本のタイトルにある「ハンサム」は、新島襄がボストン在住のアメリカの母 A. Hardy夫人宛に、山本八重と婚約(1875年10月15日)したことを知らせる手紙(1875年11月23日付)の中の次の一文から引用されたものである。
“Of course she is not handsome at all. But what I know of her is that she is a person who does handsome.”
handsomeは、(of a man) good-looking.とか、(of a woman) striking and imposing in good looks rather than conventionally pretty.のように、男女の見かけの表現として使われることが多い。しかし17世紀に定着した諺に“Handsome is as handsome does.” という表現があり、これは”Character and behavior are more important than appearance.”(Oxford Dictionary)、つまり「見た目より性格や行動が大切」という意味。“live handsomely”という表現もよく使われる。
ここからも分かるように、本書に通底しているのは、見かけではなく内面や行動の大切さである。いくつかの例を挙げると次のとおり。
① 新島八重が揮毫した「美徳以為飾」(美徳をもって飾りと為す/美徳、以て飾りと為す)は、新島襄の理想であったらしい。この文句の出典は、新約聖書ペトロの手紙1第3章3節から4節のようである。そこには、「あなたがたの装いは、編んだ髪や金の飾り、あるいは派手な衣服といった外面的なものであってはなりません。むしろそれは、柔和でしとやかな気立てという朽ちないもので飾られた、内面的な人柄であるべきです」としている。
② ニューヨークの湯治湯、クリフトン・スプリングスに3か月療養していた際に手紙に書いた(1885年2月5日付)一文には、次のような英文がある。
Let us be like an unpolished diamond. Never mind of the outward rough appearance if we could have shining part within.(pp.138-139)「磨く前のダイアモンドのようであれ。光る部分が内部にあれば、粗削りな外面を決して気にしてはいけない」。
③「皮相ノ開花」に対して、精神や魂による「心中の開花」を一層重視するのが、新島の文明論の特色である。(明治初期の)日本の現状は「欧米文化ノ皮相」を取るだけで、文化の力が真に「人民ノ心ノ根底」には届いていない。外側の近代化だけでは、芯から日本(人)が変わったことにならない、と新島は見る。だからこそ、「改良中大根源」ともいうべき「人心之改良ニ従事」することを人にも勧め、自らも実践する(pp.176-177)。
この巻では、上記のほかに、特に「男」「夫」としての「私人」新島襄にスポットをあてている。しかし、びっくりするようなスクープはない。クリスチャンになってからの新島襄は、裏表のない、本当にまじめ人間なのだと改めて感心してしまう。