若い読者のための哲学史 (Yale University Press Little Histor)

  • すばる舎
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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784799106853

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  •  セネカの考え方は違う。セネカはキケロのように多彩で、哲学者であると同時に、劇作家であり、政治家であり、成功した実業家でもあった。セネカにとって、問題は人生がいかに短いかではなく、わたしたちのほとんどが与えられた時間をうまく使っていないことだった。つまり、ここでも避けられないことについて、どう考えるかが重要になる。人生が短いと腹を立てるのではなく、短い人生を最大限に活用すべきなのだ。たとえ、100年生きられたとしても、いまと同じように人生を無駄にする人もいるだろう。それでいて、人生は短すぎると不満を漏らすに決まっている。だが、正しい選択をすれば、すなわち、無駄なことをして浪費しなければ、人生は多くを成し遂げるのに十分なほど長い。それなのに、わたしたちは金銭を追い求めるのに多大な労力を費やしてほかのことをする時間がなかったり、自由になる時間は酒やセックスに溺れたりする。
     年をとってから気がついても遅すぎる、とセネカは考えた。白髪や皺は、多くの時間を価値あることに使った証明にはならない。一方、そうであるかのように勘違いをして振る舞う人もいる。だが、航海に出ても、暴風によってこっちへあっちへ翻弄されれば、船旅に出たとは言えず、波にもまれているにすぎない。人生についても同じだ。コントロールを失い、意味と価値のある経験をする時間を見つけることなく、日々の出来事をやりすごしていくのは、真に生きることとは違うのだ。
     十分に生きれば、年老いたときに過去を恐れる必要がない。時を無駄に過ごせば、自分がどのような人生を送ってきたかを振り返って考えたいとは思わないだろう。取り逃したチャンスに思いを馳せるのはあまりにつらい。多くの人たちが、つまらない仕事に没頭するのはそのせいだ、とセネカは考えた。成し遂げられなかったことを認めるのを避けられるからだ。そこで、読者には、集団から距離を置くこと、忙しさにかまけて自分自身から目を背けないことを勧めた。
     それでは、セネカは、わたしたちがどのように時間を使うべきだと考えたのだろうか。ストア哲学では、世捨て人のように他者から離れて暮らすのが理想とされた。もっとも有意義に生きるには、哲学を学ぶべきだと鋭い指摘をした。それこそが真の生き方だというのである。

     ルソーの一般意志の意味は誤解されやすい。現代での例ではこう考えられるだろう。ほとんどの人は問われれば、高い税金を払わないで済むほうがいいと言う。実際それは、政権をとるためによく使われる手で、単純に税率を下げるという公約が掲げられる。収入の20パーセントを税金として払うのと、5パーセントを払うという選択肢を与えられたら、たいていの人は低い額のほうを選ぶだろうう。だが、それは一般意志ではない。みんなに聞いた結果、みんなが欲しいと答えたものは全体意志である。一方、一般意志とは、みんなが利己的に、自分のためになると考えるものではない。一般意志が何かを理解するには、私利を忘れ、社会全体の利益、つまり公益に注目しなければならない。道路の維持のような多くのサービスのために税金が必要なことを受け入れれば、それを実現できるよう高い税金を課すことは、コミュニティ全体にとって有益になる。税金が少なすぎれば、社会全体が損害を被る。つまり、一般意志は、税金は良いサービスを提供するのに十分な高さであるべきだということになる。
     人が集まって形成された社会は、ある種の人格を持っている。個人は、より大きな全体の一部だ。ルソーは、一般意志に沿うような法律に従うことが、社会のなかで真に自由であり続ける道だと考えた。法律は賢明な立法者によって制定される。立法者の役目は、個人が他者を犠牲にして利己的な利益を追求するのではなく、一般意志に沿うことができるような法制度を作ることだ。ルソーにとって真の自由とは、コミュニティ全体の利益になるよう行動している人々の集団の一員になることである。人々の望みと、全体にとって最善のことは一致するべきであり、法律は自分勝手な振る舞いを防ぐ助けになってしかるべきだ。
     だが、もしあなたが都市国家にとって最善のことに反対だったらどうだろう。あなたは個人として、一般意志に従いたくないかもしれない。ルソーはこれに対する答えを用意していた。とはいえ、それは、大抵の人が聞きたがらない答えである。よく知られているように、そしていくぶん困ったことに、ルソーはこう言っている。法律に従うのがコミュニティにとって有益だということが受け入れられないのであれば、その人は「強制的に自由にさせられ」なければならない、と。ルソーが言いたかったのは、誰であれ、社会にとって本当に利益になることに反対する人は、それが自由な選択のつもりかもしれないが、一般意志に同調して従うのでなければ、それは真の自由ではないということだ。どうしたら、人を強制的に自由にできるだろうか。わたしがあなたに、本書の残りを読むよう強制したら、それはあなたにとって自由な選択とはいえないのではないだろうか。誰かに何かを強制するのは、自由な選択とは全く反対のことである。
     だが、ルソーにとってこれは矛盾ではなかった。何が正しい行いかわからない人は、強制的に従わさせられることで、より自由になれる。社会に属する人は誰でもこの大きな集団の一員なので、従うべきは自分勝手な選択ではなく、一般意志だというのを受け入れる必要がある。この考え方によると、たとえ強要されたのだとしても、一般意志に従って初めて人は自由になれると言える。

