犀の角たち

著者 :
  • 大蔵出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (244ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784804330648

作品紹介・あらすじ

科学とはなにか?仏教とはなにか?まったく無関係にみえるこの問いの根底にある驚くべき共通点を、徹底した論理性だけを用いて解き明かす、知的冒険の書。

感想・レビュー・書評

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  • 物理学者の故・戸塚 洋二氏がガンとの闘病の時に非常に影響を受けたと言う佐々木閑氏の著書、「犀の角たち」を「やっと」読み終えました。

    科学者を目指しながら途中で仏教学者になったと言う、ちょっと変わった経歴の佐々木氏。

    本の帯には『科学とはなにか? 仏教とはなにか?-まったく無関係にみえるこの問いの根底にある驚くべき共通点を、徹底した論理性だけを用いて解き明かす、知的冒険の書』と書かれてました。

    で、序文でも書かれていますが、この本で論じたいことは科学と仏教の関係において、個々の要素の対応は一切無視し、両者のそれぞれが目標とする世界観についての視点、共通点を解き明かそうと言うものです。

    第一章の【物理学】では、科学の進化の方向性を書かれています。
    科学と言うのはその進化において、なだらかに進むのではなくある段階で一気にレベルが跳ね上がる現象が起きます。これを「パラダイムシフト」と言うのですが、これはある法則が「まず間違い無いだろう」と確立することだそうです。例えばニュートン力学が認められると、科学者はその理論をベースにして更に先の研究をすると言ったような土台になる部分のことを言うのだそうです。そして研究が進むにつれてパラダイムシフトが次々と現れます。
    ニュートン力学からアインシュタインの特殊相対性理論や量子論へ。これらの考えの基本となるのは「こうあるべし」と言う脳の描く理想世界が、客観的観察による外部情報によって「結果から得られる理論」に変化していくことです。
    中世の科学者たちにとって、「神」の存在は科学的理論との混乱を招き、「神が作ったこの世界を研究する」と言ったところから、現代の「人の脳が解釈した世界」への変化していくのが面白い。

    第二章【進化論】進化学の発達はキリスト教的世界観との摩擦の歴史でもありました。生命はどうやって発生したのか?この謎がいまだはっきりとは明かされておらず、地面からは現存しない動物の化石が出てきます。これをどう解釈すればいいのか? ラマルクやダーウィン、ウォレスが「進化」と言う考えを出す以前、それは神が創造し人だけが特別な存在であると言う考えが根強く、ダーウィンの進化論がほぼ受け入れられた後でも「人だけは進化論の枠組みから外れる(神が作った最高傑作)」と言う考えがありました。(今でもそれは歪んだ形で残っていることがあるそうです。白人至上主義を唱える発端となったネオダーウィ二ズムとか)
    また進化の方向性で面白いと思ったのが、ダーウィンの優秀な生物だけが生き残ると言う自然淘汰的遺伝子変化説は否定され、ある程度中立の性質を持つ遺伝子が残され、生命に関わる危険な因子が取り除かれていくと言う引き算的な遺伝形態であることが分かってきたこと。それによって遺伝とはある程度の幅をもって伝わっていくと言うことが分かります。

    第三章【数学】ここが一番難解でした。って、ほとんど分かって無いかも。苦笑)太古の人であれば「馬1頭、牛2頭とかシンプルな数学で十分だったはずが、人の脳の中で「在って、無い数」の存在が生まれたり、πや√2のような目に見えるのに分数で表せないものが出てきます。
    整数こそが神のくれた数だとすれば、それらは邪道ですね。苦笑
    ピタゴラス学派の中にはその美しく数字で表せない無理数を否定し、そのことを外部に漏らすことを禁止、うっかり口外した人を皆で溺死させる事件まで起きたそうです。神から見た視点(神だったら数学はこうあるべきと言う考え)から、人が現象を見つめ、頭で考えたもの、それが数学の人間化と言えると著者は語っているようです。

