なぜケータイ小説は売れるのか (ソフトバンク新書 63)
- ソフトバンククリエイティブ (2008年2月16日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
- / ISBN・EAN: 9784797344028
作品紹介・あらすじ
『恋空』『Deep Love』『赤い糸』…次々とベストセラーを生み出し、メディアミックスを展開するケータイ小説。売春、レイプ、妊娠、薬物、不治の病、自殺、そして真実の愛と過激な要素が満載のケータイ小説に若者はなぜハマるのか?その市場や社会的背景、作品分析に至るまでを鮮やかに読み解いていく。誰もがケータイを持つ時代に咲いた徒花か、それとも新しい文化の始まりなのか、ケータイ小説を読まない人でも、これ一冊で分かる画期的な内容。
感想・レビュー・書評
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ライトノベル作家である著者が、「ケータイ小説」の世界に分け入って考察を展開している本です。
著者は本書を執筆するにあたり、ケータイ小説の編集者や作家への取材もおこなっているようですが、読者である女子中高生への取材のようなものはなされていないようです。ケータイ小説のじっさいの読者からアプローチしていくと、著者と読者のあいだに隔壁のないケータイ小説のインタラクティヴ性に焦点があてられることになると思うのですが、本書ではむしろ、自身もプロの作家である著者が、ケータイ小説のドラマトゥルギーを読み解くことで「読者」像を浮かび上がらせようとしています。
本書では、Yoshi『Deep Love』、Chaco『天使がくれたもの』、美嘉『恋空―切ナイ恋物語』(以上スターツ出版)、メイ『赤い糸』(ゴマブックス)などの作品がとりあげられ、ストーリー・ラインを紹介するとともに、著者による「ツッコミ」が入れられています。著者自身がケータイ小説の読者層と対立する文化トライブであるオタク文化圏の住人なので、ケータイ小説読者のツボを押さえた解読になっていない可能性も憂慮したのですが、おおむね適切な解説になっているように感じました。
結論としては、ケータイ小説の読者は「真実の愛」というやや安易な救済の物語を求めているというところに着地しています。「大きな物語」は崩壊したものの、「終わりなき日常」に耐えて生きていくには弱すぎる人びとが、自分たちが共感できるような等身大の「救済の物語」を求めるようになったと、著者は論じています。
ただし、『電車男』のような「メタ」の観点と「ネタ」が直結しているようなオタク文化との差異や、近代の自我の目覚めによって素朴な「救済の物語」が有効性をうしなったという歴史的経緯など、さまざまな論点が提示されていて、少し論点がぼやけているような気がします。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
作家の目線からケータイ小説を分析した一冊。
ケータイ小説はともすると、既存の文学から一段低く見られがちだが、その現状を踏まえた上でブームの理由とその通り一辺倒な内容を分析している。
ケータイ小説(特にノンフィクション)を愛読するものとして、全ては頷けないものの、その論説はさすがの一言。 -
■携帯小説の構造
強姦や堕胎などの罪→真実の愛によっ てすべてが許され、救われる。
真実の愛=南無阿弥陀仏@浄土真宗
同じ構造の話の繰り返しは、聖書やイ ソップ童話や日本昔話にもみられる。
「実話である」とされることも聖書や民間伝承と共通する。フィクションで あることを前提として読むと×。
■携帯小説の読み手
地方都市の女子中高生
地方都市…テレビの過剰な東京中心主義からの排除された感。
携帯小説に出てくる罪は、自分でなくても周りの誰か(それが噂レベルでも)が経験している話→リアリティーのあるインパクト
中高生…特に狭いコミュニティーに生きてる、恋愛による救いは分かりやすい -
「ケータイ小説」は一過性のものであったのか。残念ながら、2011年の「紀伊國屋書店」年間ベストセラー(総合30位まで)に「ケータイ小説」は入っていない。もっとも、このランキング自体、大川某氏が1位を獲得しており、必ずしも世相を反映しているとは言えないが。
この本を読んで思ったのは、「ケータイ小説」を一過性たらしめたものは何だったのかということ。たしかに、一時の隆盛から見れば「ケータイ小説」市場は凋落をしたと言える。でも、それをとって「女子高生は飽きっぽい」とか「『女子高生文化』に有りがちな一時の流行だった」とか言うことはできないんじゃないかなーなんて。ひょっとしたら、「ケータイ小説」を一過性たらしめたのは出版社を初めとする「仕掛け人」たちではなかったか。
例えば、「たまごっち」は大変流行した。でも、急速に廃れていった。その一因をバンダイ社になすりつけることは可能だと思う。当然、盛り上げた要因もバンダイ社に帰結される。現在「たまごっち」は復権を果たしたように思うが、これは、「古いことが逆に新しい」という思想があったにせよ、バンダイ社の成果の一つと評価されよう。廃れさせるのも、盛り上げるのも、「仕掛ける側」に理由がある。
同様に考えれば、「ケータイ小説」の廃れには出版社側やケータイ小説サイト側に原因があると捉えられるはずだ。
「ケータイ小説」って、実は悲劇の文化ジャンルなのかもしれない。
【目次】
はじめに
序章 ケータイ小説七つの大罪
第一章 ケータイ小説のあらまし
第二章 ケータイ小説市場の最前線
第三章 ケータイ小説の内容
第四章 ケータイ小説を巡る言説
第五章 なぜケータイ小説は売れるのか
あとがき -
前半はなかなかニュートラルな立場での取材。
ケータイ小説についてよくわかる価値のある資料。
後半は大袈裟というか外連味というか持ち味というか、作者らしい論の展開。
大きな物語の下りはリオタールというよりは動物化するポストモダンのまんまではあるが、超人に対する考え方や、文学の定義なんかはなかなかおもしろい。ま、元ネタ読んでないだけなのかもしらんが。 -
ケータイ小説についての評論を読んでみた(その1)。
著者がライトノベル系の作家の方でもあるので、リアル系ケータイ小説の話から、「物語」の効能とか意義みたいなところまで言及されており、非常に興味ぶかく読んだ。
物語を書くということは、つまり、ニヒリズムとの戦いなのかもしれない。
読者の「そんなワケあるワケないやん!」っていうツッコミを説得出来なければ、“スイーツ(笑)”の一言で片づけられてしまうワケだ。
ケータイ小説で戦略的に、ニヒリズムから脱却するような物語が書けたら面白いだろうな。 -
なるほど、といった感じ。だからきっとケータイ小説って日本固有の文化なんだろうな、と思いました。そしてケータイ小説自体は、自分はきっと一生読めない。
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残りわずかまで読んで放置してたのを年明けを機にようやく片付けた。この本の出版からたった3年で「いまどきケータイ小説でもねえだろ」って世の中になっちゃったけど、よくまとまってる。
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今更読んだ。
面白かった…
で終わらせても良いんだが、適当に時流に乗った本だと思っていたけど、ものすごいちゃんとした論考になっていて3時間も使わずに一気読み。
特に激しく納得したのはいい大人達(特にPCネット住人)がケータイ小説に怒っているのは、自分たちの文脈で読み解けないからであってケータイ小説を読むためのリテラシーがないからだという点。これまでインターネットを読み解くリテラシーを!とか叫んでる人も多かったのに自分が読み解けないと怒るとはなんという身勝手!
ただ、最後の方の自分語りはちょっと余計だったかなと。
まぁ、そんなことはおいといても非常に面白いのでオススメ。