ふだんづかいの倫理学 (犀の教室Liberal Arts Lab)

著者 :
  • 晶文社
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  • Amazon.co.jp ・本 (395ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784794970381

作品紹介・あらすじ

◎モラルなき現代に正義・愛・自由を問う、新しい倫理学!

社会も、経済も、政治も、科学も、倫理なしには成り立たない。
倫理がなければ、生きることすら難しい。
人生の局面で判断を間違わないために、正義と、愛と、自由の原理を押さえ、
自分なりの生き方の原則を作る!
道徳的混乱に満ちた現代で、
人生を炎上させずにエンジョイする、〈使える〉倫理学入門。

感想・レビュー・書評

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  • 読書会6月の課題図書。さっくりした口調で進んでいて、読みやすい。愛とは?正義とは?なんて大人になるとあんまり話さないことも久しぶりに深く考えられた。もっと深くディスカッションしたかったのだけど、なんとなく話が逸れてしまうのは倫理への理解やフォーカスしているポイントが浅いのだろうか…。ちょっと冗長なのと、あまり好きではない漫画を例えに何度も用いられてたのが個人的にはちょっと辟易。

  •  書名の通り、普段の生活における指標となるような倫理学の入門書。
     伝統的な倫理学は、大雑把に言えば二つに分けられると思う。一つはアリストテレスの徳倫理に代表される、一般に善いと考えられている性質(正直さ・寛容さなど)を列挙していくことで構成していくタイプの倫理学。もう一つは、カントの義務論やベンサムの功利主義のような、最初に一つの原理を定めそこから物事の善悪を判断するタイプの倫理学。しかし、残念ながらどちらのタイプの倫理学にもそれぞれ欠点がある。前者は、「徳」の数が非常に多くなる傾向があり、「徳」の衝突が頻発することによって個々の行為の善悪がはっきりしなくなってしまう。後者は、一つの原理しか認めないために取りこぼしが生まれ、視野が狭くなってしまう。
     そこで本書が目指すのが、これら二つの倫理学の「間」を探ること、つまり、取りこぼしをなるべく減らし、且つ、扱いやすいだけの数の原理を設定することである。
     原理をどのように選ぶか考えるために、まず人間関係を「個人」「身近な関係」「社会」の三つに分類している。そのうえで、各分野における基本原理を、それぞれ「自由」「愛」「正義」と定めている。本文ではこれらの原理の検討がかなり詳細になされているが、もちろん全部はここにメモできないのでp.340の表を抜き書きしておく。
    表7 倫理の基本とパターンの総まとめ
    人間の関係・基本原理・パターン・攻めor守り・具体例
    社会・正義・調整・守り・法(刑事罰)
          交換・守り・経済(売買)
          分配・守り/攻め・政治(予算配分、税金)
       功利性  ・攻め/守り・トリアージ
    身近な関係・愛・横の相補性・攻め・恋愛、夫婦
            縦の相補性・攻め/守り・親子愛、師弟愛
            横の共同性・攻め/守り・友情、コミュニティ
            縦の共同性・攻め・部活、会社
    個人・自由・消極的自由・守り・プライバシー、愚行権
          積極的自由・攻め・個人の幸福、生きがい
          不確定義務・攻め・他人への親切
          超義務・攻め・自己犠牲

