- Amazon.co.jp ・本 (190ページ)
- / ISBN・EAN: 9784768458754
作品紹介・あらすじ
欧米(特にキリスト教国)では、加害者家族がバッシングされることはあり得ない。何故、日本では加害者の家族が世間からバッシングを受け、時には自死に至るまで責められるのか。本書では世間学の観点に立ち、加害者家族へのバッシングの構造を、
①「世間」の構造
②なぜ、〈近代家族〉が定着しなかったか
③なぜ、犯罪率が低いのか
④なぜ、自殺率が高いのか
という角度から解き明かし、その背後にある、ニッポンの「世間」の閉塞感・息苦しさ・生きづらさを解除するための手がかりを探る。
なぜ加害者家族が自殺しなければいけないのか?
欧米には存在しない日本特有の概念「世間」に抵抗できない真因を追究!
感想・レビュー・書評
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【書評】 『加害者家族バッシング 世間学から考える』 佐藤直樹紹 | キリスト新聞社ホームページ
http://www.kirishin.com/book/43609/
現代書館
http://www.gendaishokan.co.jp/goods/ISBN978-4-7684-5875-4.htm詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
犯罪者本人だけでなくその家族や縁者まで非難されたり村八分のようになったり、謝罪したり引っ越しや退職など生活を変えざるをえないようなことになる構図って、日本だとそれこそよくあること。だけど、犯罪を犯したわけでもないのに家族というだけでバッシングを受けるって本当はおかしい。
この本ではそういう不条理な事例をいろいろ読めるかなという問題意識はありつつもちょっと野次馬的な思いで読み始めたんだけど、副題の「世間学から考える」というのを見落としていた。副題の示すとおりで、日本に空気のように存在する「世間」という同調・同質をそれとなく強いるものが、加害者家族を苦しい立場に追いやることのおかしさを指摘している。
書中では、世間体のために、世間を取り繕うために、何だかおかしなことになっている日本の姿が示唆される。たとえば、日本の犯罪件数は減っているが、強盗や放火が減少した一方、殺人や強制性交は増えている(p.78)とか。日本の殺人事件の特徴として、全体の55%が親族間で起きており、その割合は上昇傾向(p.78)とか。
1998~2008年の間、自殺者は3万2000人前後で推移している一方、「非犯罪死体」に分類される数は増え続けているが、このなかには確実に自殺者が含まれているはずで、統計上の自殺者数が意図的に操作されているのではないか(p.158)とか。
また、常々気になっていることに、若年や婚外で産んだ嬰児を殺して捕まる女性のことがある。一人で妊娠できるわけないじゃん。そんな切羽詰まった状況に追い込んだ不実な男性(嬰児の父親)がいるはずなのに、女性ばかり咎められるのっておかしいと思っているんだけど、本書によればそういった女性は情状酌量され執行猶予とかになることも多いよう。人ひとり殺したのだからそれはそれでおかしいんだけど、親が子どもを思うあまり殺すというストーリーに寛容なのがこの国で(それは、男性側を罪に問えないことの裏返しとして女性の罪も軽めになるということなのかもしれない)、そのように家族を一体的にみる世間が加害者家族バッシングにつながっているというわけ。
何でもかんでも世間のせいにしすぎって感じもややするけど、世間なるものがたとえ加害者家族にならなくても、私たちの生活を何だかおかしく不便・不可解なものにしている大きな要因ではあるだろう。欧米ではそういった例がほとんど見られないということからも、底なしのぬるま湯のような世間の怖さ、日本のおかしさを感じる。 -
繰り返しが多く読みにくい部分もあったが、大方なるほどと思った。読んでよかった。
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「すみません、コーヒーをブラックで」の「すみません」は誰へ向けた何の為の言葉なのか分かる本
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東2法経図・6F開架:368.6A/Sa85k//K