- Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
- / ISBN・EAN: 9784790717133
感想・レビュー・書評
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良き。すごく。
●芸術は、個が全責任を負って観ることができる
・観る人の心を動かすもの、が良い芸術であること。
・どんな絵に心が揺さぶられるかは、その人にしかわからない。誰にもわかってもらえない。ましてや共有などできるはずがない。
・上手なだけの絵は、知識や技の痕跡は垣間見えても、直接、感性を呼び覚ます力、絵を観ることの喜びや哀しみ、怒りや晴れやかさがない作品も多くある。無残である。
・本当は、感性を通じて自分の心のなかを覗き込んでいるだけなのに、そのことに気づかないづかない。気づこうとしない。結局、怖いからだろう。誰でも、自分の心の中身を知るのは怖い。
●ストーリーと共感の罠
・感性の根拠が自分のなかではなく、作られた作品や、それを作った作者の側にあるように思い込んでしまう。しかし、芸術体験にとってこれほど不幸なことはない。
・作品を見るのに、オーディオガイドや、はなからストーリーを知りすぎる、なんてことは、本当に作品を観ていることになるのか。
・うまい絵、きれいな絵、ここちよい絵ほど、パッと観に判断しやすく、みなで価値を共有したって仕方がない。 -
タイトルから美術評論の話を期待していたが、タイトルに反して?大半は著者の自分語りなので、著者にそこまで関心がない初読者としてはあまり興味がもてない。他の本から再チャレンジしよう…
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率直というかなんというか、読んでいて心地の良い文章だなと思いました。喩えもとてもうまくて、こういう表現をする人はどんな風に育ってきたのかな、どんな学生時代を過ごしたのかなと、読み進むうちに興味が深まっていきました。
「眠りと執筆」や「憑依する音楽」など、感じてはいても普通は見逃してしまったり気づいたら見失ってしまっているような、感覚を言葉に留めているのがすごいなぁと思いました。自分の語彙が少ないのがもどかしいのですけれども。 -
こういう本に時々出会えるから読書っていいんだよな.学生時代に著者のシミュレーショニズムを読んで以来,著者の本をあらためて読むのは20年ぶり.
現代美術の個別論はほとんどでてきませんが,著者がどうやって批評の世界,美術の世界に足を踏み入れることになったのか,自分のヴォイスで読者に語りかけているのがとても良かったです.
あと,椹木さんむかし美術手帖の編集のお仕事もされていたというので,さもありなんでもビックリ. -
日本語でない人の声の入った音楽が一番効率よく進むことについて「誰かと対話をしながら応答しているように感じるからかもしれません。」としたのは、私も多少の音楽や生活音がある環境でないと集中できない性質なので、なるほど!と思った。
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美術館に行くことが多いのだが、
自分の受け止め方、鑑賞の仕方はこれでいいのだろうか、と自問することがある。
これは美術を愛好する人ならば、誰しも思うことなのではないだろうか。
よく言われることに、「感性を磨く」という言葉がある。
本書の著者は、岡本太郎の言葉を引いて、これを厳しく否定している。
見ることによって得られる体験は、あくまで見る側によるべきものであり、
それを作家側に委ねるべきではないと。
考えさせられることも多い書だった。
確かに最近、絵を観るのも惰性になっているなと思うところもあり。
でも、全般的には賛成はできないなとも思う。
美術作品の全部が全部、何かを感じさせるものでもなく、
そもそも明治期に輸入された「美術」という観念は、ごく最近のものであるということ。
人が作ったものである以上、まったく思いや思想がないとは言わないが、
すべてを自己表現の産物かのように受け止めるのはやりすぎな気もする。
そういう意味でいえば、自分は「美術」にはあまり興味がないことになるし、
どちらかといえば、そうした人々がどう営んできたかという歴史の方に関心が向いていることに気づかされた。 -
美術をいかに鑑賞するのか?美術批評家とはどんな人なのか?など知られざる部分をエッセイとして書いてくださっているので、非常に読みやすく、インデックスごとに読めるので気軽に自分の知らない世界を垣間見る楽しさがあります。