なぜ私たちは友だちをつくるのか: 進化心理学から考える人類にとって一番重要な関係

  • 青土社
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  • Amazon.co.jp ・本 (447ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784791774272

作品紹介・あらすじ

進化心理学から考える友だちと友情
なぜ友だちは重要なのか。なぜ私たちは社交的なのか。家族と友人はどのように区別されるのか……ダンバー数で知られる進化心理学の大家が、心理学、人類学、神経科学など様々なジャンルから「友だち」の謎にアプローチし、私たちにとって「友だち」が欠かすことの出来ないものであることを明らかにする。

感想・レビュー・書評

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  • かの「ダンバー数」を提言したご本人の著作。
    家族含めての友人の効能について、他分野のフィールドの知見から多角的に検証しております。
    章立てでそれぞれの発見があり、心躍る感じではないけど一歩ずつ知識を積み上げていってくれる。(膨大)

    タイトルの邦訳が少しミスリーディングかなぁ。
    「なぜ」友だちをつくるのか?の探究というよりも、最も重要な関係である「友だち」の効力への理解を促してくれてる本としても読むのが良い。

    友だちの階層分析や、男女における友だちとの付き合い方の違いなんか述べられててとってもためになるのは間違いない。女性を含めたグループでの会話に対する違和感の正体が少し垣間見れた気がする。

  • 著者は「ダンバー数」の提唱者。

    仕事で読んだのだが、面白かった。
    友だちという存在が人間にとってどのような意味を持つのかを、多角的に検証。「つながり」や孤独の研究史の概説書としても読める。

    「社会神経科学」の創始者として知られるジョン・T・カシオポが自らの研究を一般向けにまとめた『孤独の科学』は、私のお気に入り本の一つ。
    『なぜ私たちは友だちをつくるのか』はその類書であり、併読するといっそう面白い。
    本書にも『孤独の科学』への言及がある。

    なお、本書もそうなのだが、青土社の本は著者・訳者の略歴を帯にのみ掲載し、カバー・奥付には載せないことが多いようだ。
    これでは、帯なしの古書で買ったり、図書館でこの本を読んだりした読者には、著者・訳者の略歴がわからない。
    なぜそんな社内ルール(?)になっているのか、前から不思議に思っている。
    (つづきます)


  •  進化心理学者、ロビンダンバーの著書。この本では友達の重要性やつくり方、終わり方はもちろん。その際に脳やホルモンがどう関わっているか。まで述べられている。個人的な話ではあるが、昨年1の作品。「半穀物の人類史」に並ぶ名書であった。

    以下要約。めっちゃ長いです。笑 

    一章 なぜ友達は重要なのか

    まず、友達と関わっている人は長生きする。これは、健康的な生活をするよりも影響が高い。禁煙と同じくらい効果的(これはとんでもないこと)。免疫力も高まる。また、その健康的な生活を続けるにも、交友関係が鍵となる。面白いのが、影響力。不幸な人は周りを不幸にするし、幸せな人は周りを幸せにする。

    簡単に言ってしまえば、親密な交友関係は、人を健康に、そして幸せにするということ。


    二章 ダンバー数

    人との繋がりは150人前後に収まる。これは、私たちが狩猟採取民だった頃(わかりやすい例は縄文時代)のコミュニティのサイズと同じ。これは、SNSにも通じていて、たとえフォロワーがとてつもなく多くても、それは見かけ上の繋がりで、親密度を選別すれば結局は150前後に収まる。もちろん、私のような内向的なタイプは100くらいで、私の兄のような外向的なタイプであれば200など、個人差はある。


    三章 脳が友達をつくる

    猿や霊長類も実は人間と同じ、ダンバー指数を持つ。交友関係を可能にしているのは脳で、夫婦で関係を持って、子育てをする種ほど「脳が大きくなる」。ヤギとかは群れるが、別に習性で群れているので、脳は小さい。
    ここまでの話を聞くと、「じゃあ脳がでかい方が友達が多いの?」と疑問を抱く人もいると思う。その通りです。脳のスキャンをすれば、友達がどれくらいいるのか予想できる。
    また、私たちが思うより「社会的スキル」というのは難しいもので、習得には20年以上かかる。(幼児教育の大切さを知っている人は分かると思うが、二十歳過ぎたあたりでもなお、「残念な人」というのは、変わることが難しいのです)


    四章 友達の同心円

    ダンバー指数の解説

    1.5人 パートナー
    恋人や大親友は一人か二人に落ち着く。
    5人 最も親しい友達
    どんな時でもお互いに支え合い、さまざまな支援をしあえる関係のこと。
    15人 親友
    よく遊びに行く人
    50人 良好な友達
    何かで集まろ!ってなる時に会う人
    150人 友だち
    結婚式や葬式に招待する人
    500人 知り合い
    式に呼ばない程度の緩い繋がり
    1500人 何でもない人
    名前と顔が一致する人