     連合国軍がドイツを破った、まさに再出発の時だった。戦争が終わったことも、過去を捨て去れなければならないと感じることも救いだった。どういう社会をつくるかを考えるべきだ。戦時中に起こった惨事のあとで、あらゆる人が「生きる意味とは何か」「神は存在するのか」「自分はつねに周りの期待に応えなければいけないのか」といった哲学者が問うような問いについて考えた。
     サルトルはすでに、長編で難解な『存在と無』(1943)という本を書き上げ、戦時中に出版していた。中心となるテーマは自由だった。人間は自由である。これは妙なメッセージだ。フランスは占領下にあり、多くの人々が自国にいながら自分を囚人のように感じていたし、実際に囚人のようなものだったからだ。サルトルが意味したのは、たとえば小型のナイフとは異なり、人間は特定の目的のためにつくられたのではないということである。サルトルは人間をデザインしたと言われる神の存在を信じていなかったので、神が意図をもって人をつくったという考えを否定した。小型ナイフは切るためにデザインされている。切るということが本質で、それが小型ナイフを小型ナイフたらしめている。では、人間は何をするためにデザインされたのだろうか。人間には本質がない。人間は理由があって存在するのではない、とサルトルは考えた。人間であるために、あるべき特定のあり方はない。人間は何をするか、何になるかを選べる。誰もが自由だ。どんな生き方をするかを決められるのは自分しかいない。ほかの人に生き方を決めてもらうにしても、それもまたひとつの選択だ。ほかの人が期待するような人になるという選択なのだ。
     もちろん、何かをする選択をしても、それが成功するとは限らない。成功しない原因は、自分ではどうしようもないことかもしれない。だが、それをやりたいと思ったこと、やろうとしたこと、実現できなかったことにどう応じるかは、自分自身の責任である。
     自由は扱いが難しい。わたしたちの多くは自由から逃げ出してしまう。ひとつの方法は、自分はあまり自由ではないふりをすることだ。サルトルが正しければ、わたしたちには言いわけは許されない。自分の毎日の行動や、それをどう感じるかはすべて自分の責任だ。どんな感情を抱くかもである。いま悲しい思いをしている人も、サルトルによればそれは選択である。悲しまなければいけないのである。悲しいなら、それはその人のせいだ。恐ろしいことだし、あまりにもつらくて直面できない人もいるだろう。サルトルは、わたしたちが「自由を宣告された」と言う。好むと好まざるにかかわらず、わたしたちはこの自由から逃れられない。

    「ゲーム」という言葉について考えよう。ゲームと呼ばれるものにはいろいろある。チェスのようなボードゲーム、ブリッジやソリティアなどのカードゲーム、サッカーのようなスポーツなどだ。かくれんぼや、ごっこ遊びもそうだろう。どれも「ゲーム」という言葉で呼ぶために、すべてに共通のひとつの特徴、すなわち「ゲーム」という概念の「本質」があるように思われがちだ。だが、ヴィトゲンシュタインは、思い込みをやめて「よく観察るすように」と読者を促す。ゲームにはすべて勝ち負けがあると思うかもしれないが、ソリティアはどうだろう。壁にボールを投げて跳ね返ったのをキャッチする遊びは? どちらもゲームだが、敗者はいない。では、ルールがあるのがゲームの共通点の共通点だろうか。いや、ごっこ遊びにルールはなさそうだ。共通する特徴になりそうなものすべてに対して、ヴィトゲンシュタインは反例、つまり、その要素をもたないゲームを挙げる。全てのゲームがひとつの共通点をもつと想定するのではなく、「ゲーム」という言葉を「家族的類似の用語」と捉えるべきだと、ヴィトゲンシュタインは考えた。
     ヴィトゲンシュタインは言葉を一連の「言語ゲーム」として説明することによって、言葉がさまざまな意味で使われること、哲学者はすべての言葉が同じような働きをすると考えるせいで混乱していることに対して注意を促した。ハエにハエ取り瓶からどうやって出るかを教えるというのが、ヴィトゲンシュタインの哲学者としての目的だった。典型的な哲学者は、瓶に閉じ込められたハエのように、壁にあちこちぶつかりながら、あたふたしている。哲学的な問題を「解く」方法は、コルク栓を抜いてハエを出してやることだ。ヴィトゲンシュタインは、哲学者たちが間違った問いを立てている、または言葉に惑わされていると教えたかったのである。

