多様な子どもの近代 稼ぐ・貰われる・消費する年少者たち (青弓社ライブラリー)

  • 青弓社
2.50
  • (0)
  • (1)
  • (1)
  • (1)
  • (1)
本棚登録 : 37
感想 : 6
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (232ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784787234964

作品紹介・あらすじ

現在、多様性の尊重が価値あるものと称揚されている一方で、格差や差別などの文脈でも多様な子どものあり方に注目が集まっている。保護と教育の網の目が子どもを絡め取っていることへの批判が繰り返されているが、同時に子ども時代の生存と教育の保障が重要視されてもいる。

かつてフィリップ・アリエス『〈子供〉の誕生』が、子どもを保護し教育すべきと見なす感覚が歴史的なものだと明らかにし、社会的なインパクトを与えた。だが、近代になって「誕生」した子ども観が現代では隅々まで行き渡り、子どもを苦しめているという単線的な歴史像では、多様な子どもをめぐる排除と包摂が交錯する現代を考える力とはなりえない。

工場や曲芸で稼ぐ年少者、虐待された貰い子、孤児・棄児・浮浪児、金銭を積極的に消費する年少者――日本の戦前期の多様な年少者の生とそれを取り巻く社会的な言説や制度を丁寧に掘り起こし、素朴な誕生論とは異なった多様なまなざしと実践の交錯を明らかにすることで、子どもと子ども観の近代を描き直す。

目次
はじめに――二〇二〇年代初頭の光景から 元森絵里子
序 章 子ども観の近代性と多様性への視角――「誕生」図式を問い直す 元森絵里子
第1章 「稼ぐ子ども」をめぐるポリティクス――児童保護をめぐる多様な論理 元森絵里子
第2章 貰い子たちのゆくえ――昭和戦前期の児童虐待問題にみる子どもの保護の接合と分散 高橋靖幸
第3章 孤児、棄児・浮浪児の保護にみる「家庭」/「教育」――戦前期の東京市養育院での里親委託の軌跡から 土屋 敦
第4章 消費する年少者と家族の戦略――「活動写真」から「映画」へ 貞包英之
終 章 多様性としての近代から現代へ 元森絵里子
おわりに 高橋靖幸

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • ★ 広国大の電子ブック ★
    KinoDen から利用

    【リンク先】
    https://kinoden.kinokuniya.co.jp/hirokoku/bookdetail/p/KP00051447

  • 「子供」という概念は、中世以前には存在せず、13世紀―18世紀にじわじわと誕生してきた、という主張がアリエスによってなされている。
    ハリー辺土リックは近代的子供親観の複数性を強調しており、19世紀後半から20世紀前半を重要視する。
    この複数性は本書が扱う日本でも重要。学校教育で子供の定義が明確になりはじめるのは1890年第二次小学校令のころ。
    国民皆教育、近代家族、発達に関する知、医療制度、子供向け市場という領域で感覚と処遇の制度がつくられ、実態として定着していく。
    本書は多様な「線」とその錯綜を追うことで、誕生・浸透図式に改修されないものとして描きなおしていく。
    より周辺部の「危機に瀕する子供」や「危険な子供」の話とみえる事例をとりあげていく。
    第一章では「保護され教育されるべき子供」という規範を支える 児童福祉立法の誕生と見えかねない、工場法から児童虐待防止法に関わる議論をより多様な論理の交錯として描きなおす・
    第一章
     1 多様な論理の存在――児童保護規範の浸透図式を問い直す
    現代日本では労働基準法が基本ルール、児童福祉法(1947制定)の34条が見世物、乞食、軽業、曲馬に使役することを禁じている。
    これらのもとになったのは工場法(1911年)と児童虐待防止法(1933年)。児童虐待防止法は、軽業・曲馬(大道芸とサーカス)、門付、大道芸のうち
    「虐待」の可能性がある場合の使役を条件付きで禁止制限することを求めている(7条)
    全面禁止ではなく実効性の不確実な規定になっている。実際戦後に児童福祉法の立法を議論していた時点でもサーカス団に年少の団員がいて、なかには身寄りがないものもいると報告されている。(48ページ)

     3 「憐れな子ども」の社会問題化と消費――曲芸する子ども
    軽業・曲馬(大道芸・サーカス)は親方に連れられ各地を流浪しながら芸を披露、担い手は社会のアウトサイダー。
    これらが「虐待」とされたことはこのような生業に従事させることが残酷であるという子供観が誕生した?
    しかしながら曲芸をしながら流浪する子供たちは、人身売買も想起される悲惨な労働形態かも?の一方で、江戸期からまちの風物として存在していた。
    さげすまれると同時に愛され、様々に表象されていた。
    児童虐待防止法制定期以前、「軽業、曲馬」といえば「角兵衛獅子」。江戸・明治期に軽業師たちはたびたび欧米を巡業し、角兵衛獅子の子たちも
    渡航しているが虐待という暗さはない。
    それを問題として切り出すのは近代のまなざし、低年齢、無教育、人身売買の3点を問題としていた。(64ページ)
    1885年―97年ごろにかけて、親方の折檻・迷子・逃亡に関する新聞報道が見られる。下層社会のルポが登場したこの時代に貧困層の一類型として角兵衛獅子が描き出され始める。報道を消費し風俗として消費する傾向が続いていた。1910年前後から社会問題化に結び付くようになった。
    1912年の論説
    人道の上から観ると、何ふも珠乗や角兵衛獅子の類は、残忍なる芸当で有る。それを親子相携えて見物したり喝采するのは甚だ気の知れない沙汰と謂はねばならぬ。
    倉橋惣三は「軽業興行の子供芸人お獅子ちょぼくれ何々節の大道芸人に幼い子供が使はれて居るのはその国の文明の恥とさへ思ふ」 (67ページ)

