文庫 自分の「異常性」に気づかない人たち: 病識と否認の心理 (草思社文庫 に 3-2)

著者 :
  • 草思社
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  • Amazon.co.jp ・本 (232ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784794223654

作品紹介・あらすじ

強すぎる被害妄想、執拗な他者攻撃、異様なハイテンション、
他人をふりまわすサイコパス……
それは許容できる異常性なのか、治療介入すべき異常性なのか?
精神科医である著者が診察室で出会った、さまざまな「自分の異常性」に気づかない人たちを取り上げ、
その心の病理と対処法を明らかにする。
診察でのエピソードを通じて、医師の苦悩や精神医療の問題点を浮き彫りにする。


はじめに 正常か異常かの境界線 

第1章 強すぎる被害妄想
・郷里からの不安な知らせ 
・カレーライスの嫌がらせ? 
・変わり果てた母と実家
・自己防衛と否認 
・治療経過 
・もうひとつの病魔 

第2章 自分の異常性に気づく機能「病識」とは何か
・「自分の異常性」への気づき、「病識」 
・「病識」の系譜学 
・現代精神医学は「病識」を軽視している 
・芥川龍之介の統合失調症への疾病意識 
・妄想と現実「二重」の世界 

第3章 「不安に取りつかれた人」の病的な心理
・キャリア官僚が犯した〝深刻な〞凡ミス 
・凡ミスが動機の自殺未遂
・救急病棟での問答 
・本人が望まない精神科入院へ 
・うつ病「三大妄想」と蝕まれた病識 
・健康を偽装する「匿病」の心理 
・治療の後日譚 

第4章 「寝なくても平気」「俺すげぇ」 異様なハイテンションは病気か
・症例検討会で 
・不機嫌な病棟生活 
・波瀾万丈の人生 
・突然の自死表明 
・自殺は理性的な判断か? 
・薬剤を思い切って切る 
・見過ごされがちな双極性障害 

第5章 なぜ人を傷つけても心の痛みが一切ないのか
・入院依頼 
・突然の入院延期 
・初対面 
・医者への説教 
・毎朝の長い苦情と家庭崩壊 
・あくことなき他者批判
・逸脱行動 
・強制退院 
・巧みな自己正当化と被害者への変身 

第6章 威嚇と攻撃、見落とされた認知症
・外来での大騒動① 
・外来での大騒動② 
・一時的な収束 
・脳卒中?脱水? 
・規則正しすぎる生活 
・ケース・カンファレンス 
・再度の院内トラブル 
・転院 
・追い詰められる高齢者たち 

第7章 「悪気がない」という異常性
・わたしは発達障害? 
・独特の思考と行動の傾向 
・心理検査をしてみたが 
・本人にどう告げるか 
・どこまでが個性なのか 
・現代社会とアスペルガー的特性 

第8章 「死にたい」は狂言か、本気か
・当直医泣かせの常連電話 
・主治医の苦悩 
・救急部での傍若無人 
・うかがいしれない家庭の薄幸
・父性の欠如、母性の過剰 
・予期せぬ結末 
・手厚い医療体制の落とし穴 

エピローグ 今後の課題

感想・レビュー・書評

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  • 精神に不調をきたしているにも関わらず、病気であるという認識がなかった患者の8つのエピソードを披露し、精神科医の苦悩と対応が紹介されています。思わず自分はどうかと考えました。本書は、普通に見えてそうでないのは人と接する際の対処にもなりますし、また、ストレス多い現代では、予防策を事例から気付くことも大事かなと。

  •  精神病のエピソードによって、人の心の「異常さ」を判断することの難しさを教えてくれる。「自分は病気である」という都合の悪いことを否認したり、そもそも病識を持たない人が異常かと言うと、そうも言い切れない。実はその背景には器質的な疾患があるかもしれないし、あるいはその心の動きこそが正常な防御反応によるものなのかもしれない。だから介入がまったく必要ないという訳ではなく、人間社会の利益という観点から考えなければならない。認知症による被害妄想、仕事のストレスによる妄想を伴ううつ病、抗うつ薬による双極性障害の賦活、自己愛性パーソナリティ障害など、どれもことごとく病識の欠落したもので、しかも「異常かどうか」難しい。