     科学者は、わたしたちの多くと同じように、間違いから学ぶ。現実についてのある見方が誤りだとわかったとき、科学は進歩する。ポパーの観点はこのふたつの文章に表されている。これこそが、人間が世界の仕組みを知るもっとも可能性の高い手段だとポパーは考えたのだ。ぽパーがそうした考えを示すまで、ほとんどの人が、科学者は世界のありようを直感で思いつき、その後、それが正しいことを示す証拠を集めるものだと思っていた。
     ポパーによれば、科学者は自分の理論の誤りを証明しようとするのだという。理論をテストするには、その理論が反証される(あるいは偽であることが示される)可能性があるかも確かめなければならない。大胆な推測を立て、それを一連の実験や観察によって覆そうとするのが典型的なやり方だ。科学は創造的で、刺激的な活動だが、真実を証明するわけではない。誤った見解を除外して、願わくは、その過程で真実に近づこうとするのである。

  •  わかりやすい。

  • 一人一人が8ページぐらいで、簡略に書かれていて、代表的な著書についても触れられている。
     そして次の哲学者に続くように書かれているので、非常にわかりやすい。
     最初の哲学で挫折した学部生もこれを読むことで理解ができ、独学や自分で読む参考本として最適のものであろう。
    1年間で500冊は読むことはできなかった。

  • 哲学史の本でダーウィンを紹介する章を設けていることに目新しさを感じた。

  • 3.2

  • 「頭が良い」というのは複雑な通史をこうも美しい一本の道にまとめられる能力なのだと感嘆する。

  • 哲学入門書として軽く読めてよかった。

  • ↓貸出状況確認はこちら↓
    https://opac2.lib.nara-wu.ac.jp/webopac/BB00290663

  • 哲学はとっつきにくいものだと思ってほとんど接してこなかったので、
    これくらい簡潔に総集編ハイライトでまとめてもらえると大変助かる。
    それぞれの哲学者の考え方にはどれにも興味が持てて、ちょっとずつ深みにはまっていこうと思えた。

    単に各哲学者の考え方のさわりを集めたというだけでなく、
    哲学とはこういうものだ、その対象とする事柄について考えてきた人がこれだけいて、
    その考えの論拠や論理、ロジックも紹介されていて、
    哲学に触れてこなかった人にとっては、この書籍を読むだけでも、考え方や行動の幅が相当広がると思う。
    SNSやネット上など匿名での侮辱、誹謗中傷、差別などをやめられない人にも読んでほしい。(哲学を知ってなお中傷がやめられないなら、もはやそれは不治の病。)

    唯一気に入らないのは、「若い読者のための」というタイトル。勉強してこなかった中高年はその恥を十分に自覚しているのに、その傷口に塩を塗るような下衆さに★マイナス1。

  • 哲学を発展させてきた偉人40人の思想を相互への影響も交えながら時系列で紹介し、哲学がどのように始まり発展し、そして社会に影響を与え、与えられたかを紹介している。

    各章はとても短いのに、哲学者たちの思想を端的にまとめている。そして次の章への橋渡しがとてもうまい。

    ちょっと残念に思ったのは、ところどころ著者自身の意見や感想が入ってしまっているところ。

    哲学の知識があれば公正に見れるのだろうが、初見の人にはミスリーディングになりかねない。

    内容はこんな感じ(区分は適当です)

    古代ギリシャ・・
    ソクラテス、プラトン、アリストテレス、ピュロン、エピクロス、ストア派、

    キリスト教時代・・
    アウグスティヌス、ボエティウス、アンセルムスアクィナス

    中世ヨーロッパ・・
    マキャベリ、ホッブス、デカルト、パスカル、スピノザ、ロック、リード、ライプニッツ

    近代ヨーロッパ・・
    ヒューム、ルソー、カント、ベンサム、ヘーゲル、ショーペンハウア、ミル、ダーウィン、キルケゴール、マルクス、パース、ジェームズ

    大戦前後・・
    ニーチェ、フロイト、ラッセル、エイヤー、サルトル、ヴィトゲンシュタイン、アーレント、ポパー、フット、トムソン、ロールズ、チューリング、サール、シンガー

    気になった言葉

    ・私たちは人生の楽しみを増やすのでなく、よりよい人間になり、正しい事を成すべきだ。

    ・自然状態の個人には、他者と一緒に働き、平和を求める理由ができる。それが自分を守る唯一の方法だからだ

    ・感情が外的出来事でなく、自分自身の選択によって生まれるのがもっとも良いとした。

    ・人を欺くとは欲しいものを得るために人を利用する事だ。それが道徳的原則であるはずがない。

    ・もしブタが本を読むことが出来れば、泥の上を転がるよりもそちらを好んだだろう

    ・人間であることに伴う責任の重さから逃れる術はない

    ・ジョンロールズ 正義論

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