    ※ここには家族や親戚、故人はもちろん。推しも含められるらしい。笑
    ⭐️親族プレミアム
    血のつながりは最強です 

  • 30分ルールを学びました。
    徒歩、自転車、車に関わらず30分以内の人とは会う努力をする。

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/765075

  • 人間どんだけ暴飲暴食しようが、運動もせずダラダラしようが、友だちがいないことに比べれば、寿命に与える影響など、たかが知れている。
    地域活動にも参加せず、孤独でいることほど命に直結するものはない。

    著者は「友だちの存在は人を病気から守り、さらには将来の心臓発作や脳卒中のリスクからもその人を守る」、言ってみれば友だちとは"アスピリン"だと断言する。
    しかし、どれだけ友だちの重要性や付き合いがもたらす健康効果を学んでも、実践に移さねば意味がない。

    「大事なのは、友だちは災難が降りかかってくる前に持っていなければならない」

    著者であるロビン・ダンバーは、あらゆる分野の学術書で引用される、イギリスの進化人類学界の権威。
    本書は、今年76歳になる老教授の研究の集大成的趣きで、動物行動学から心理学、社会学、果ては脳科学まで、分野を縦横無尽に横断する様は、圧巻の一言。
    目移りするほど興味深い研究成果のオンパレードで、時期外れのおせち料理のよう。

    著者の代名詞とも言える「ダンパー数」については、かねてより批判が繰り返されており、つい最近も「人が円滑に維持できる人間関係の上限は約150人なんて、そんなに少ないわけないじゃん」と疑問が呈されている。
    「インターネットの黎明期ならいざ知らず、これだけSNSが全盛となり人々のコミュニケーションのあり方が一変しているのに、150人以上とは意味のある人間関係を結べないなんて、あり得ないよ」と。
    今回は、かつての教え子も最新の研究に賛同を示しているため、かなり旗色が悪いのかもしれない。
    ただ本書を読んで、150人という数は別としても、著者の主張の根本は揺らがないのではないかと感じている。
    とりわけ鳴り物入りで喧伝されたパンデミックの中の新しい働き方なるものが、結局はそれほど社会に根付かなかったところを見ても、オンラインとリアルの垣根は相当深い。

    「私たちのネットワークは、最初は年齢とともに拡大し、20代半ばから30代初めでピークに達すると、その後は老齢期に向けて着実に縮小していく」

    150人というのも、30代までのピークの数字で、その後は急落していき、最後には出生時の1人か2人に戻る。
    ゆえに高齢者にとって友だちの維持は切実で、"30分ルール"というか、自分の家から30分圏内に親しい友がいることは極めて重要だ。
    電話やメールも埋め合わせにならない。離ればなれになるほど会う頻度は減り、縁は薄くなる。生涯の友と固く誓い合った仲でも、時の試練は苛酷なのだ。

    「どうやら友人関係を維持するには、時々顔を合わせて友情の"火花"を再燃させることが不可欠なようだ。重要なのは、対面でのやり取りに存在する感情的な質、表情や声が言葉に与える含みのようだ」

    実際に顔を合わせ、時間をともに過ごす。
    その努力をしたという感覚が不可欠なのだ。

    もちろん、友人関係のメンテナンスには男女差があり、女性は一緒におしゃべりをすることで関係が維持されるが、男性にとってはおしゃべりよりも一緒に活動すること、スポーツや呑みに行くことが潤滑油になる。
    友情は極めて脆く、振り向けられる時間が物を言う。

    「友だちとの関係は、頻繁に会って親密な関係を維持していかないと終わってしまう。どちらかがその手間をとるエネルギーを失えば、そこで関係は終了だ。だからそのような友人関係の終わりは、意図したものというよりはむしろ成り行きに近い。友情への道は『また会おう』という善意の気持ちとかなりの罪悪感(『そのうち絶対に会おう』)で舗装されているのだ。なぜなら、私たちにはほかにもやらなければならないことがたくさんあり、『そのうち』は絶対にこないからだ」

    社会ネットワークの階層構造には規則性があり、社交パターンは驚くほど一貫している。
    友だちの層に誰がいようと、そのパターン自体は変わらない。
    重要なのは、「友人関係は生まれるものであって、作るものではない」ということ。
    つまるところ、(遺伝子など)似た者同士が友だちになるのであって、友人関係はホモフィリーで出来上がっている。
    「類は友を呼ぶ」のであるから、ただ探し続ければ自ずから見つかるものなのだ。
    ちなみに、友人関係と同様に恋愛関係も、ホモフィリーに大きく支えられているが、友情や愛情を育むにはとにかく時間がかかる。

