コーチングの哲学: スポーツと美徳

著者 :
  • 青土社
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  • Amazon.co.jp ・本 (340ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784791773725

作品紹介・あらすじ

よいコーチは試合を変えることができる。善いコーチは人生を変えることができる―。
コーチには哲学が必要だ!
感情過多のコーチ、抑制のないコーチ、無知なコーチ、獣的なコーチ、名誉心のつよいコーチ、スパルタ的なコーチ……。「勝利至上主義」に目がくらみ、暴力、ハラスメント、ドーピングなどがはびこる競技スポーツの現在。コーチングを通して善く生きることはいかにして可能か。そもそもスポーツにはどんな意義があるのか。アリストテレスの徳倫理学を手がかりに、「美徳なきコーチングの時代」を問いなおす。

感想・レビュー・書評

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  • 「善いコーチ」とはなにかをアリストテレス倫理学を道具として使いながら考える。教えた相手の向上だけで無く、自らの向上も行い、より良く生きられるようになる事を目指すというところか。

    スポーツのコーチだけでなく、新人の教育係から学校の先生までいろいろなことを教える立場にいる人は読んだ方がいい。 https://historia-bookreport.hatenablog.jp/entry/2021/04/12/230056

  • 結論へ導く論証は「コーチ」さながら。人との関わりにおける根本的な在り方を示している。スポーツだけでなく職場や学校、家庭などあらゆる場面で心がけたい、普遍的な価値の詰まった良書。

  • 「勝利至上主義」による暴力やハラスメント、ドーピングが存在するスポーツの現在において、そもそもスポーツにはどのような意義があるのか?
    善いコーチとは?倫理的なコーチングを問う。

    2024年1月~3月18日期展示本です。
    最新の所在はOPACを確認してください。

    TEA-OPACへのリンクはこちら↓
    https://opac.tenri-u.ac.jp/opac/opac_details/?bibid=BB00599999

  • 倫理・哲学は大学の教養科目と、本を読んで少し齧っただけ、スポーツチームに入ってコーチのお世話になった経験も無し、たまにプロ野球やサッカーをスタジアムで見る程度には好き、という人間だが、ふむふむ、と楽しんで読めた。哲学をベースにしているので、プロのスポーツのコーチや学生、子供相手のコーチなど、とくに対象を限定せずに参考にできそうだなと思いながら読んだ。スポーツの経験があればより実感を伴って読めただろうか。
    純粋に哲学のみを記述した本も良いが、抽象的に感じて難しく思ってしまうこともあり、例えばこの本のようにコーチを題材に哲学の考え方が紹介されていると、より納得しやすいかもしれないな、とも思った。



  • 【概略】主にバスケコーチのミスターKを例に上げ、アリストテレスの提唱したアレテー(徳、卓越性)という概念からコーチの目指すものとは何か、良いコーチとはどういうものかを整理した本。
    【承前】ここでの『徳』という概念を説明しておくと、日本語の「徳を積む」のように自分の後の利益のために善行を施すという意味ではなく、善き行為をすること自体が目的となる行いということ。『卓越性』は以前の自身の行いや成果を超えてさらに良くなること。という理解でいいと思う。

    コーチングとは彼らの卓越性に寄与する、つまり彼らがなり得る最高の存在へと導くこと。コーチの徳とは選手のプレー、人間性の両面で彼らをより良くすること、彼らの望む目的により近づけること。自身の利益・権力等を得る目的として彼らを利用するのでは「徳」と言えない。


    次に『試合の目的とスポーツの目的は異なる』
    各試合の目的はもちろん「勝つこと」だけどスポーツの目的は「従来の自分を超えて優れた存在になること」。そこに「スポーツは勝たなければ意味がない」勝利至上主義との差異が出てくる。
    試合の勝者は必ず1人(1チーム)。しかしそこに至るまでに従来の自分より強くなっていればスポーツの目的は達成されている。勝利は自身の卓越性を得る過程で得られるもの。金銭や個人や国家の名誉等を得るために勝利を求めるならば、それは目的がすり替わっているので有徳な行為とは言えない。

    あと支配や体罰の問題。
    選手の人間的な卓越性には自主性、自律性が必要となる。
    コーチは選手を支配してはならないし、自分の答えを押し付け判断力を奪ってはならない。コーチと選手は人間として同等であり、1つの目的に対し共に考え前進することで共により良き人間になることができる……などなど。

    哲学用語の概念は難しくて、私も多分ストア派やスポーツ倫理学の本を読んでなければ歯がたたなかったけど、自らの利益を最大化する経済学的な行動とは別観点からコーチの仕事の美徳と幸福(エウダイモニア)を探る、生き方の根幹になる本だと思いました。

    まあ、私はコーチじゃないけどな(オチ

  • コーチングの哲学 佐良土茂樹著 勝たせるよりも大事なのは
    2021/5/29付日本経済新聞 朝刊
    現在もスポーツ指導者の暴力、暴言などは絶えない。殆(ほとん)どが対症療法に過(す)ぎず根絶にはほど遠い。そこには致命的な欠陥がある。指導者はどんな存在かという哲学が論じられない点である。その盲点を突く著作が刊行された。


    本書では古代ギリシャ哲学に精通し、バスケットボール指導に造詣の深い著者が、コーチングについて、アリストテレスの思想をもとに理想の姿を論じている。

    巷(ちまた)にある技術論や指導者の体験記と違い、コーチングは何のために行うのか、その根に踏み込んでいるのが特徴だ。

    著者は現代を「美徳なきコーチングの時代」と述べる。コーチが勝利至上主義に陥り、自己の名誉、金銭的な欲望を求め、ハラスメントが続く状況を意味する。だからコーチには美徳が求められる。

    コーチの目標は試合などで「アスリートの潜在能力を最大限に発揮させること」にある。勝つことよりも、アスリートが力を発揮する瞬間そのものに喜びを感じることがコーチの幸福観なのである。同時にコーチはアスリートが「善く生きる」ために、彼らの人生全体まで視野に入れて、指導することが求められる。それは彼らが何のためにスポーツをやっているのかを理解することに繋がる。それが著者の定義する「美徳のあるコーチング」である。

    著者は理想的な指導者にアメリカのデューク大学男子バスケットボールのヘッドコーチであるマイク・シャシェフスキーを挙げる。

    シャシェフスキーは指導者としてNCAA(全米大学スポーツ協会)のトーナメントで歴代最多の勝利数を誇るが、「コーチの幸福」「コーチングの技能」「柔軟性を持った思慮」「コーチの人柄」「コーチとアスリートの関係」などへの取り組みが紹介され、その手法は説得力に富む。著者はコーチングの目的を結論づける。

    〈コーチたち一人ひとりが目指すべきは、コーチングという営みを通じて自らの徳を発揮して善く生きることである。〉

    東京五輪の是非をめぐり議論が絶えないが、この機会になぜスポーツをするのか、その本質的な在り方についてもぜひ考えたい。本書はギリシャ哲学に触れる醍醐味もあり、そこからビジネスのリーダー論として読むことも可能だ。

    《評》ノンフィクション作家 澤宮 優

    (青土社・2640円)

    さろうど・しげき 81年神奈川県生まれ。日本体育大准教授。専門はコーチング学、古代ギリシア哲学。コーチトレーナーでもある。

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