恋愛ドラマとケータイ (青弓社ライブラリー 79)

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  • Amazon.co.jp ・本 (241ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784787233677

作品紹介・あらすじ

ケータイ機能の高度化・複雑化によって、私たちのコミュニケーションはどう変容してきたのか。ケータイ利用の文脈や背景、ケータイと身体との関係性を探るべく、恋愛ドラマや歌詞でのケータイ表象に注目して分析し、人々とケータイとの距離感を描き出す。

感想・レビュー・書評

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  • 積読本を片付けようシリーズ。
    2014年出版。
    
    恋愛ドラマにおけるケータイ利用の変遷を分析して、ケータイがコミュニケーションをどのように変えてきたかを考察。
    
    視点としてはおもしろいんですが、社会学の論文のように書かれているので、対象作品の選別方法や分析方法などの解説に重点が置かれていて、そこから見えてくる結果については突っ込みが甘いというか、全体的に読みにくかったです。
    
    単純に私が対象となるドラマのほとんどを見ていないから、というのもあるかと思います。
    
    例えばTwitterによるコミュニケーションが描かれているので『素直になれなくて』が何度か取り上げられているんですが、このドラマ、脚本家の北川悦吏子がドラマのためにTwitterをはじめた時点でTwitter上では「大丈夫なのか」というコメントがとびかっており、第一話だけ見たんですけど、Twitterのフォロワー同士が集まってオフ会するとか、「パソコン通信かよ」みたいな展開にうんざりしてその後は見てないです。そんなドラマをもとにソーシャルネットワークにおけるコミュニケーションを論じてもなんか違うと思うわけで。
    (少なくとも2010年当時、Twitterって一対一とか閉じたグループ間のコミュニケーションには向いていないツールだった。)
    
    それでも、ケータイが常時つながることで「連絡がこない」ことの断絶や、メールが想いを告げることでドラマの進行を変えたり、ケータイを抱きしめることで喜びや悲しみを表現するようになったという指摘はおもしろかったです。
    
    昔のドラマであれば「待ち合わせ場所に相手が現れない」などの「すれ違い」があったのに、ケータイ時代にはケータイがまた別の「つながり」と「断絶」を描くわけですね。
    
    あと、個人的には、LINEのイメージキャラクターがベッキーだったとか、おニャン子クラブの歌詞には「知る」という単語が頻発し「知らない世界への憧憬」があるのに対し、AKB48には「自分」という単語が多く「新しい自分」のように使われ、「世界」より「自分」へと内向きのベクトルに変化している話とか、矢沢あいの作品分析とかがおもしろかったです。
    
    「閉じたグループでのコミュニケーションは、利用者に気楽さを与えるものでもあるが、同時に認識の共有を前提とすることで、コンテクスト度が高いメッセージのやりとりも可能にする。たとえ高コンテクストな文化であっても、高校時代の友人と大学時代の友人を一つのグループにまとめてしまうと、そこは高コンテクストのコミュニケーションをとることの難易度が上がる。つまり、閉じたコミュニケーションをおこなえる空間を容易に作れることは、高コンテクスト文化では利点となる。」
    
    「代表的な作品では、毎年10月から翌年3月にかけて放映されるテレビ朝日系水曜夜9時台の人気刑事ドラマ『相棒』だ。10年10月ー11年3月期まではKDDIがスポンサーについていたため、水谷豊をはじめ主要キャストのケータイは当然auの端末だった。しかし、KDDIがその時間帯のスポンサーを11年4月ー6月期のクール以降降りたこともあって、11年10月ー12年3月期のシーズン9以降は、美術協力にソフトバンクモバイルが入り、以来、『相棒』では主要キャストがソフトバンクモバイルの端末に〝機種変更〟してしまった。」
    
    「パナソニックが冠スポンサーに付いていただけに、2013年1月ー3月期の『ハンチョウー警視庁安積班』では、刑事たち主要キャストはパナソニックのケータイやスマートフォンを使っていた。しかしいわゆる悪役が使うケータイは、他社製の端末、それも善玉がNTTドコモなのに対して、あえてauを使うという細かな配慮がなされていたのである。」
    
    「歌謡曲は歌詞を聞かれているが、Jポップは歌詞を聞かれていない」
    
    「マーシャル・マクルーハンは次のように言う。「1920年代のポピュラー・ソングに「電話の側で一人ぽっち、一人ぽっちでメランコリー」というのがあった。なぜ電話は強烈な孤独感を引き出すのだろうか。こうした一連の疑問に対する答えは、ひとえに電話が参加的形態だという点にある。つまり電話は、電気の陰陽両極が持つあの執拗さで、パートナーを要求するのである」。」
    
    「ケータイが普及していくなかで、少女マンガでの恋愛は「運命的」なものから「状況的」なものに変化している。つまり、恋愛=自らに与えられた運命の相手と絆を作り上げるプロセスから、恋愛=自分と相性がいい相手をひたすら探し続けるプロセスへと移り変わっていく。運命の導きに委ねたりすることはなく、状況に応じて自らの選択を貫くようになっていく。この変化を可能にしたのが、現代のコミュニケーションツールとなったケータイなのではないだろうか。」
    

  • ケータイが広く世間に普及するにつれて、恋愛ドラマでもケータイが登場し、重要なツールとなっていった。その時代毎の状況や相関性を捉えたのが本書となっている。

    家族の電話から個人の電話へ、電話からメールへとその機能が変移していく中で、それと足並みを揃えるかのようにドラマにおけるケータイの役割も変移してきた。ただ、それは当然のことながら、その時々の時代性がドラマにおいても反映された結果だと言えよう。

    特に気になったのは、第3章にある使用方法である。CMにおいて起用され、(その通信会社と)イメージが固まった俳優に対し、ドラマにおけるスポンサーとして配給されるケータイとどう折り合いをつけるのか。読み解く限りでは、徐々にスポンサー側から個々のイメージへと重点が移ってきたわけだが、そういう視点はまさに新鮮であった。

    恋愛ドラマにおけるケータイの使用方法は、時代を反映してあるものだとは言え、決して斬新なものにはなりえない。というのも、社会にその使用方法が流布し、それを受けて(恋愛ドラマが)作成され、さらに制作過程で余分なものや不適切なものは排除されるからである。

    数年経ち、自分たちの孫やひ孫が恋愛ドラマを見た時に(見ないかもしれないが)、どういう反応を持つのか?それはそれで、また一つ数十年後における楽しみだと言えそうである。

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著者プロフィール

新潟大学人文社会・教育科学系教授。専攻は情報メディア論、ケータイ論。著書に『ケータイ・コミュニケーションと公共空間の変貌』(新潟大学人文学部ブックレット)、共著に『人文学の現在』(創風社出版)、論文に「非言語コミュニケーションとしての「ケータイのディスプレイを見る」行為」(「情報文化学会誌」第14巻第1号)、「モバイル広告・ケータイサイトに関する口コミ経路の調査」(「情報通信学会誌」第27巻第3号)、「「ケータイのディスプレイを見る行為」に対する非許容・保留・許容」(「情報社会学会誌」第7巻第2号)など。

「2014年 『恋愛ドラマとケータイ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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