八重さん、お乗りになりますか (新島襄を語る 別巻2)

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  • 思文閣出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (314ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784784216697

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  • 新島八重(あるいは「八重の桜」)に関わる、マニアックというか研究者レベルにまで及ぶような緻密な内容である。しかし口語体のため読みやすく、研究に役立つように出典も数多く明記されている。色んな目的の読者に対応できる内容となっている。特に興味が沸いたのは次の内容である。
    ・新島公義は群馬県で小学校訓導(教師)を務めたのち1878年、同志社英学校に入学。1888年秋に婚約するものの結婚には至らず(p.236)、配偶者は別の「福谷かず(?-1959)」となっている(『八重の桜・襄の梅』pp.239-240)。現在の同志社社友・公一は、公義夫妻の孫にあたる(p.236)。
    ・八重と新島公義が不倫をしているのではないかという、金森通倫や湯浅吉郎などの新島への忠告や噂)(1889年6月頃)(pp.50-54)。公義は、襄の実弟・双六(そうろく)の死後、安中藩士・植栗(うえぐり)家から迎えた養子(1861-1924)で、この一件があってから、公義と八重を切り離す目的もあったのか、あるいはこの根底にある「教会合同運動」の推進派(金森・湯浅)と反対派(新島・公義)の対立に巻き込まれたくないのか、公義は1892年、伝道師をやめ実業界に転身している(『八重の桜・襄の梅)0pp.243-345)
    ・八重は牧師・新島襄の妻である以上、キリスト教や信仰が伴われなければならない。八重を「ハンサムウーマン」というのであればなおさらである。”Do handsome" という表現は新約聖書の文言がベースである。
    しかし八重を「非信徒」だと説く者は多い(スタークウエザー、ディビス、山口サダ)(p.154、224)。客観的な事実でいうと、八重は同志社教会の初代会員で死ぬまで会員であった。会費も(記録上確認できる範囲で)納めている。ただ、出席状況はわからない。
    総じていうと、八重は模範的な信徒でなかったかも知れないが、武士道―-「武士の心」だけではなく、キリスト教的精神-「信徒の心」にも裏打ちされた生涯だった(p.178)。といえる。従軍看護婦にしても、茶道にしても、武士道に繋がる、キリスト教的精神を感じるのである。
    ・「行動規範が乱れてきた日本人女性の教育には、小笠原礼法のような堅苦しさではなく、日常茶飯事の行為を繰り返しながら行儀作法を身につけることができる茶道」に興味を抱いた(p.184)。この点は、新島襄がキリスト教を日本に取り入れ、良心溢れる国にしたいという脱国の理由に通じるものがあるのではないか。「襄のライフは、私のライフ」といった八重の言葉から、牧師・新島襄に感化された八重の精神を読み取ることができる。
    ・実は八重に姉がいた。名前は窪田浦。覚馬の姉になるらしい。娘は伊佐。孫が安栄と信保。安栄は同志社女学校生徒で、『日本の元気印・新島八重』(p.51)の写真前列左端。(p.229-230)

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著者プロフィール

同志社大学神学部元教授(1942年生)。神学博士。
専攻は日本プロテスタント史、とくに新島襄ならびに同志社史。『新島襄と徳富蘇峰』(晃洋書房,2002年),『新島襄の交遊』(思文閣出版,2005年),『新島襄と建学精神』(同志社大学出版部,2005年),同志社編『新島襄の手紙』(共編,岩波文庫,2005年)などを出版したほか、「新島襄を語るシリーズ」を刊行中。

「2016年 『自己発見のピルグリム』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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