大正デモクラシーの立役者吉野作造(1878-1933)は東京帝国大学法科大学時代、本郷教会(現弓町本郷教会)で海老名弾正(同志社英学校卒)から民主主義思想の面で大きな影響を受けている。海老名が主宰する雑誌『新人』においても、「デモクラシーの本質は、人格主義であるからデモクラシーと基督教の密接なる関係は、明々白々であ」り、「基督教の信仰は、それ自身、社会の各方面に現れて、直にデモクラシーとならざるを得ない」と記し、キリスト教と民主主義が表裏一体の関係にあるとことを強調している。
さらに、自分をデモクラシーに導いてくれた先覚者として、安部磯雄(同志社神学校卒→アメリカ留学→同志社教員→早稲田教員)、木下尚江、そして浮田和民(同志社英学校卒→同志社教員→早稲田教員)を挙げる(p.63)。片山哲も「デモクラシーの信奉者をあげれば、新島襄を第一に上げざるを得ない」と断言する(p.66)。
このように、新島襄、同志社英学校が陰に陽に日本の民主主義に与えた影響は計り知れない。
ところで、新島の基本理想は『自由教育、自治教会、両者並行、国家万歳』である。自由教育が Liberal Arts を中心に据えたLiberal Education だとすると、私利・私欲、因習、社会通念(conventional wisdom)、偏見、迷信、先入観、そして功利性から解放された(liberal)、普遍妥当性のある価値や概念(真理)を見出し、理性的で論理的な思考でもって正しい問題解決策を導く技法(arts)を身につける教育が民主主義国家にとって重要となるということだ。重要なことは、ここでいう「自由」とは「放任」とは全く違うということ。「真理はあなた方を自由にする」(Veritas liberabit vos. ウェーリタース・リーベラービト・ウォース)という聖書の言葉は、真理を知ろうという姿勢が、偏見や思い込み、因習から自由になるという意味だろう。
しかし民主主義国家では、理屈だけでない心の教育が必要であることは言うまでもない。それが聖書を通しての良心の涵養に重きを置くプロテスタントの会衆派教会(組合教会)ということになろう。
「持っている人は、さらに与えられ、持っていない人は、持っているものまで取り上げられる」(「ルカによる福音書」第8章18節)。まさに、新自由主義下の今の社会をも象徴しているが、このような社会で重要なのが「受けるよりも与えられる方が幸せである」という聖書の言葉ではないだろうか。
正しい物事の価値判断、そして良心。これが、民主主義による国家の独立と繁栄の基本ということだろう。
これらを国家の繁栄の肝と考え実践した新島襄は、まさに古い因習から日本を開放し、初めて民主主義を日本に導入しようとした「元祖リベラリスト」に相応しいと実感するのである。