    第四章【釈尊、仏教】他の宗教との大きな違いは、あくまで釈尊は人であると言うことかもしれません。最初は苦行を行ってみたり、食中毒で亡くなるなど、超人的ではない釈迦の姿がそこにあります。何か超越的なものにすがるのではなく、自分の精神に問いかけるような・・。
    どう生に伴う「苦しみ」と対峙するのか?原始の仏教は合理的で哲学的です。
    基本特性として、
    『超越者の存在を認めず、現象世界を法則性によって説明する。』
    『努力の領域を、肉体ではなく精神に限定する』
    『修行のシステムとして、出家者による集団生活体制をとり、一般社会のあまり物をもらって生計を立てる』
    の三点が挙げられます。
    釈尊はあくまで道を切り開いた人であって、その道を歩くのは自分自身であると言うところが他の宗教とは違った点でしょう。
    托鉢すると言うことは全てを人々の好意によって生きることで、釈尊が生きていた頃の時代背景も関係しているそうです。つまり「立派な人だ」と認められなければ誰も食料をめぐんではくれないと言う訳で、当時は仏教以外にも多くの宗教が競い合い、在家者たちは立派な人に布施をすればそれだけ功徳があると考えていたこともあり、修行者たる者、人に尊敬されるよう常に精進しなければならなかったと言うことなのでしょうね。
    重要なのは自身の精神の集中度を上げ、心の本当の平安を保つシステムで、それは見せかけの科学システムではないところが、カルトとは違うところであるとも書かれています。

    第五章【そして大乗】原始仏教と対極にありそうな大乗仏教。
    こちらは原始仏教とはかなり趣が変わっています。
    個人的にはあまり興味が無かった大乗仏教でしたが、この章を読んで少し考えが変わりました。
    釈尊が開いた悟りへの道筋、それは当時の時代背景もあって、今の自分が実践できるかと言うと不可能だと思うんです。
    大乗仏教の考えの良さとしては、「今現在が修行の過程」であるということ。生まれ変わり死に変わりしても、目指していればいつか悟れる時がくると言う考えは希望があっていいですね。自分が仏陀になれる可能性があるのですから。

    科学と仏教、共通するのは何かを見つけだそうと精神が活発に活動していることかもしれません。
    何かを発見できた時、両者に関わる人々はうっとりとした表情になるのかもしれないなぁと思いました。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「科学者を目指しながら途中で仏教学者になった」
      へー
      読んでみようかな。。。宗教=胡散臭い。と言う認識なので、そうじゃない部分にも触れてみた...
      「科学者を目指しながら途中で仏教学者になった」
      へー
      読んでみようかな。。。宗教=胡散臭い。と言う認識なので、そうじゃない部分にも触れてみたくなりました。
      2012/10/29
    • aquaskyさん
      nyancomaruさん、コメントありがとうございます。
      私は仏教は『哲学』というイメージがあるのですが、佐々木さんはそれを科学的な視点か...
      nyancomaruさん、コメントありがとうございます。
      私は仏教は『哲学』というイメージがあるのですが、佐々木さんはそれを科学的な視点からも見ていて、面白いと思いました。機会があれば是非。
      2012/12/18
  • 2回目。科学と仏教の共通点を探る・・・というわけではないのだけど、自分としての結論を出すなら「科学は神なき世界を人間という存在を拠り所にして、納得できる物質的世界観を作らなければならなくなってきた」という主張と「仏教は神なき世界で人間という存在だけを拠り所として、納得できる精神的世界観を確立するために生まれた宗教である」の2つの言葉。そう全知全能の「神」の存在を前提としないところが共通なんでしょうね。神が造り給うし世界を前提とすることとあるがままの現実を受け入れ、その原理を探求する中で、現実への対処の仕方を考えていくという姿勢が同じなのかな。まあ、宗教的に考えるとこれは本当に大問題だと思いますけど。