    「恋をすれば、友を2人失う」と言われているが、友だちや恋人に割ける時間は決して無尽蔵にあるわけではない。
    サルや類人猿が、社会的な絆を育むために、互いの毛づくろいに多くの時間を費やさなければならないように、人間もお互いの最も親密なカテゴリーに入るために、かなりの長い期間、毎日1日数時間以上を、友人や恋人と過ごす必要がある。
    時間こそがすべての人間関係の基盤であり、問題は、時間には限りがあるということだ。
    限りがあるのは友だちの数もそうで、個人の社会ネットワークには最大で150人前後の席しかない。

    この150人という上限が、実に興味深い事態を生む。
    前から、大家族の人には友人が少ないのは何でだろうと疑問に思っていたが、著者の説明は明快だ。
    つまり、親類縁者が多ければ席は優先的に埋まり、友だちのための空席の余裕は少なくなるのだ。

    友人関係はあれほど脆いのに、家族関係の強靭さは果てしがない。
    血縁の力というか、親族プレミアムというか、とにかく「大西洋のど真ん中の無人島にでもいたのかと思えるほどご無沙汰でも、家族関係が壊れることはない」のだ。
    意識的に絶縁でもしない限り、そのネットワークから逃れることはできない。

    最近は性差に触れることがタブーみたいになっているが、本書でも繰り返し語られているように、男女の社交パターンには明らかな違いがある。
    もし、披露宴かパーティに出席したときはぜひ、会話をしている同性の2人組を探して、彼らの立ち位置をチェックしてほしい。
    「女性同士なら真正面で向き合って話していることが多いが、男性同士ならほぼ必ず、正面で相手の目を見なくてすむ120度の角度で立っているはず」で、どうやら「彼らは、ほかの男性の目を見つめるのが苦手なようだ」という指摘は本当に面白い。
    目をまっすぐ見るのは、脅すときだけなのだ。

    見つめるのが苦手な男たちというのも面白いが、男女の嫉妬の違いも興味深い。
    「男性と女性では、何が嫉妬の引き金となるかも違う。男性はパートナーの不貞に腹を立てる傾向にあり、女性はパートナーの精神的浮気に腹を立てる傾向」があるという分析では、女性は夫の限られたリソースが自分の子以外にも分け与えられるのを恐れているからだとか、人間関係に対する感情の入れ込み方の違いとも解釈されている。

    これと関係しているのが、パートナーに集中する期間の違いで、女性は男性の3倍も長いのだとか。
    早い時期に相手の男性を見定めると、どんなに鈍い相手でも、それと気づくほど電話をかけ続け、相手を陥落させる。
    女性の注意を引こうといくら男性が頑張っても、最終的に誰を選ぶかを決めるのは女性なのだ。

    「社会の(ゆえに脳の)進化は主に、女性たちの利益のために推進されている」

    その一方で女性の人間関係には脆い一面も。
    同性婚の離婚率は、ヨーロッパのすべての国で女性同士のほうが男性同士よりも高い。
    共通の過去が及ぼす影響の違いも男女で異なる。
    男性の友人関係にとって共通の過去を過ごしたことは親密さにプラスに働くが、女性はまったく逆に作用してしまう。

    なぜ人類は、言語を持っているのか?
    サルや類人猿のように唸り方を変えるだけで、ほとんどの用事は済ませられるではないか。
    毛づくろいもそうで、こうしたスキンシップを図ることで信頼関係は維持されるのに、なぜ人類はそれを捨てたのか?

    結局のところ、これも問題になったのは時間で、コミュニティの拡大とともに、時間のかかる毛づくろいを進化させる方法をどうにかこうにか編み出したのだろう。
    笑いや歌、踊り、物語や宗教儀式が生まれた理由もここにあり、これらがいっぺんに複数の相手の毛づくろいを行なうの同じ効果をもたらした。

    話す相手の個体数が増えれば増えるほど、誰が誰に向かって話しているのかを明確に伝えなければならない。
    そのため、言語は豊かになっていく。
    つまり、集団の規模の拡大とともに人類の言語は進化したのだ。
    そのなかで言語は、事実を伝えるためではなく、社交的な機能を果たすためにも発達した。

    それがよくわかるのは、我々が物語をどのように記憶しているかを想起してみるといい。
    我々は物語の事実より、登場人物の精神状態の方をよく覚えている。
    行動よりも動機の方が重要だとする進化のプロセスは、事件の目撃証言のあやふやさにも現れている。

  • Friends: Understandings the Power of our Most Important Relationships
    http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3622

  • 友達パワーは偉大

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著者プロフィール

オックスフォード大学の進化心理学教授。ダンバー数や社会脳仮説の提唱者として知られる。邦訳書は『友達の数は何人?』『ことばの起源』『科学がきらわれる理由』。

「2016年 『人類進化の謎を解き明かす』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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