     数が少ないとはいえ複数の原理があるので、境界領域では原理の衝突が起こる。だが、そもそも倫理学の仕事というのは、何をどのように考えていけばよいかを分かりやすく整理することであり、それに過ぎないのである。
    「・・・倫理学は原理を示すのであって、その原理の使い方、応用の仕方、決定するための理由は我々の一人ひとりが考えるしかないのです。どの原理が優先されるか全部決まっていたら、それは奴隷かロボット。自分で決めるからこそ、一人ひとりが生きる意味が生まれてきます。/つまり、これらの原理の中の何を大事にし、全体でどのようにバランスをとるか、それを考えること、いわば人生を自分なりにデザインすること、それこそが「主人公は私」の本当の意味だったのです。(p.344)」
     大筋とは関係ないが「正義」に関してよくぞ言ってくれたと思った箇所があったのでそれについて。普段の生活の中で「正義は人それぞれ」なんていう主張を耳にする機会がたまにあるが、その度に、言っていることは分かりつつもなんとなく違和感を覚えていた。正義というのは、人によって違うとかそんなにあやふやなものじゃなくもっと確固としたものではないのかと。本書では、正義を「釣り合いをとること」と定義しており、人によって異なるのはあくまで正義の実現のさせ方、あるいは自分の主張、自分の都合に過ぎないことになる。「落ち着いて考えましょう。正確に言うと、上のことから分かるのは、「対立している双方が『自分たちの方こそ正義だ』と主張することがある」というだけのことです。つまり、違っているのは「正義そのもの」ではなくて、「自分は正義だ」という主張だけです。こういう主張の対立はごく普通にあることです。(p.109)」もちろん正義は実行してはじめて意味を持つので、その意味では現象としての正義は人によって違うのが当然だが、それでもやはり、それは正義の一つの現れでしかないということを頭の片隅に置いておくことには意味があると思う。というのも、人間のすることである以上「神の正義」はどう頑張っても実現できないので、「これが正義だ」という主張はどんなにもっともらしく、耳に心地よくても、必ず誤り、少なくとも局所的にしか正しくないということになるからである。「正義は絶対に実現できない」といえば絶望になるが、「どんな正義にも必ず改善の余地がある」といえば希望になるのではないだろうか。

  • ある著名人の発言が炎上しているのを見て、確かによくない発言だ、と思った。大多数の人は私と同じように「よくない発言だ」と考えると思う。でも、なぜよくないんだろう?とにかくよくないものはよくないし、理由が説明できないならよくないと言ってはいけないだなんて思わないけど、私はその理由を説明できるようになりたかった。そこで興味を持ったのが、倫理とか道徳といった分野だ。
    大きめの本屋に行き哲学や倫理学の棚を眺めてみたところ、たまたまこの本が目にとまった。「ふだんづかい」というくらいだから、きっと初心者にもわかりやすいんだろう。本当に何気なく手に取っただけなのだけど、この本、前書きがめちゃくちゃおもしろい。読み終わったあとだから言うけど、正直、前書きが一番おもしろいかもしれない。著者のずうずうしさというか、ずうずうしいのに妙に客観性があるというか、「倫理ってむずかしそうだけど、気軽に足を踏み入れてみてよ!(でも、そのまま通り過ぎてもいいよ)」みたいな、やさしいんだかやさしくないんだかわからない感じが楽しくて読むことに決めた。
    冒頭に書いた「よくない理由」は少しだけ説明できるようになった。他人の権利をないがしろにするのは自由の侵害であり、道徳の相互性(正義)にそむくものだから、という感じだろうか。まだあまり自信はないけど、倫理とか道徳とか正義とか、なんだか漠然としていて掴めないものの形が見えてきたのは大きな成果だった。倫理や道徳は個々人によって捉え方が変わるもので、それをひとつの形に落とし込むのはむずかしいと思っていたけど、そして実際「ひとつの形」に落とし込むのはむずかしいということがわかったのだけど、「私はどんな形に落とし込むか」を自分で考えることが大事なんだと思う。著者が何度も使っていた言葉のひとつに「バランス」がある。私はどんなふうにバランスをとっていくか、自分にとって大事なものは何なのか、ちゃんと考えていきたいな。

    【読んだ目的・理由】倫理や道徳に興味を持ったから
    【入手経路】買った
    【詳細評価】☆4.4
    【一番好きな表現】つまり、これらの原理の中の何を大事にし、全体でどのようにバランスをとるか、それを考えること、いわば人生を自分なりにデザインすること、それこそが「主人公は私」の本当の意味だったのです。(本文から引用)

  • ドラマ『ここは今から倫理です。』がとても良かったので、倫理に興味を持ち読んだ。
    ドラマにリンクするな~と思ったのは、
    >「私」はみんな個人で、「個人としての私」の立場から考えてしまいます。でも、それだけで考えてしまうと、「私」にとっても「他の人」にとっても結局はよくない。つまりこれが倫理、道徳の基本なのです。このことを導くために大事なのが、「お互い」ということ、 相互性 です。これは倫理学の最も基本的な原理の一つです。私に認められることは、あなたにも認められないといけない。逆に、あなたに許されるのなら、私にだって許される。こうした相互性を考えに入れると、「私がボタンを押すことは許される」とは言えなくなるわけだ。自分の権利を認めてもらうためには、他の人の権利も認めなければならない。これが相互性