  • 精神医療の難しさを、臨床の現場から描いたストリー仕立てで描かれていてわかりやすかった。正常とは何か、異常とは何かという命題は果たして決めるべきなのか。でも、他害的で自害的な行動は、はたから見てやっぱりおかしいと思ってしまう。アスペルガーの認知が広がったけど、彼らの異常性は環境によって、迫害されるし、受容されるし、異常と受け取るかも、一部他社の評価に依存するなと。
    そして、テーマの中に繰り返しでてくる「病識」。精神病患者にとって、その認識を持つ難しさを病気が内包してしまっているなと。
    何より精神科医をしている人の苦労がよくわかり、某精神科医のマンガにでてくるような「少しズレている」人の方が、適性があるのかもしれない。

  • 医師である著者が言うように、異常性とは何なのか、自分は異常ではなく正常と言い切れるのか、その境界は難しい。
    大学病院に勤める著者が実際に診た患者の例をもとに、様々な問題や治療の難しさなどがわかる。
    医学の道に進みたい人には参考になる内容だと思う。
    小説のような文体で、途中、小説を読んでいるような感覚になった。

  • 自分の「異常性」に気づかない人たち
    病識と否認の心理
    著:西多 昌規
    単行本版
    草思社文庫 に 3 2

    なんとも、やりきれない書でした。

    正常か異常かの境界線 精神科医の見た景色
    病識という語がテーマになっています。患者本人が自分が病気であることを自覚することが、病識。
    「自分の異常性」を洞察する能力と語っています。

    病名を告げることも、告げないことも難しい

    医療のレベルは、ヤスパースが活躍していた時代に比べれば格段に進歩している。
    特に、高度な治療にはインフォーム・コンセントが求められ、患者側にも病気について十分な理解をしてもらわないと、検査も治療もうまくいかない時代になっており、その傾向は今後もますます強くなっていくだろう。

    精神の病気あるいは問題は、身体に生じる病気や問題と違って、とらえどころがないのが現状である。

    ■機械的な病名診断

    21世紀の精神医学における病名の診断は、「操作的診断基準」によって行われるのが普通である

    たとえば
     ①幻覚
     ②妄想
     ③思考の解体・疎通性のない会話(とんちんかんなこと)
     ④非常にまとまりのない言動・緊張病性の行動(意味不明な行動や急に固まってしまうこと)
     ⑤陰性症状(無感情、鈍感で、何事にも怠惰になってくる)
    が、2項目以上あてはまり、それぞれの項目が1カ月間存在すれば、統合失調症と診断させる

    病識がなければ、本人は「わたしは正常だ」とばかりに、医者のところには来なくなる。
    治療が中断してしまい、病気がぶり返してしまう。

    措置入院も、医療保護入院も、精神保健指定医による診断が必要である

    はたして本人に病名を告げることが本当に正しいのか否か。

    また、病識を認識していることで、長い老後を生き抜かなければならないことが本当に幸せなのか。

    人生が長くなったことでこうした精神疾患が多くなっているのか、はたして、社会が複雑化して、産業医をふくめ、こうした患者がふえていくのか。

    医師の苦悩と、精神医療の問題点をあらわにする。

    ケース 近所の匂いと騒音が気になる、統合失調症の老婆
    ケース うつ病のキャリア官僚
    ケース あるエリートと双極性障害(そううつ)
    ケース NPD:自己愛型パーソナリティ障害と心の痛みのない者たち
    ケース 老人の暴力と、認知症
    ケース 発達障害、アスペルガーの青年
    ケース 境界性パーソナリティ障害による睡眠薬自殺

    目次

    はじめに 正常か異常かの境界線 
    第1章 強すぎる被害妄想
    第2章 自分の異常性に気づく機能「病識」とは何か
    第3章 「不安に取りつかれた人」の病的な心理
    第4章 「寝なくても平気」「俺すげぇ」 異様なハイテンションは病気か
    第5章 なぜ人を傷つけても心の痛みが一切ないのか
    第6章 威嚇と攻撃、見落とされた認知症
    第7章 「悪気がない」という異常性
    第8章 「死にたい」は狂言か、本気か
    エピローグ 今後の課題
    文庫版あとがき
    参考文献

