- Amazon.co.jp ・本 (345ページ)
- / ISBN・EAN: 9784791771721
作品紹介・あらすじ
おもちゃに変身するゴミ、土に還るロボット、葬送されるクジラ、目に見えない微生物……
わたしたちが生きる世界は新品と廃棄物、生産と消費、生と死のあわいにある豊かさに満ち溢れている。歴史学、文学、生態学から在野の実践知までを横断する、〈食〉を思考するための新しい哲学。
感想・レビュー・書評
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縦横無尽に分解というテーマで話が進む。理解の難しいところもあったが、考えさせられる良い本だった。人はとこしえを希求してとかれることを忌避しているのだろうか。シンプルなルールを求め、逆に支配されるイリイチの道具概念にも通ずる批判を感じる。とくとむすぶの往復であることを大事にしたい。
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図書館で借りていたけど期限までに読みきれなかった、でもとても面白かったので購入。まだ途中だけど大切な視点が沢山……
表紙もシンプルで美しくて、紙質も含めて好き、でもきっと汚れやすい、こんなときに以前古本市の動画で見た「グラシン紙」が要るのねきっと。どこに売ってるのかな…… -
能動態と受動態の均衡に隠されている「中動態」のような、「分解」を生産と消費のサイクルに発見するエピソードたち。
つまらないビジネス書が土台にしている、人的資本の価値増進にとって有利であり合理的であることを選び続ける、レベル上げゲームに真剣に取り組み続けること、そのドラクエ的ガバナンスの凡庸さ、退屈さ、アホらしさが「分解」の豊さを参照すると目立ってくる。
凡庸さ、退屈さは忘却に依ることは明らか、その忘れてた部分(実際に多く子供の時分に確かに経験している)を思い出させてくれる良書。
どのエピソードも素晴らしいが、蟻の街の物語はとくに面白く、情景的でもあり、印象に残る。 -
現代思想でチラッと読んだときに面白かったこと.それが一冊にまとまっていること.またサントリー学芸賞を受賞しているとのこと.まだ読み始めだけど,読みやすいし,たぶんこれまで読んできた思考は違う何かを感じさせる.
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好きな作家さんの本がこういうテーマに近いものが多いせいかあまり目新しさを感じなかったのと、この本のように引用や事象の羅列がほとんどみたいな構成って好みではなくて、引き込まれなかった。
カレル・チャペックの話とか要素要素では面白い話もあった。
合理化を推し進めて大量生産・大量消費を繰り返し、人間自体を消費する社会、ネグリの「帝国」(学生の頃読んだけど全く共感できない本だった、その話は置くとして)、そういうものを否定することが当然として議論が進むのが個人的にひっかかる。まだ私はそうしたくない。それはその目的に沿って正しいし、地球と私たち自身が使い捨てられるとして、その正しさは損なわれないのではないかと思ってしまう(私はそうなって欲しくはないが)。
否定しようと思えば価値観vs価値観の戦いにならざるを得ない。もしくは、人間に価値を付けてはいけないのか、いけないならそれはなぜなのかという問いに答えを出すしかないと思うが、私にはまだそれが分からない。
バタヤの項なんて結構危ういラインで話をしているなあと感じた。彼らを分解者として定義し、マルチチュード的役割を見るというのは、どうなんだろう。彼らの不安定で不衛生で犯罪に手を出す者もいる状況、ギリギリの生を生きざるを得ない成り行きは、そういう状況にない者が観念の言葉遊びで消費していいものなのか。マルチチュードの思想自体にもそんな風の地に足ついてない感じがあるが。
藤原さん自身もその懸念をちらっと書いてはいたが…現代だって似たようなことをするホームレスはいるのに自分は絶対やる気ないだろう、それなのによく言うよな、と思ってしまった。彼らは彼ら自身の生を必死で生きているのに、やれ分解者だ、帝国のシステムを食らう可能性だなどという言葉を上から被せられても、うんざりするだけだろう。バタヤの町に入った神父たちのように、その思想をもって只中に入り、自ら実践をするというなら、立派だと思うけど。 -
(追記 2024/4/27)
ケアリングデモクラシーを読んで、この本で書かれている分解の思想とは、要するに「ケア」の考え方とベースがつながる。誰もが弱い存在でケアを必要としていること、そうしたケア=分解・再生を担う存在・ことをより社会で中心的な議題にすること、分配すること、それが今に抗する一つの思想なのだと。
土に還元できない、分解できない、という視点。当たり前のような指摘であって、正面から深く考察することはなかった。日本の場合、死者は火葬するのが一般的である。つまり、土には還らない。あるいは、資本主義のもとで生産費が安価な塩化ビニールなど人工的に作り出された物質は当然ながら分解できない。生物というサイクルの中で、いかに人間だけが傲慢であるのか。人間の社会もまた、様々なものを"便利"な技術革新によって排除してきた。人とほとんど話すことなくボタン一つで商品が届いたり、自分で考えることなく答えが導き出されたり。ところが、分解とか壊れるとか、マイナスと捉えていたことをめぐっては、今まで見えてこなかったことがわかったり、あるいは偶発的に人との関わりが生まれたりなどと、そこに様々な変化が生まれる。おそらく、新自由主義と権威主義のなかでますますひどい世界になっていくなかで、(ネグリとハートに関連した議論もあったが)必要なのはこういう視点だろうなと思った。こんな視点をアカデミックに繋げて論じられる著者は凄すぎるなと。
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自分で酵母からパンを作ったり、きのこを栽培したり、生ごみを堆肥に変えてみたりするなかで、「分解」や「微生物」の世界のことが気になっていた。
序章はとっても面白かった。提起される問題の視点も独特で、特にナチスが「人間と自然の豊かな関係を国家として築いていくことを宣言」したこととユダヤ人撲滅政策が、矛盾なくつながっていたという事実は興味深く(ただし、これはハンナ・アーレントなどの思想に基づく指摘。やっぱりアーレントをもっと読んだ方が良さそう)、かなり期待は高まったものの、高めすぎたのかもしれない。
思想、文学や金継ぎなど、いろいろな事例から「分解」を見出していき、確かにそこで描写されていることは事実かもしれないが、専門外のことについて間違えないように書いた、という印象が残る。他者の営みを借りずとも、筆者自身の個別的な実体験に基づく哲学であればもっと説得力があったように思う。
本書は雑誌などへの連載をもとに書き直したものらしいが、確かにその形式であれば楽しめただろうと思う。一冊にまとめてみると、軽薄さやこじつけのようなものが透けて見えてしまう。時期が違えばまた楽しめるのか、今はまだわからない。 -
世界は足し算ではなく、割り算引き算でできている。
つくることは、分解すること。
「時」が、「解く」から生まれるように。