    この相互性の部分。クラスメイトの誰か特定のためでなく、それぞれの立場を尊重する描き方がとても印象に残っていて、この部分とリンクするように感じた。

    それ以外に私個人として印象に残ったのは
    >もし必要な倫理があるんだったら、倫理学は「そうしなければならないこと」、「そうした方がよいこと」の理由を考えます。理由があって、必要なものなら、自分でも納得して従うことができる。そうなれば、「従う」というより、自分の意志で「そうしよう!」と思えます。この意味でも倫理学は、我々を自由にする。  こうして倫理学は、二重の意味で我々を自由にするわけだ
    この倫理学が人を自由にするという点。大人になることってこういうことなのかもなと思って読んだ。

    他にもハイライトつけまくり。倫理を知ると「善くありたい」という欲が湧きなんだか自分が少し好きになれておすすめです。

  • 分厚い本で、読書会で30分では飛ばし読みしても半分くらいまでしか辿り着けず。
    それでも、これは悪いことだ、と漠然とおもっていることを、何故わるいの?何故いけないの?と、明確に説明できること、それも誰にも当てはまるように考えることが倫理学…という超基礎の基礎を学べたのがいちばんの収穫。
    3種類の正義の分類もとても分かりやすかった。親近感のわく語り方と、マンガの例えが豊富なのとでとても読みやすいし、この先生の講義受けてみたいなあと思った。

  • 「今からここは倫理です」をみて、倫理学に興味を持ったので読んでみた。

    愛、正義、幸福などの普段我々が感じているけど、それは何かと言われればわからない事が詳しく書いてある。デスノート、逃げ恥、隣の怪物くんなどの漫画を例題にして説明してあるところが良い。

    最後まとめていたので要点が押されられ分かりやすかった。

    「広い視野を持ち、どの原理の何が大切かを大事にして全体でどのようなバランスを取るか、いわば人生を自分なりにデザインする事」という言葉に深く納得。

    文章がかなり長くなっており、途中頭がこんがらがってきてなにを言いたいのかわからない部分があった。

  • 「役立つ」と思われているものには、役立つ時と役立たない時があり、「役立つかわからない」と思われているものは、実は自分たちが気づいていないだけでいつでも役立っている。倫理学がまさにそうであると『ふだんづかいの倫理学』(平尾昌宏 晶文社)に書いてあった。その通りと思う。
    #読了 #君羅文庫

  •  正義、自由、愛などのあいまいな概念を複数の視点から分類・整理しており、専門用語も極力避けて説明している。
     本書はそこからさらに、私達の日常生活に「使える」ようなtipsにまで踏み込んでいる。(そのため、男女の友情は成立するか?なぜ正しいことをしなければならないのか?などといった身近なテーマが多め)
     以上より、ページ数は多いものの、初学者にとっては易しい設計になっている。一方で中級者にとっては、感覚的な表現が多めなので、冗長に感じるかもしれない。

  • 著者さん、デスノートめっちゃ好きやん…
    アニメとかマンガがお好きなのかな、ちょこちょこ例に出てきて共感しました
    文章もめちゃ分かりやすくて面白かった!

  • 倫理、道徳というとどんなイメージでしょうか。
    人は如何に生きるべきか?
    そんなの人によって違うじゃん、はい、議論終了。
    で終わってしまいそうだけど、本書ではそのように考えていない。

    ・倫理とは人と人が関わる中で必ず生じる、人間の生き方や行為についての価値規範である。(刑務所の中でさえ、掟は生じる!)

    ・倫理とは様々に違っていたり、場合によっては対立する道徳、倫理観をできるだけ整理し、調停するもの。

    ・倫理とは「道徳とされているもの」が全部大事とは限らないので、本当に必要なものと不要なものに分ける事。必要な場合は理由を明示する。


    倫理とは人と人との仲立ちであるため、大きく「人」の関りを

    「社会」
    「個人」
    「身近な関り」

    の3種類に分けています。
    各々でキーとなるのは

    「社会」・・・『正義』(社会の秩序を保つために釣り合いを取る)
    [調整の正義] 司法
    [分配の正義] 政治
    [交換の正義] 経済

    「個人」・・・『自由』
    「消極的自由(権利)」他人から権利を侵されない
    「積極的自由(自立)」生き方の原則を自分で作る
     「他人への自由」・・不確定義務
     「自分からの自由」・・無償の愛

