- Amazon.co.jp ・本 (274ページ)
- / ISBN・EAN: 9784787220585
作品紹介・あらすじ
日本の近代国家形成期において、和歌・短歌といった文化的な営みはナショナリティの確立にどう影響したのか。天皇巡幸、御歌所、歌道奨励会、教育学・心理学知との接合、題詠と歌会、愛国百人一首といった素材から和歌・短歌の近代と政治性を明らかにする。
感想・レビュー・書評
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詩歌
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(4月上旬、「図書新聞」にもっと詳細な書評を寄せます)
大君のみをしへ草を栞にてさきたちし子を何か歎かむ
高崎正風
「御製」という語が天皇の和歌をさすことを、現代の若者は知っているだろうか。
とくに、明治天皇の和歌=御製が、日露戦争後の教科書などで広く知れ渡り、小中学生がそれを暗記・暗誦することは、昭和の敗戦までは一般的なことだった。
とはいえ、そうなるには強力な〈裏方〉が存在したことを、松澤俊二氏が近刊で詳述している。類書のない読みごたえだ。
その裏方とは、明治中期に宮内省御歌所長となった、高崎正風。元は薩摩藩士であり、歌人としては、歌を「『まこと』の自然な現れ」とする桂園派の流れをくむ「旧派」歌人であった。
実は当時、題詠で形式的な歌を詠む「旧派」は、正岡子規ら、自己の感受性で自由に歌を作る「新派」=近代短歌の担い手から、痛烈に批判されていた。共同性を重んじる「旧派」では、近代という新時代の感性を歌うには限界があったのである。
そこで、高崎は苦慮の末、明治天皇を「歌聖」として頂点に位置付け、「旧派」の題詠主義の延命措置を図った。資料/史料を丁寧に読み解くと、そのような構図が浮かび上がってくるという。
そんな中、高崎の長男が、日露戦争で戦死してしまった。30代半ばの、頼りにしていた嫡男である。その折の掲出歌は、天皇の教えを「栞」=しるべとして、戦死者として先立ってしまった長男だが、何を嘆くことがあろうか、という歌意。
「御製」の誕生をめぐる深く複雑なドラマ、いまだ検証の余地がありそうだ。
(2015年3月22日掲載)