- Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
- / ISBN・EAN: 9784787722102
作品紹介・あらすじ
明治の初め、吉野山の桜を全部買い取った男がいた。彼の名は土倉庄三郎。吉野から伊勢まで懸崖の山々を抜ける道を独力で開き、全国の山を緑で覆うべく造林を推し進め、自由民権運動に参画し、同志社など多くの学校を資金面で支えることに力を注いだ。また女子教育こそが国力を伸ばすとして日本女子大学校(現・日本女子大学)の創設を支援し、自らの娘もアメリカに留学させた。そのほか手がけた偉業を数え上げたらきりがない。吉野川の源流部・川上村に居を構え、近代日本の礎づくりに邁進した豪商三井と並ぶ財力を持った山林王であった。ところが現在、土倉庄三郎の名前は歴史から消え、彼の事績は忘れられつつある。
土倉家に起きた悲劇とは何なのか。そして吉野の山中からどんな世界を見ていたのか。彼の足跡を追いながら、幕末から明治、そして大正にかけて日本がたどった道のりを森からの視点で探っていく。
感想・レビュー・書評
-
山林王と呼ばれた土倉庄三郎(どぐらしょうざぶろう)の評伝。
林業が盛んになった明治の初めに、林業を営んでいた土倉庄三郎は奈良県の吉野山の桜をすべて買い取った。それは投機のためでも名誉欲のためでもなく、ただ吉野山の桜を守るためだった。今でも「吉野」という地名は、林業を語る上で特別な響きを持っていると素人の自分でも感じるが、このような剛毅な人物が幕末から明治にかけて吉野に存在し、林業以外のさまざまな方面で活躍していたことは本書で初めて知った。
吉野で生まれた庄三郎は、林業で得た財力を元に自由民権運動に参画し、教育を重視して自らの子女を留学させ、故郷の村に養蚕を根付かせ、さらには荒れ果てた日本の山林を豊かにする構想を抱く。印象的なのは、数々の事業に積極的に出資し、志のかたまりのような人物でありながら、ホームである山深い吉野の地を離れようとしなかったこと、また立身出世や過度の財力を求めなかったことだ。数少ないエピソードからも「山林王」というイメージからは遠い、謙虚で実直な人柄がうかがえる。
未来を見据え、利他の精神で数々の偉業を成し遂げた庄三郎だったが、長男の事業の失敗によって財産は食いつぶされ、土倉家の名前は忘れられていく。悲劇と呼ぶにはあまりにもありきたりな顛末で残念でならないが、歴史に埋もれていたかつての逸材の姿をこのような形でよみがえらせてくれたのは著者のおかげ。あらためて「林業の吉野」という印象が深くなった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
【本学OPACへのリンク☟】
https://opac123.tsuda.ac.jp/opac/volume/714069