はじめての⼤拙――鈴⽊⼤拙 ⾃然のままに⽣きていく⼀〇⼋の言葉

著者 :
制作 : 大熊 玄 
  • ディスカヴァー・トゥエンティワン
3.65
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本棚登録 : 120
感想 : 8
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  • Amazon.co.jp ・本 (200ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784799325391

感想・レビュー・書評

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  • 編者の選んだ鈴木大拙の108の言葉を、編者の順番で読む事によって、禅とは何かを伝える本書。読み易いものが厳選され、初心者にはとっつき易く有り難い。

    禅とは一般的にイメージされる瞑想をする事とは違うらしい。禅とは、人間の心の底にある無限の創造性を、言語や思想、概念で曇らせる事なく、その創造性に徹し順応して動作する事、とあった。また禅の状態が自ら(の創造性)に由る「自由」な状態あり、 人間はそもそも「生きることの芸術家」であると。

    「自由」と「わがまま放題」が混同されるが、わがまま放題は、自分が主ではなく、実は何かの枠にはめられている「我」の奴隷に成り下がった状態であるらしい。

    また、言語や思想、概念で曇らせない「無心」が重要であるなら、本能のままで良いのではと思ってしまうが、ある程度までは正しいものの、その本能に人間的、有意有心的鍛錬が加えられてると、そこに動物的無心の中では味わえない無限の意味を持ったものが出てくるらしい。無限の意味とは、なにか壮大だけと魅力的である。

    そういった絶妙な状態で、内にある無限の創造性に従って生きる事をさらりと「自然のままに生きていく」とキャッチコピーにまとめられている。

  • シンプル&分かりやすさでセレクトした鈴木大拙の108の言葉。
    仏教や禅思想を世界に広めた大拙の言葉に、禅とは、宗教とはを想う。
    自由意志で生まれてきた者なんて、ひとりもいない。
    あの世で親を選び、人生の課題を設定して生まれてくるという世界観もあり、大拙の言葉だからといって鵜呑みにする必要はない。
    矛盾に悩む人生だからこそ、だれもが宇宙の中心の尊い気づきに生かされていると想う。
    19-98

  • わがまま放題というのは自由なようで何かに縛られている。客観視をあらゆる概念に対して徹底的に突き詰めるという感覚なのかな。人が作り出した言葉とか、主観として生きざるを得ない人生すらも含め。言葉で一言では言い表せないから、大拙氏とか含め色んな仏教思想を色んな表現で聞くことで、少しずつ腹落ちさせていくようなものなんだろう。

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/770098

  • スッと入ってきてスッと抜けてしまったので、原著にあたろうと思えました。入門にとてもよかったです。

  • 鈴木大拙さんご本人の著作は歯ごたえ有りすぎたので本書を手に取る。当たり前のことを当たり前に語ってるように見える言葉が並ぶ。真意がつかめない。じっくり何度も読み返さないとその重みを体感できないんだろう。

