- Amazon.co.jp ・本 (437ページ)
- / ISBN・EAN: 9784806010128
感想・レビュー・書評
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ぼくは盗作おおいに結構、引用おおいに結構という立場です。だいたい何をもって盗作というかによるのですが、古今、新古今はそれ(本歌取り)をこそ真骨頂としていたわけですし、そうでなくとも人間がつかう言葉の大半は盗作相互作用だというべきで、むしろどれほどみごとな引用適用応用がおこったかということこそが、あえて議論や評価の対象になるべきではないかとおもうくらいです。―松岡正剛413夜より
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俳句は好きだけれど短歌は嫌いです。年寄り臭くてというか、ただ風景を見て感慨深げにため息ついてばかりでどうするのって、反吐じゃなかった欠伸が出るばかりだからです。
実際にあちこちそこら辺のものを吟味してみても、たとえばNHKの、あ、あれは俳句だけれど、でも似たようなもので山里や、とかいっちゃって、一応好きで毎回見ているけれど、た・ま・ら・な・く・たいくつ極まりないこと甚だしいのです。
現代において短歌については寺山修司と塚本邦雄だけが味わうことに値する。アバンギャルドとかシュールだと揶揄されるとしても、年寄りの戯言みたいな存在に堕落している短歌を、辛うじて芸術としての表現形式の一つとして存在たらしめているのは彼ら二人の功績だと思います。
このたび20代でストップしていたはずの短歌がその後も作られていたそうで、未発表歌集「月蝕書簡」が出版されたのを機会に、改めて寺山修司を検証してみたいと思ったのです。
実は私は寺山修司自身が大好きで、表現者として彼が残したもの全てを把握しなければ気が済みません。他人の家の庭に侵入した事件なども(実物の現実を取り込んだ演劇の一つのパターンでしかなかったのですが)記念すべき歴史的事実です。
「革命だ、みんな起きろ」といふ声す壁のにんじん種子袋より
久しぶりの寺山修司、どっぷり浸かって堪能しました。