    ただ、この仏教の考え方を突き詰めると、日本に現存する大乗仏教の数々と、そこに存在するそれらの宗教が持つ仕来たりみたいなものが、受け入れがたくなってしまいます。だからと言って、上座仏教に進んでいこうとは思わないのだけど。まずは入門として、これから少しずつ理解を深めるしかないということかな。それにしても、科学の歴史、進化論、数学についての説明は秀逸でした。

  • # 論点1: パラダイムシフトとはなにか
    パラダイムシフトとは「直感的に理解できることが、科学的なエビデンスによって、神の視点から落とされること」(=人間化。下降感覚の原理。)
    - 量子力学の発見により、光が粒子であり波であり、確率論的存在であること
    - 木村式進化論により、DNA変異はすべて中立的な変異であり、良いものが残るのではなく悪いものが淘汰されるだけであること
    - ゲーテルの不完全性定理により、数学体系が証明されないことが証明されたこと

    # 論点2: 科学と仏教はどのような関係性か
    初期仏教も科学も、超越者の存在を仮定せずに操作を繰り返す事によって理解をしていくもの。

    # 注意
    ただし、現時点で科学と仏教を組み合わせようなどと思わぬこと。

    # メモ
    DeepLearningにより、論理構造を理解せずに処理をすすめる等も同様か。
    覚悟を持って一つ一つ論理的推論を積み上げて、科学者としての自覚を持って、犀の角のように進むのが重要。

  • 哲学
    サイエンス

  • 仏教学者の著者が、仏教と科学との関連について述べた本。元々理系の著者だけあって、前半の物理学、進化論、数学についての記述はよくまとまってわかりやすい。仏教についても、精神の真理を追究した小乗仏教と日本に伝わった大乗仏教など、概要がよく理解できた。仏教書と思えないほど、論理的で面白い。

  • 物理学、進化論、数学、それぞれ面白く読めた。科学の人間化。超越的存在者がいるのではなく、普通の人間が事象を観測し、論理で思考し、真理を探究しているのだ。神の視点から人間の視点へ。それが科学の人間化である。光の二重スリット実験は光量子の振る舞いの不思議さを教えてくれる。仏教も超越者を否定している。いやそれは釈尊の仏教ではだ。無記。世界の成り立ち、死後の世界、それらは無記である。釈尊はそれらの問いには答えられなかった。出家主義者の上座部仏教から在家信者のための大乗仏教。そして多彩な仏教が東アジアに花が咲いた。

  • 借りてきた、、

  • 皆さん書かれていますが、仏教書と思って読んだら、ほぼ2/3が科学史みたいな状況でびっくりしますね。
    物理学、進化学、数学の歴史とキリスト教の影響による思考の制約、パラダイムの変化など、文系の自分にとってどうかなとは思いましたが、
    分かりやすく書かれているので、むしろ科学史にも興味が湧いてきました。
    そのような科学史を述べた後、仏教とのつながり、どちらも論理思考であるという点で共通するという事を主張されています。
    科学史を論じた部分と同程度の頁で仏教を論じて欲しかったかな。
    とはいえ、科学者を目指し、仏教学者になられた筆者にしか書けない本だと思いますので、一読の価値はあると思います。

  • インドにおけるカースト制のことからアーリア人の浸入による話から、ブッタの話など新しい世界感。

  • 科学と仏教の関連性を書いた本

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著者プロフィール

1956年福井県生まれ。花園大学文学部仏教学科教授。京都大学工学部工業化学科および文学部哲学科仏教学専攻卒業。同大学大学院文学研究科博士課程満期退学。カリフォルニア大学バークレー校留学をへて現職。専門は仏教哲学、古代インド仏教学、仏教史。著書に『宗教の本性』(NHK出版新書、2021)、『「NHK100分de名著」ブックス ブッダ 真理のことば』(NHK出版、2012)、『科学するブッダ』(角川ソフィア文庫、2013)ほか多数。訳書に鈴木大拙著『大乗仏教概論』(岩波文庫、2016)などがある。

「2021年 『エッセンシャル仏教 教理・歴史・多様化』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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