世界平和記念聖堂: 広島にみる村野藤吾の健築

著者 :
  • 相模書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (259ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784782488041

作品紹介・あらすじ

世界平和記念聖堂は、戦後の早い時期に、当時、広島カトリック教会司祭であったラサール神父の発想のもとに建設が企画され、競技設計に付され、結果的には、村野藤吾氏の設計により、世界各地からの浄財と寄贈とによって、建立され完成したものである。着工は、1950年10月8日、献堂式は1954年8月6日であった。かくて被爆都市広島の戦災復興のまっただ中において、聖堂が建設されたことになる。あの被爆後の混乱した時期に、どのような考え方で記念聖堂が設計されたのだろうか。建設に至るまで、どのような教会側の苦労があり、どのような経過を辿ったのであろうか。そして、どのようにして建設されたのだろうか。聖堂建設をめぐる多くのエピソードもあるにちがいない。そして、当時広島は、どのような状況だったのだろうか。

感想・レビュー・書評

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  • 広島の「世界平和記念聖堂」がどのような経緯で、どのような人々の努力により建築されたかを描いた本。

    8月6日を前に読んでみました。



    原爆によって倒壊した幟町天主公教会を、慰霊と世界平和を願い、ラサール神父という方の尽力により建てられたのが世界平和記念聖堂だそうです。

    今では周囲に高いビルが建っているため目立ちませんが当時はその高さは圧巻であり、また巨額の建設資金を集めることは被爆直後にとても困難なことだったようです。

    しかし、世界各地のカトリック信者や都市から1億円ものお金が寄付され、完成させることができたそうです。



    廃墟と化した「ヒロシマ」は世界の心ある人々には、手を差し伸べたい存在であり、同時に第3のヒロシマ・ナガサキを作ってはいけないという思いもあったことでしょう。

    聖堂が完成したのは、1954年。世界平和を願い建てられた聖堂ですが、残念ながら当時よりも核保有国は増え、当時の人々の願った理想にはまだ近づけていないのが現実です。



    この建物の前を通る時、よくパイプオルガンの音が聞こえてきます。

    人々はこの音を聞きながら、当時の人々がどんな思いで建設したのか思いを馳せる必要があるでしょう。

    悲劇を繰り返さないために・・・。



    ちなみにこの本は建築学の教授が書いているために、内容の半分程度は建築工法など技術的なことに割かれています。


    ・・・もうすぐ8月6日。

    あの日を語れる人は少なくなっています。

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