「平穏死」という選択 (幻冬舎ルネッサンス新書 い-5-1)
- 幻冬舎ルネッサンス (2012年9月11日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
- / ISBN・EAN: 9784779060663
感想・レビュー・書評
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老衰(care)と病気(cure)は別物だ。
患者のことをいちばんに考える医療というのは、それを理解することであって、必ずしも命を長引かせるものではない。
看護の主な二つの役割、診療の補助と療養の世話のうち、看取りを行う施設では、後者の役割が大きい。これは病棟看護とは反対のもの。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
医療の要否を判断出来るのは、医師。
しかし、日本では為さない事が悪という風土がまだまだ強く、その判断を口に出してくれる医師は少ない。そういう医師が増えることを願う。
人としての尊厳を大切にする平穏死という選択があり、平穏死へ向かう為の医療がある事をもっと世の中に広めたら、医療費等の問題を含めて、色々解決するだろう。 -
特養の常勤医である著者が、穏やかに死ぬ大切さを解いた本。著書としては第2弾らしいが、法的な規定を提起したり、現場の実例やスタッフの声を載せているというのでこちらを購入。食べられなくなったらそこまで、という生き物としてのお終いを私も尊重したい。
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特養の常勤医であり元血管外科医である筆者が、今まさに国家的レベルで取り組むべき喫緊の課題を語る。医療者あるいは患者の家族の誰もが感じているが直視することを避け、思考停止に陥っている問題にメスを入れており、医療のあり方を根本から見直し新たな視点を提起する一冊。
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誰しも死と向き合わなければならないけれど、身近な所に死はないため、考える機会が少ない。それは病院で亡くなるからだろう。
祖父ががんだった時、治療が可能なときは大きな総合病院に入院できた。しかし、延命になった時、転院。同室の患者はみんな意識がなかったと思う(今考えると)。静かすぎて怖く感じ、病院に行きたくなかったのを覚えている。
チューブでつながれて延命しているより、少しづつ死へ準備できる環境で、苦しまずに逝ける方がいいなと私は感じた。でも、両親が倒れた時、動揺してチューブをいれてしまうかもしれない。ちゃんと話し合っておきたい。 -
2013/3/12
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終末期の医療•介護の現実に鋭く切り込んだ本。時々感じる違和感の正体が少しわかった気がする。介護には、自立支援だけではなく看取りへの対応が求められている。今、自分に足りないものは何かを見極め、学んでいきたい。
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自然に任せるという三宅島の知恵
「食べられなくなればあとは水だけをあげます。そうすると二週間から三週間で最期を迎えます。」栄養を絞ることで、枯れるように亡くなられそうです。
今の日本は多くのしがらみ(法的な事を含め)で、平穏死や自然死が困難になっている。 -
死ぬ時は生かされるんじゃなく穏やかに人生の最期の時を迎えたい。自分の死生感を考えるきっかけになった。
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平穏死ってどこから、どこまでのことなのかなあ。