「弥生時代」の発見・弥生町遺跡 (シリーズ「遺跡を学ぶ」 50)

著者 :
  • 新泉社
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  • Amazon.co.jp ・本 (93ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784787708403

作品紹介・あらすじ

明治一七年の三月、東京大学の裏手、向ヶ岡弥生町で出土したひとつの壺から「弥生式土器」「弥生時代」という名前が誕生する。弥生式土器とは、それがつくられた弥生時代とは-その解明に打ち込んだ先人たちの道のりと、弥生町遺跡の実態をわかりやすく解説する。

感想・レビュー・書評

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  • 表紙のこの壺が、明治17年(1884年)3月1日、有坂鉊蔵、坪井正五郎、白井光太郎により向ヶ岡弥生町で発見された。弥生の時期に出土したからではなく、弥生町で発見されたので、弥生式土器と命名される。実に、私の大好きな弥生時代は、800年間とも1200年間とも言われているけど、学問的には、発見されてまだ134年しか経っていない「若い学問」なのである。​この年末年始、東京弥生坂を訪れ、最近見つかった弥生二丁目遺跡などを見学した​ばかりだったので、とても興味深い本だった。

    この時代が「弥生時代」となるまでに、初めて知ったことが多々あった。実は出土地域はまだ確定していない。弥生坂から少し左に入った東京大学を上に臨む崖の辺りは、その1地点。有力なのは、弥生町を通って根津神社へ行く途中の崖の辺り。或いはサトウハチロー宅跡のあった辺り。面白いのは、どうやらそれを囲んだ地域が、環濠で囲まれていたらしいということである。

    さらっと書いているが、きちんと土器編年で調べ直すと、この弥生時代土器第1号は、弥生町式土器から外れて前野町式土器に入り、古墳時代に区分されてしまうらしい。弥生時代ファンにとってはショックな事実である。

    また、モースが大森貝塚を発掘して7年後の発見ということもあって、この壺がキチンと評価されるのは、実に数十年を経なくてはならなかった。明治時代の考古学史を読むと、学問の成立の危うさがよくわかる。現代の情報学、生物遺伝学、或いは様々なフロンティア学問の未来の課題も見えてくる。
    2018年1月読了

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著者プロフィール

明治大学文学部教授 ※2022年11月現在
【主要著書】『農耕社会の成立』(岩波書店、2010年)

「2022年 『南関東の弥生文化』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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