本の音

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著者 : 堀江敏幸
  • 晶文社 (2002年3月31日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784794965271

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本の音の感想・レビュー・書評

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  • 2017.10.1一箱古本市にて購入。

  • 堀江さん好きなのに。知らない作品ばかりで途中で飽きてしまった。勉強不足である。
    読みたい本は何冊かあった。

  • 8/21 読了。

  • 内容のレベル高すぎてびっくりの書評集。しっとりした文章が魅力的。

  • 2009/2/5購入

  • 堀江敏幸の書評を集めた「本の音」を読む。タイトルを見て、あっ、と思う。ほんのおと、本ノート、ってこれは洒落だな、くすくす。あとがきに種明かしがあり、ああやっぱり、と思う。最近、堀江敏幸という人が大分見えてきたな、と確認する。実は、ここ数年分の、朝日新聞に掲載された堀江敏幸の書評はデジタルでストックしている。つまり堀江敏幸の書評が好きだということなのだけれど、それは、彼の本を通して見ているものへのまなざしが好きだということでもある。

    堀江敏幸は仏文学者で(も)あるので、書評される本の多くはフランス文学周辺のものが多いのだが、好きなプーランクに通じると思われるフランス文学の世界は、とても興味がありながらどこから登り始めればよいやら途方に暮れる未知の山であり、堀江敏幸はそんな自分にとって、とても優秀な登山ガイドなのだ。

    それにしても書評集を読むというのは、読書人にとってはどういうもんなんだろうか。生意気な高校生の頃であれば、決して人から教えてもらって本を読んだりはしなかっただろうなぁ、と思うけれど、「『本についての本』とは、(中略)、読書に溺れながらさらに広い海へと乗り出していく精神の動きを助ける形而上的な側面」というのが、かっこよく言えば確かにあると最近は思えるようにもなった。ああ、それなら登山ガイドではなくて水先案内人という方が適切だな。

    網羅された73冊の内、読んだことのある本はわずかに4冊。読んでみようかと思っていた本を入れても10冊。読書の海の広大さを改めて思う。もちろん、紹介されて興味が湧く本もわかない本もある。読みながら折った犬の耳を数えてみると、その数は9冊。約八分の一だ。これが多いとみるか少ないと見るかは微妙だけれど、天の邪鬼な自分にしては意外に高い確率だと思う。実は朝日の書評で読んだ本も入れると、その確率はもっと高くなる。

    書評を読んで本を買うというのは、本屋に行って本を手に取る機会に恵まれない生活が続いている内に身についてしまった癖だろう。本は本屋で買うもの、という固定観念はインターネットとその上で展開される商取引の出現で大きく様変わりしたと思う。振り返ってみると、洋書の学術書をインターネットで購入するようになったのが始まりで、その内に本屋巡りをして欲しい本が見つからないことに疲れて、手間も時間も省けるインターネットでの書籍購入をするようになり、その内、インターネットの本屋のレビューなどを参考にするようになった。そして、今はインターネット以外での書籍購入はできない環境にいる。

    本棚で手に取ってみていない本を買うというのは、始めた頃は、冒険だった。今、本屋のない環境に居てインターネットで毎月のように本を注文することが当たり前になっても、実は未だに、手に触れてみていない本が届く時、少しだけ、どきどき、する。本というものは、テキストだけではない、何か、装丁やらなんやら含めた総体としての魅力があると思うのだ。例えば、それ程ダニエル・キースがポピュラーではなかった頃、「アルジャーノンに花束を」との出会いを数年間に渡って待っていた後、何気なく本棚にあったその本は、竹取物語ではないがその1冊だけ、「光っていた」。そんな、本が発する気のようなものに惹かれて購入する本もある一方で、タイトルはよくても装丁などから敬遠してしまう本もあり、今はそれが確認できないまま本が届いてしまうので、少しだけドキドキするのだ。

    そのドキドキを、少しでもうきうきに変えようとして、好きな書評家の書評を読む。そしてそれは、その行為自体でうきうきすることでもある。「本の音」を読むことは、実用的な意味合いもあるのだけれど、そのうきうきした気持ちのためでもあるのだ。堀江敏幸の書評を読んでいると、そんなうきうきをたくさん感じるように思う。例えば「あとがき」にあるこんな言葉に、思わず、そうそう、と頷いたりする。「書評の器に盛ったおかげで、ただ漠然と読んでいただけでは理解できなかったこと、人と話をするだけでは腹に染みてこなかったことが、はっきりした輪郭をともなって見えてくる。」 この家内制手工業的な雰囲気がよいのだ。もちろん、彼の書いている書評が全て著者個人のためになされたことではないのは確かだが、堀江敏幸の視線の先はどこかしら彼自身の方にも向けられていると思う。本を読む自分がいて、その本について文書を書く時、本を鏡として写した先、つまり本の向こう側にいる「本を読んで何か感じている自分」を見つめ直している、とでも言ったらよいような雰囲気がある。であるからこそ、あとがきでも「書評」と呼ばず「感想文」と呼んでいるのだろう。その媚びない態度がとても気持ちよいのだ。

    この本に収められている書評は、書評ということを考えれば当然だけれど、概して短い。せいぜい2頁から3頁である。そんな中で、最後の章「まなざしについて」に収録されている、川上弘美の「神様」の書評が5頁に及んでいるのを見いだして、とても嬉しくなる。そもそも、まなざしについて、という章に川上弘美を配するところからして膝を打ちたくなる思いがする。川上弘美をまなざしの作家と呼ばずして何と呼ぶべきか。それを初期の「神様」で既に見抜いている堀江敏幸、さすがだ。最近二人の対談を読んだ後なのでよけいにそう感じるのだが、堀江敏幸の川上弘美に向けられたまなざしの親愛さも、この書評からは沸き立ってくる。堀江敏幸、あんたは偉い。ひとつ年下だけど、尊敬しちゃう。

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