女子をこじらせて

著者 :
  • ポット出版
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本棚登録 : 772
感想 : 105
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  • Amazon.co.jp ・本 (252ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784780801729

作品紹介・あらすじ

「女子」という生きづらさに真っ向から向き合う半生記!
ブログ「弟よ!」で人気の雨宮まみが
全国のこじらせ系女子に捧ぐ!
非モテからなぜか「職業・AVライター」になった…
その曲がりくねった女子人生を描く
怒濤の13万字!!

『モテキ』の久保ミツロウ(漫画家)氏との
特別対談も収録!

感想・レビュー・書評

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  • すごいネガティブで、悶々とあれこれ考える。
    これは、共感します。

    でも彼女のすごいのは、9・11と3・11で
    急に躁状態になって活動的になったところではないでしょうか。

    4年前の11月に40歳で急逝しました。
    死因は事故。
    もし早く発見されて一命をとりとめていたら?

    彼女はその体験をバネに
    また積極的な活動をされていたのではないでしょうか。

    ご冥福をお祈りします。

  • わかりみ&わかりみ

    私も学生時代は本当に自分に自信がなくて、周りのきらきらして見える女の子たちがめちゃくちゃうらやましかった。みんながふつうにやってることができない自分。。

    自分と恋愛したい人なんているだろうか?とわりと本気で考えていた。
    勝手になんとなくそう思い込んでた。勝手にレッテルを貼っていた。

    謎の他者目線。そういう部分が「こじらせ」で余計に自分を重たくさせていて、余計にそれがまた人を遠ざけていたんかもしれん。

    自分がどうしたいかより、他人から自分がどう見えるか、他人が自分をどう見るかに意識を注力してしまう。しかし、その他人がどう見るかっていうのを、本当に自分はわかってるんか?というアレ。結局それって「他人が自分をどう思うか」と自分自身が思うことでしかないわけで。

    なんとなく世の中に溢れている「〇〇女子」とかそういうラベルに自分を押し込んで安心したり。

    そのラベルは完全に自分の意思と切り離されたとは言わないけれど。。。
    でもそれになんの意味があるんだろう?
    なんか見えない敵と闘ってたんだなあと思う。私は私であって、「〇〇女子」なんてことばでくくる必要ない。いまになったらわかる。。

    私もまあまあ大人になって、随分と生きやすくなったなと思うんやけども、ここまで言語化はできない。雨宮さんはすごいな。

    傷つきながら、いろんな道を歩いてきた雨宮さんがやっと気づいたことを記してくれている。

    人から好かれなくたっていい。嫌われたっていい。全部自分が悪いわけではない。

    人からどう思われるかを気にせず自分のやりたいように生きればいいんだっていうエール。

    女子をこじらせた人たちに寄り添ってくれる本。こじらせたことなんて笑い飛ばせばいい。雨宮さんは優しい。
    私も雨宮さんにありがとうって言いたいけどもう、言えないなあ。

  • 私はゴリゴリの男ですが、職場に喪女が多く、こじらせ女子には比較的免疫がある方だと思います。しかし男の大半は、「女性性を誉められることで嫌な気分になる女」がいるなんて夢にも思っていません。こういった本が世に出るのは非常に良いことだと思います。(ちなみにうちの嫁もかなりこじらせてます。結婚式にかなり抵抗されました。)

    著者のように、物心がつく前に「男の視線」を内面化させ、自分の女性性を容認できないことは非常に不幸だと思います。ただ、私の知っている喪女たちと比較して、違和感を抱いた点がひとつ。

    『著者がこじらせたのは「女子」なのか?』
    突発的な行動、思考停止、めんどくさがり、露悪的、自分にしか興味がもてない、他人の不幸で元気になる・・・この著者は自分の女性性を容認できたとしても何かしら日常生活をこじらせる気がします。「自虐でも謙遜でもなく言いますが、私の人間性は最低です。」とカミングアウトするあたり、相当ひどい人間なのでしょう。「女子」は自分の性格をこじらせてしまった結果のひとつではないでしょうか。

    こじらせ女子がどの世代に多く、どういった環境で育つのか、著者の今後の活動に期待します。著者や久保ミツロウや私の知り合いのこじらせ女子が、例外なくみんな家族と仲が良い(良すぎる!)点に何かしらの原因があるような気がしますが…。

