- Amazon.co.jp ・本 (214ページ)
- / ISBN・EAN: 9784801002289
感想・レビュー・書評
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バロックの作曲家サント・コロンブとマラン・マレを描いた美しく静かな小説『めぐり逢う朝』の作者であるパスカル・キニャールは音楽家でもあるらしい。
そんな作家によって書かれた音楽をめぐる、学識に満ちた断章を集めた論集。
きわめて印象的な『音楽の憎しみ』(La Haine de la Musique)というタイトルを見てまず思ったのは、音楽を憎むのか、あるいは音楽が憎むのか、ということ。
本書には強迫音(タラビュスト)をめぐる考察が散りばめられている。望んでもいないのに頭で流れ出す音楽や、意識をノックする執拗な音を誰しも経験したことがあるだろう。このタラビュストのノック音が、この論考の前半部を不吉なものにしている。
この言語や意味の手前で刻まれる旋律(メロス)やリズムがわたしたちの思考を律し、身体をいやがおうにも同期させる。ふつうこれはダンスや歌のように喜びの源泉になる。
ところがこれが強制収容所の中で、奴隷の身となった収容者にとってはこれがたいへんな苦痛となるらしい。本書はこちら側にスポットを当てる。まったく想像もしたことがなかった視点だったから驚いた。
ただでさえ体力を失った収容者たちがシューベルトやワーグナーなどのドイツ音楽に合わせて行進させられるときの屈辱と疲労を想像すると、たしかに、音楽は憎しみの対象ともなりうるのだと理解できる。
さらには、音楽がいやおうなくその人の身体にとりつくとき、その人は音楽を通じて憎しみそのものを体現しているのだともいえる。その意味で、音楽が憎悪の主体ともなりうるのだと気がついた。
つまり、音楽を憎み、音楽が憎むことは、ほとんど同義といってもよい。
パスカル・キニャール自身はといえば、このノイズと音楽が街中に溢れた世界をどうも憎んでいるらしい。強制収容所の延長のようなものとして今を捉えているのは明らか。
多くの人が耳にイヤホンを入れて歩き回っている世界をどう見ているのだろう。
しかし著者は決して直接そのことには触れない。ギリシア語とラテン語と歴史に関する幅広い知識を引きながら、むしろ現代がその遠いこだまであるかのように、ほのめかすだけだ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「音楽の憎しみ」とは、「葬儀のときに俺の音楽はいらない」という意味なのか。