    ところが法制定以前に明治末期(1910頃)には実態としては角兵衛獅子は消滅に向かい始めている。立法にむけてうごくころ(1920頃)には角兵衛獅子は「滅びゆくもの」として語られている。(69 ページ)
    角兵衛獅子に代表される古い形態の子供曲芸は立法となる前にすでに消滅していたが、子供の曲芸自体は消えていなかった。芸事の厳しい修行と「角兵衛獅子の
    ような」虐待の境界線をどう引くかに議論が映り、結果として「軽業、曲馬その他之に類する危険な業務にして主務大臣の定むるもの」に児童を雇用することを「何人といえども」禁じていた当初法案は骨抜きになるのである。
    角兵衛獅子を「憐れ」な児童労働や児童虐待として社会問題化するのと並行して、「孝行」「職業訓練」といった近代的価値の言説を流用しながら、曲芸する子供自体は温存された。(71ページ)
    ある世代までにとっては階層構造の中で、有用な労働力は年少者でも使う、恵まれない年少者を教訓や見世物として消費する世界が日本で公然の秘密であった。
    にもかかわらず20世紀末ー21世紀初頭にかけて「児童虐待」や「子どもの貧困」が次々と「発見」され、あたかも最近の問題であるかのように驚きをもって語られる。(77ページ)

    2章以降も興味深い。
    貰い子や孤児たちがどのように扱われ、何が問題だったのか知らないことばかりだった。多様で多面的であるがゆえに、不完全ながらも法や行政が対応しようとしてはなかなかうまくいかない、を繰り返していたようだ。

    ーーーーー目次ーーーーー
    はじめに――二〇二〇年代初頭の光景から 元森絵里子

    序 章 子ども観の近代性と多様性への視角――「誕生」図式を問い直す 元森絵里子
     1 「子どもの誕生」を問い直す視角
     2 メタファーとしての「複合体」と「逃走線」
     3 本書の構成

    第1章 「稼ぐ子ども」をめぐるポリティクス――児童保護をめぐる多様な論理 元森絵里子
     1 多様な論理の存在――児童保護規範の浸透図式を問い直す
     2 子どもを働かせない理由/働かせる理由――工場法の年齢規定
     3 「憐れな子ども」の社会問題化と消費――曲芸する子ども

    第2章 貰い子たちのゆくえ――昭和戦前期の児童虐待問題にみる子どもの保護の接合と分散 高橋靖幸
     1 明治期における「児童虐待」の概念
     2 法律によって貰い子を虐待から救う
     3 岩の坂貰い子殺し事件と児童虐待問題の変化
     4 新たな貰い子殺し事件と産院・産婆問題
     5 児童虐待防止法の成果の無効化

    第3章 孤児、棄児・浮浪児の保護にみる「家庭」/「教育」――戦前期の東京市養育院での里親委託の軌跡から 土屋 敦
     1 近代的子ども観の単線的な「誕生→浸透」図式を再考する
     2 東京市養育院はどのような場所だったのか
     3 「子どもの生存」のための里親委託の増加――一九〇〇年代初頭―一〇年代半ば
     4 子どもの死亡率の改善と里親委託批判の形成――一九一〇年代半ば―三〇年代初頭
     5 一般家庭児童に比する施設児童の「発達の遅れ」という視角の形成

    第4章 消費する年少者と家族の戦略――「活動写真」から「映画」へ 貞包英之
     1 年少者の消費を問い直す
     2 活動写真を見る年少者
     3 「映画」の誕生
     4 こづかいという鎖
     5 発声漫画映画と紙芝居
     6 サブカルチャーの発生とゆらぎ

    終 章 多様性としての近代から現代へ 元森絵里子
     1 多様性としての子どもの近代
     2 子どもの現代の系譜学的相対化へ

  • 0/19
    『現在、多様性の尊重が価値あるものと称揚されている一方で、格差や差別などの文脈でも多様な子どものあり方に注目が集まっている。保護と教育の網の目が子どもを絡め取っていることへの批判が繰り返されているが、同時に子ども時代の生存と教育の保障が重要視されてもいる。

    かつてフィリップ・アリエス『〈子供〉の誕生』が、子どもを保護し教育すべきと見なす感覚が歴史的なものだと明らかにし、社会的なインパクトを与えた。だが、近代になって「誕生」した子ども観が現代では隅々まで行き渡り、子どもを苦しめているという単線的な歴史像では、多様な子どもをめぐる排除と包摂が交錯する現代を考える力とはなりえない。

    工場や曲芸で稼ぐ年少者、虐待された貰い子、孤児・棄児・浮浪児、金銭を積極的に消費する年少者――日本の戦前期の多様な年少者の生とそれを取り巻く社会的な言説や制度を丁寧に掘り起こし、素朴な誕生論とは異なった多様なまなざしと実践の交錯を明らかにすることで、子どもと子ども観の近代を描き直す。』(「青弓社ストア」サイトより)


    『多様な子どもの近代 稼ぐ・貰われる・消費する年少者たち』
    著者:元森 絵里子, 高橋 靖幸, 土屋 敦, 貞包 英之
    出版社 ‏: ‎青弓社
    発売日 ‏: ‎2021/8/26
    単行本 ‏: ‎232ページ

  • https://cool.obirin.ac.jp/opac/volume/878977

    千駄ヶ谷にもあります

全6件中 1 - 6件を表示

著者プロフィール

明治学院大学社会学部社会学科教授

「2022年 『家族変動と子どもの社会学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

元森絵里子の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×