  • 異性を欲情させることが自分の存在価値だと信じた女子の苦闘を書いているが、「他者の価値観を内在させてしまった者の生きにくさ」という視点から見れば、男女を問わず多くの人の共感を呼ぶ本だと思う。

  • 喪女あるある系のライトな出だしから、中盤から終わりにかけては結構暗いエビソードが続きます。

    ブスだから、とか、容姿に関する特定のワードを取り上げて「ここが駄目だから、~こうである資格がない」と決めつけて、本来こうありたい、という自分の理想像と敢えてかけ離れた行動を取ってしまう、というのは自分にも随分身に覚えがあって首肯しましたが、文中でも書かれているように、結局最終的に本当に駄目な原因は見た目でも周囲の環境でも無く、自分の何かと何でもこじらせたがる性分が招いているんですよね。

    容姿のコンプレックスを「これがあるからあれが出来ない」とはなから難癖を付け、周囲の人を妬み僻みながら卑屈に生きていく事は本当に何より自分自身に取って一番残酷で酷薄な行為だと思います。

    これって「分かっちゃいるけどやめられない」に似ていて、誰もそんなにお前に興味無いよ、って頭では分かっていてもつい自分で自分のコンプレックスをまじまじと見つめて「何でこうなんだ、ああなんだ」とじっくりと解決しない、出来ない事について延々と悩む、悩んだ振りをしてしまうんですよね。

    また、最終的に立ち返るポイントが「自分の性根」であるという点についてはとても大事な事を言っていると思うと同時に本当にその通りなんだよなと再認識させられました。

    容姿として不出来なのが悪いんじゃない、内面がブスなんだと。
    僻み根性丸出しで常に周囲に諦観と敵意を垂れ流しにして生きていてどうして美しく生きてけようか。
    自分を攻撃対象にしてきそうな人物を勝手に仮想敵と見なし、撃たれるかもしれない砲撃に怯えながら憎悪しつつ生きていく・・・最早病気です。

    結局最大の原因は自分のひん曲がった根性なんだという事と、じゃあどうしたらその自分のコンプレックスと判断してる要素を包含して自分という人格を認めてあげられるのか?という事について・・・は、人それぞれだと思うけど、結果的には、というか最終的にはやっぱり一番単純に「自分に正直になりなさい」という事なんだと思う

    常に本心を嘘で塗り固めてその場しのぎのぞんざいな対応で周囲にも自分にも嘘をつき続けていれば、絶対にいつかしわ寄せが来る。

    未だにこじらせまくってますが、そのこじらせっぷりを堂々と赤裸々に開示してくれて、それを自分の中にあった鬱屈した物と照合し見つめ直す事をさせてくれたという点で、非常に気持ちのいい一冊でした。

    周囲にとやかく言われる事を恐れて、またまだ評価もくだされていない内から駄目だと決めつけて自縄自縛で動けないという後ろ向きな無限ループからさっさと抜けだす為にも、もう少し自信を持ちたいなあと思います。

  • 途中読んでいて辛くなった。
    頭のいいすごく真面目な人だったのだろう。

  • 攻撃性はコンプレックスの裏返しだというけれど、この人の攻撃性は最終的に他者に向かってめでたしめでたしとなった。もっと自身の問題に向き合ってみて欲しかった。性的なことすら包み隠さない自己分析は素直にすごいけれど、もう一歩踏み込んで欲しかった。もう一歩踏み込めない限りそれは自己開示ではなくて自己提示で、みじめな体験や普通なら人に絶対話したくないことをいくら語っていたとしても、セルフブランディングに思えてしまう。
    あと全てを「女性の生きづらさ」に帰結させるのもどうなのかなと思った。本のテーマなので仕方ないけれど……。 

  • 一晩で読んだ。あとがきで「(これを書くことは)デトックスだった」と語られていたけれど、こんなに自分を掘り下げて曝け出して人としてクズだったと振り返らざるを得ない思い出も書き切って、わたしだったらこんなの書き上げることなく死ぬ。私の屍を越えてほしいと語ったこの人はもういない。いない。

  •  AVライターの著者が、自らの少女時代から三十路の現在までを振り返った自伝的エッセイ。
     「青春エッセイ」という趣。それも、さわやかで美しい青春ではなく、自分の黒歴史もドロドロした内面も赤裸々に明かした青春エッセイなのだ。
     「ああー! 過去の自分マジで死んでくれ!」というフレーズがツボにはまった。私も自分の若いころを思い出すと、そう叫びたくなることだらけである。