  • 「大拙さんは大地、言葉はそこに根付いて咲く花。」――谷川俊太郎 禅を世界に広めた哲学者・鈴木大拙が
    どうしても伝えたかった「禅の本質」を厳選された言葉から読み解いていく、今までにない「大拙入門」です。
    禅寺での修行を経てアメリカに渡り、 禅を「ZEN」として世界に定着させた功労者、鈴木大拙。
    彼の功績は、かのスティーブ・ジョブズが禅に傾倒するきっかけを生んだほか、直接交友のあったジョン・ケージに多大なる影響を与えました。そんな大拙の思想にはじめて触れる人がその本質を体感できるよう、108の言葉を厳選して編み集めたもの「大拙爺さん」の語りに耳を傾けながら「禅」の本質を感じ取る、今までにない一冊
    ◯目次
    第一章 自然のままに、自由に生きる
    第二章 機械にとらわれず、美と愛に生きる
    第三章 知性・言葉とともに、無心に生きる
    第四章 苦しみや矛盾のなかを生きていく
    第五章 禅の悟りは、いわゆる「宗教」ではない
    ◯編者・大熊玄さんの「はじめに」より
    この本は、はじめて鈴木大拙の言葉にふれる人たちのために編まれました。 どの言葉がどの順番に並べば、大拙の伝えたいことが今を生きる人に届くのか、いろいろと工夫しながら編みました。そのようにして言葉が選ばれ
    並び替えられるうち、やがて、いわゆる禅語や仏教用語あるいは 研究者だけの専門用語はほとんど姿を消して、ふつうの日常的な言葉が残りました。そもそも、鈴木大拙を知らない人もいらっしゃるでしょう。でも、べつにその人物を知らなくても、その言葉によって「何か」が伝わり、 読んだ人に大切な「何か」が生まれることもあります。その「何か」の大切さに比べれば、誰が言ったのかはあまり重要ではありません。ですから、これまで大拙を知らなかったとしても、とくに問題ありません。
    いや、むしろ、「誰が」を知らなかった人のほうが、
    その「何か」が生まれるかもしれません。 そもそもこの本は、じつは鈴木大拙という名前に紐づけされた情報の提供を目的にしていません。鈴木大拙に関して多くの情報を収集したい人は、他の本を読むことをお勧めしますし、ネットで検索をしてもいいでしょう。そうした固有名詞(検索語)に付着した情報を得ることではなく、
    一つ一つは短いながらも力のある言葉を伝え、 その言葉たちが指し示す「生きた何か」を掴みとることを目的としています。もちろん、その結果、鈴木大拙その人に興味をもち、その著作へと読みすすめるきっかけとなれば嬉しいかぎりです。あるいは読者の中には、大拙の著作を読んだことのある人、それに限らず仏教思想や禅語に親しんでいる人もいるでしょう。 そうした人にも意味のあるようにと編まれました。 ただし、いわゆる禅語などは登場してきませんから、そうした硬めで重厚な言葉を期待する読者には、少しもの足りないかもしれません。
    しかし、一見して柔らかく軽やかな言葉にも、よくよく考えると深い意味が隠されています。 大拙は、専門性の高い凝縮された知識をほぐして「ふつうの言葉」で語る達人です。 その一つ一つの言葉が結びつき、全体としてどのような意味が表れるか。それは、すでに多くを知っている人にも味わい深いはずです。
    じっさい大拙自身は、生きた禅者でありながら、すぐれた仏教研究者でもありましたから、その著作には 多くの固有名詞(文献や人物)や彼独特の哲学用語が出てきます。
    ところがこの本では、そうした人名や用語はほとんど登場しません(さすがに、二つ三つは残っていますが)。
    しかも、大拙がどうしても言いたいことは、表現を変えながら何度も登場してきますから、いわゆる新しい情報としては、そんなに量が多いわけではありません。しかし、それでも(それだからこそ)、大拙がこれだけは伝えたいということがギュウギュウにつまっているはずです。
    大拙の語る禅は、決して学問の中にあるのではなく、
    まさに日常生活の中に生きているものです。さらに言えば、大拙の伝えようとしている禅そのものは、大拙の言葉の中にすらなく、それが印刷された本の中にもありません。では、なぜ大拙は言葉を語るのか。なぜこの本はあるのか。そして、なぜこの本の「はじめに」には、わざわざこのようなことが書かれるのか。 その答えを、この一〇八の言葉を通して見出していただければ幸いです
    でも、あまり難しく考えず、そして、大拙について勉強(研究)しようなどとは思わず、まずは、大拙と対話をしているつもりで読んでみてください。

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著者プロフィール

1870(明治3)年、金沢市本多町生まれ。本名貞太郎。1891年、鎌倉円覚寺の今北洪川について参禅。洪川遷化後、釈宗演に参禅。1892年、東京帝国大学哲学科選科入学。1897年、渡米。1909年に帰国、学習院大学・東京帝国大学の講師に就任。1921(大正10)年、真宗大谷大学教授に就任。大谷大学内に東方仏教徒教会を設立、英文雑誌『イースタン・ブディスト』を創刊。1946(昭和21)年財団法人松ヶ岡文庫を創立。1949(昭和24)年文化勲章受章。同年より1958年まで米国に滞在し、コロンビア大学他で仏教哲学を講義。1956(昭和31)年宮谷法含宗務総長から『教行信証』の翻訳を依頼される。1960(昭和35)年大谷大学名誉教授となる。1961年英訳『教行信証』の草稿完成。1966(昭和41)年7月12日逝去。

「1979年 『The Essence of Buddhism 英文・仏教の大意』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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