    ISBN:9784794223654
    出版社:草思社
    判型:文庫
    ページ数:240ページ
    定価:750円(本体)
    2018年12月10日第1刷
    2020年04月09日第6刷

  • 衝撃的な表題『自分の「異常性」に気づかない人たち』。
    自分の心臓の鼓動が速まっているのに気づく。私も「異常に違いない」と。

    どこまでが「正常」で許容でき、どこからが「異常」なのかという線引きの難しさ。さらに当人の置かれる環境による問題表出の差異が認知や診断を難しくする。

    今でこそ精神医療へのアクセスや理解が深まりつつあるものの、本書にもあるが私が育った昭和の地方においては「悪いことをするとあの病院に連れていかれるよ」「あの病院に入れられると出られないんだぞ」と脅しのような親の言葉で精神医療を想像したものだった。

    本書のなかで典型例として呈されるいくつかの精神疾患は、その母親やきょうだいの「困った一連の言動」によるものだと理解するのには物凄い時間とエネルギーを費やし傷も負った。

    私の生い立ち環境は私自身にとってあまりにも当たり前すぎて、「困りごと」と認識するのが難しく「家族であるにも関わらず、投げ出すのは私が我儘で自分勝手だからだ」とずっと自分を責め続けた。

    実の家族たちによる攻撃性や暴言暴力に当惑し続け、私自身も母親やきょうだいのように、私の夫や子どもたちに牙を剥いているのではないかと、自分自身に猜疑心を抱く。

    「自分は異常に違いない」という漠然とした不安や恐怖から逃れられずに苦しんできたことを読みながら噛みしめる。

    P.74より一部抜粋
    恵一郎が悩んだ恥辱や罪悪感、自責感、後悔の念、つまり否定的な自己価値観は、異常なものとは認識しづらい。自己価値観がいつのまにかネガティブに変わってきていると、いつのまにかその自己否定感に吞み込まれてしまい、自分の病的な変化として気が付きにくいのだ。

    以上抜粋。

    本書でキャリア官僚として身を削るように精進してきた恵一郎の心の動きが説かれているが、私自身が抱えてきた重荷が自分自身だけのものではないとぼんやり理解でき、言語化された感覚により、状況を客観的に見直す機会にはなった気がする。

    医学博士であり、臨床現場でも多くの患者を診てきた精神科医の生の声に触れられる良書だと思う。

    精神疾患と言っても千差万別であり、攻撃性や情動制御不全などパーソナリティや生い立ちにも大きく左右される部分も多く、医療や福祉をもってしても解決が難しいものも多いことは再認識できた。

  • 精神科医の描いた堅苦しい内容かと思ったが、小説のように面白くスラスラと読み進めた。私の夫がASDなのだが、この本を読むと統合失調症傾向であることも判明。だからと言って治療レベルではなく、夫の根拠のない被害妄想や過剰なクレームをただ聞き流すしかないのだと理解した。それは絶望と言うより「変えられないもの」として受け入れ、こちらが真に受けないようにすればいいだけだ。
    しかし本を読んで、扱いずらいから「異常」と言う烙印を押すのも間違いだとわかった。自分にもきっと異常性があり、それは気づかないと言うより、あるわけないと一蹴したいだけだ。
    そんなことを考えると親族であれ他人であれ、一緒に暮らすと言うことは試練であり修行なのだろう。
    そしてそれがいかに自分の糧になっているかを実感することが、人としての成長につながるのかもしれない。