     AV業界、エロ雑誌業界の話も当然ふんだんに出てくるが、それでも女性にも抵抗なく読める感じの本だ。

     頻出する「こじらせ系女子」「こじらせている」という言い方の意味が、本書を通読しても私にはよくわからなかった。
     「童貞をこじらせて」うんぬんという言い方があるから「非モテ女子」のことなのかと思ったら、そうともかぎらないようだ。著者は、少女時代はともかく大学以降はいつも彼氏がいて、けっこうモテてるし……。
     「腐女子」「非モテ」「メンヘラ」――このへんはわかる。でも、「こじらせガール」はそのどれにもあてはまらないようだし。

     「こじらせ」の意味についてはともかく、内容はたいへん面白く、一気読みした。
     著者の文章には終始軽やかな自虐的ユーモアが漂う。自分の内面を視線でグリグリえぐるように見つめ、分析していくくだりが多いのだが、それが重くも自己陶酔的でもなく、笑えるのだ。

     以下、笑える箇所と印象に残った箇所を引用。

    《「男にモテたい」なんて、思う余裕もなかった。それ以前に服すら似合わない。オシャレにすらなれない。恋愛や男のことなんて、そういうことをクリアしたあとで考える、雲の上の出来事に思えました。》

    《行くところがなく、諸悪の根源である同郷の彼に会いに行きました。泣いているといきなりナスカの地上絵の写真集を見せられ、「コレを見てると悩みとか全部ちっちゃいことに思えてどうでもよくなるからさ~」と言われました。ナスカの地上絵に恨みはないですが、ぜんぜんどうでもよくはならなかったです。っていうかお前が! 私と! どーすんだっていう話をしてんだよ! 古代人の叡智でごまかすんじゃねえ!》

    《恋愛をするということは、汚い自分を引き受けることです。まったく汚いところのない恋愛なんて、ない。どこかに必ず汚い自分の影が現れる。そのことを知らずに、自分は童貞だ処女だと、恋愛している人間を恨んだり憎んだりするのは、浅い考えです。汚い自分を他人に見られ、知られ、そういう自分に自分で気づくことは、何も知らずにいるよりもずっときつい。》

     AVライターという特殊な分野の仕事を選んだことからくる葛藤を綴ったくだりも、読み応えがある。
     たとえば、こんな一節――。

    《ショックな出来事がありました。私を持ち上げてくれる人たちが、私のことを「美人ライター」と呼び始めたのです。(中略)「美人ライター」という言葉は、顔写真を出さないように、女ということが極力目立たないようにと思って仕事をしていた私のせせこましい努力を一瞬で水の泡にする「調子乗ってると思われるワード」でした。(中略)
     応援するつもりで邪魔されている。何が美人だよ、私がAV女優だったらブスって言うだろ、しょせん「ライターはブス」って思ってるから、普通に化粧して女の服着てるだけで「美人美人」ってチヤホヤしてるだけじゃねえかよ、バーカ、と思っていました。
     25年以上もずっと「ブス」と言われ続けてきたのに、手のひらを返したように「美人」と呼ばれることもばかばかしかったし、文章に見た目なんか関係ないのにいちいち見た目のことを言うのも意味がわからなかった。》

     なお、巻末に『モテキ』の久保ミツロウと著者の対談が載っており、これもなかなか笑える。
     久保ミツロウは『笑っていいとも!』にゲストで出たときの映像をYouTubeで見て、「この人、女芸人より面白い」と思ったものだが、本書の対談も彼女の個性が全開である。
     誰か、久保ミツロウの語り下ろしエッセイを本にすればいいのに……。

  • 立派な社会学の本でした。
    著者が、女という枠に人生を費やして葛藤、そして答えを導くまでが書かれてあります。
    三章は熱くなりすぎてる感が否めませんが、非常に面白かったです。

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著者プロフィール

ライター。エッセイを中心に書評などカルチャー系の分野でも執筆。著書に『女子をこじらせて』(幻冬舎文庫)、『まじめに生きるって損ですか?』(ポット出版)など。

「2016年 『愛と欲望の雑談』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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