    「身近な関り」・・・『愛』
    「横の相補型」対等で親密な人
    「縦の相補型」上下関係のある親密な人
    「横の共同型」共通の目的がある対等な人
    「縦の共同型」会社などの組織の上下関係

    特に身近な関係についてはこうあるべし、やカテゴライズが不明確な感じはあるが、それだけ定義づけしにくいものなんだろう。

    でも、こういう風に人との関係をカテゴライズできれば、本来そうある関係に他の関係を持ち込んだり、ある関係にありもしない関係の要素を持ち込んだりしないで済むとは思う。

    とても良い本でした。



    その他なるほど。
    ・「~したい、したくない」(心理)でなく「~してよいか、してはいけないか」(道徳規範)を扱う。だからみんなが納得できる理由を挙げる

    ・私に認められることは、あなたにも認められなければいけない(相互性)

    ・正義は1人の個人では決められない

    ・正義は暴走する事もあるが、それはもう正義ではない。

    ・私の権利と他人の義務がセット。私の義務と他人の権利がセット。

    ・少なくともお互いに違っていることを認め、最低限お互いに傷つけないようにすることが大事。

    ・古代から現代にかけて、権利を持つ者の範囲、つまり正義の適用範囲が広がってきた。

    ・すべての人に無制限な自由を許すと、求めていたのは自由のはずなのに、いつ他の人に襲われるかわからないというビクビクした状態で生活することになる。

    ・自立の反対は依存だし、自律の反対は他律

    ・生きる本当の目的というのは、それ以上に「それは何のため?」と問えないような最終的な目的。それが幸福。

    ・愛は人を特別扱いする。「共同型」なら何か共通点があって、それが仲間とそれ以外を分けている。「相補型」ならこの特別さがもっと進んで、他の誰とも取り換えが出来ない。

    ・組織では共通の目的が重視されるあまり、個々人が蔑ろにされてしまう傾向がある。共通の目的は弱すぎるとバラバラになるが、強すぎると個々人を圧迫する。(バランスが大事)

    ・個人の生き方は「人によるでOK」。社会は「人によって違うでは困る」。身近な関りでは「人によって違うが、自分一人では決められない」

    ・相補型の愛では、相手が「持っているもの」でなくその人自身が大切なのだが、契約(交換の正義)ではモノやサービスが対象であり、誰でもよい。

    ・そもそもお金で買えないもの、つまり取り替えられないもの。それを愛と呼んでいるのではないか。

    ・社会では自分じゃなくてもいい、他の人と取り換え可能な存在。

    ・不倫がまさしく不倫なのは、夫婦の関係である横の相補関係を破壊するから

    ・義務論は良く生きるための十分条件だが、目的論は必要条件である。

    ・意見が分かれてしまうのは、どの面から見るかによる。大事なのは自分が見えている面だけが唯一の正解だと思わないこと。

    ・自分の幸せを見つけるには、自分自身を見つめるとともに思い込みを無くすこと。一つの事だけに囚われていないか思い返すことが大事。

    ・確定義務とは他人の権利とセット。不確定義務とは他人の権利があるわけではない。

    ・カント「義務に反する行為(アウト!)」「義務に従うこと(当たり前)」「義務からの行為(自発的)」

    ・同じ2人でも、いくつもの側面を持っている。また関係は変化する。

    ・どの原理が大事かはその場、その場で違う。

    ・これらの原理の中で何を大事にし、全体でどんなバランスをとるか。それを考えるのが、自分の人生の主人公になるということ。

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著者プロフィール

平尾 昌宏(ひらお・まさひろ):1965年、滋賀県生まれ。立命館大学大学院文学研究科博士課程満期退学。専門は哲学、倫理学。立命館大学、佛教大学、大阪産業大学、追手門学院大学などで講師を務めるかたわら、邦訳スピノザ全集の計画に携わっている。著書に『哲学、する?』『愛とか正義とか』『哲学するための哲学入門』(いずれも萌書房)、『人生はゲームなのだろうか?』(ちくまプリマ―新書)、『ふだんづかいの倫理学』『日本語からの哲学』(晶文社)などがある。

「2024年 『人間関係ってどういう関係?』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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