかで価値のある人生に繋がると説いている。後半は仏教の修行について。私という自我をなくし…となかなか縁遠い部分について述べられてるが、人生のヒントになる言葉は少なくない。ダライ・ラマの言葉はすっと自分の中に落ちてくるが、それをどう人生で実践していくかは結局自分次第。
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人間のもっている知性と、他者へのやさしさと思いやりこそ、最も大切な人間の価値
本物の愛と慈悲は、現実を広い目で巨視的に見ているため、偏見をもつことはなく、怒りの心が生じる余地もない
愛と慈悲は、相手が自分に対してどんな態度をとるかによって変わることはない。
大切なことは、全く違う考え方や違った角度からのものの見方も受け入れる、ということ。
苦しみについて理解すること、苦痛と変化と、偏在的な苦
世の中には偏在的に苦しみが存在する、だから自分の心を鎮め、前向きの姿勢をたもち、絶望すること無く勇気をもつことが必要
「私」という強い自我をなくさないかぎりは、執着や嫌悪の心をなくすことはできない
ダライラマ14世の本から
愛と慈悲か、、、まだまだだなぁ
One should count each day a separate life. -
前半、はい、うんそうよね。正しい、ことをいってらしゃるのだ、という感じ。
>本当の意味の愛と慈悲は、決して怒りの心とともに起きてくることはありません。
また相手に対する親密な感情に基づいて生じる執着の心は、相手の態度に依存しています。
相手が自分に対して友好的な態度を示し、その人がとても素敵な人に見えるとき、私たちの心には執着の心が芽生えてくるのです。
ところが、愛と慈悲は相手が自分に対してどんな態度をとるかによって変わることはありません。
>後半は宗教のはなし、ここはよんでません。
実践的な事がかいてなかったので、☆2つ。
私は実生活に即使えるものがほしい、そしてこういう即物的な欲望も、煩悩なのだと、思う。 -
日本の文化を大切にしているダライ・ラマの言葉。
仏教の現状や構造を知る本物の1冊であろう。
ダライ・ラマの言葉は、平素で同じ大地に立って生きている人なのだと
親しみと大きさを感じさせてくれる。
教えていただいたことは、
宗教を超えて、人が生きていること
すなわち「平和」であることの意味がつづられている。
そして、
いくつもある中で残っている言葉
「この世の中には、自分の嫌いな人をすべて滅ぼして、
平和な心で死んでいく人など一人もいない」
がある。
静かに自分と対話のできる一冊。