  • 異常性とは何か。
    そもそも私たちが常識だと思っていることは正しいのか。そんな思いから読み始めた。

    精神科医の日常や、苦労など、読み物として面白かった。

    しかし、やはり、何をもって「異常」とするかは
    精神科医でさえ判断が難しいことで、
    一般人である私にはできないことだとわかった。

    もやもやは続く、、

  • 精神科医の著者が、臨床現場で経験したことをもとに「自分の異常性についての知覚(=病識)」のない患者について考える一冊。

     引き込まれるような描写の文体で書かれていて、医学的な知識を全く持たない私でもするすると読み進めることができました。
     誰もが一度は名前を聞いたことのあるものから、実は誤解していたなと感じるものまで多種にわたって記述されていますが、個人的に最も印象に残ったのは冒頭のカレー事件のお話です。
     カレー事件とは言っても、毒物を投入されたカレーで多数の人が亡くなったあの事件ではありません。
     正直、この冒頭の話だけでかなり心を引き込まれたと言えると思います。このエピソードはどこにでもありそうで正常と異常の狭間を見事に突いたものだと感じました。

     専門的知識のない一般人が見ていると「ちょっと不思議な人だな」と思う(でも見過ごしてしまう)ような人が、実はとても重度の精神疾患を抱えているということもありうるのだろうなと考えると、本当に現代は精神病と隣り合わせなんだなと思います。
     認知症の項目では、情報化社会の弊害であったり、行政の努力次第で変えていけるところもあるのではないかという思いがあるだけに、あと一歩なのにと思わざるをえませんでした。
     現代は「コスパ」「タイパ」と、何でも効率を求めて不要なものを切り捨てようとする時代だと思います。しかし、人はコストや時間と違って簡単には切り捨てることができません。この辺りのところが、今後焦点となってくるのではないかな、とも同時に考えさせられました。

     こうしてこの本の感想を書いている私をはじめとして、誰もが「自分の異常性」というものには気づきにくい中で生きています。
     ネットや報道で広がることが必ずしも良い結果を招かないことは知りつつも、「ひょっとして」と思うきっかけになるのであれば、今後こういった精神疾患の分野について、人々に広く知れ渡ることが、一人でも多くの方を救う助けとなるのではないか、それと同時に、一般の人が「知り合いが困っている」と感じた際に、スムースに医療に繋げられる仕組みが求められていると思いました。

     著者あとがきにもありましたが、医療に携わる方、そしてその親世代にも(勿論、私のような一般人にも)読んで頂きたい一冊です。

  • 精神科として関わる患者さんのエピソードをいくつか紹介しながら、正常とはなにか異常とは何かを考える本だった。

    個人的には精神科の先生の治療の仕方や大学病院での様子など垣間見れて勉強になった。

    自分が異常であることに気づかない、いわゆる病識のない人たちにどうすれば治療を受けてもらえるのか?そもそも異常だから何が悪いのか?すごく考えさせられた。
    異常だとしても、周りが理解してくれて、生活ができていれば治療の必要性はないだろうし、本人が異常とは思っていなくても周囲が困っていて社会が異常と判断すれば治療もしくは自由刑の対象になることもある。

    産業医をしていて、会社をやすみがちになり、仕事も全然手がつかないにも関わらず病院に行きたがらない人がたまにいる。
    ほとんどは病識がないというよりも、自分の調子の悪さを自覚したくないという否定の気持ちが強いことが多い。

    この否定の気持ちは、ある意味社会で生きていくための鈍感力であり、なくてはならないのだけれど周りが困るほど強い鈍感さになってしまうとそれは一度病識がない人という扱いになるのだろう。

    なにごともバランスが大事だけれも、自分自身もいつそうなるのかわからないから恐ろしい…

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著者プロフィール

西多 昌規(にしだ・まさき)
精神科医・医学博士。早稲田大学スポーツ科学学術院・准教授。東京医科歯科大学医学部卒業。国立精神・神経医療研究センター病院、ハーバード大学医学部研究員、スタンフォード大学医学部客員講師などを経て現職。日本精神神経学会専門医、睡眠医療認定医など資格多数。専門は臨床精神医学全般と睡眠医学、身体運動とメンタルヘルス。著書に『「器が小さい人」をやめる50の行動』(草思社文庫)、『「テンパらない」技術』(PHP文庫)、『休む技術』(だいわ文庫)、ほか多数。

「2018年 『文庫 自分の「異常性」に気づかない人たち』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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