- Amazon.co.jp ・本 (356ページ)
- / ISBN・EAN: 9784815808013
作品紹介・あらすじ
とどのつまり、科学的知識は信頼できるのか?科学的世界観の核心にわだかまる問題を、知識のあり方を捉え直すことで解決する新たなスタンディングポイント!
感想・レビュー・書評
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【版元】
科学的知識は信頼できるのか? 科学技術の負の側面は様々に指摘されるが、科学の営み自身は否定しにくい。ではそれはどう正当化されるのか。科学の核心にわだかまる問題を、諸説を見事に整理しつつ知識のあり方を捉え直すことで解決。新たなスタンディングポイントを示す渾身の書。
<http://www.unp.or.jp/ISBN/ISBN978-4-8158-0801-3.html>
【個人的メモ】
・科学哲学者の書評。
<http://blog.livedoor.jp/iseda503/archives/1858434.html>
【目次】
目次 [i-vi]
序章 科学的実在論論争とは何か――論争の原型 001
1 科学的実在論論争とは何か 001
2 科学的実在論論争の起源 007
第I部 論争はいかにして始まったか
第1章 還元主義と消去主義 021
1 論理実証主義はいかに科学をモデル化したか 021
2 還元的経験主義とその破綻 029
3 消去的道具主義の栄光と没落 036
4 結局、論理実証主義とは何であったのか 051
第2章 奇跡論法による実在論の復興 055
1 実在論的転回と奇跡論法 055
2 奇跡論法のいくつかのバージョン 060
3 EDRへの批判とそれへの応答 065
4 科学の成功を安上がりに「説明する」試み 072
第3章 悲観的帰納法による奇跡論法批判 079
1 悲観的帰納法 079
2 いくつかの事例の説明 082
3 悲観的帰納法に抵抗する 086
第4章 ケーススタディ――熱素説 097
1 熱理論史の概略(1)――熱素説と熱運動説 097
2 熱理論史の概略(2)――熱力学の成立とエネルギー保存則 103
3 熱素説は「成功していたがラディカルに間違っていた理論」なのか 107
第5章 構成的経験主義からの実在論批判 121
1 不可知論的経験主義と観察・理論の区別 121
2 洗練された不可知論的経験主義としての構成的経験主義 131
3 構成的経験主義を批判する 138
第6章 決定不全性概念への反省 149
1 デュエム・クワインのテーゼ 150
2 決定不全性は反実在論の支えとなるか 157
3 スタンフォードの「新しい帰納法」は新しいのか 165
第II部 論点は多様化し拡散する
第7章 対象実在論 175
1 カートライトの『物理法則はいかにして嘘をつくか』 176
2 ハッキングの介入実在論 184
3 対象実在論へのコメント 189
第8章 構造実在論 193
1 構造実在論とは何か 194
2 認識的構造実在論への批判 200
3 存在的構造実在論 205
4 存在的構造実在論への批判 207
5 構造実在論はそもそも悲観的帰納法を回避できないのではないか 211
第9章 半実在論 215
1 これまでの選択的懐疑論に対する不満と学ぶべき教訓 216
2 構造とは何かを考え直す 222
3 半実在論とはいかなる立場か 224
4 半実在論と悲観的帰納法 227
5 まとめと残った問題 232
第III部 論争を振り返り、未来を展望する
第10章 公理系アプローチからモデル中心的科学観へ 237
1 科学理論についての公理系アプローチ 237
2 科学におけるメタファーとモデルへの注目 247
第11章 モデル中心的科学観と実在論論争 259
1 理論の意味論的捉え方 259
2 科学の多様な表象戦略と意味論的捉え方の拡張 266
3 ギャリーの構成的実在論と観点主義 271
第12章 擁護に値するミニマルな実在論 281
1 構成的実在論をさらに展開する 281
2 構成的であることの意味 298
3 構成的実在論は実在論なのか 305
終 章 科学的実在論論争とは何であったのか、また何であるべきか 307
1 懐疑論論駁としての実在論論争 307
2 科学的実在論論争の存在そのものが説明されるべき事実である 310
注 [313-321]
あとがき(二〇一五年一月 戸田山和久) [323-328]
文献一覧 [7-20]
索引 [1-6] -
新着図書コーナー展示は、2週間です。通常の配架場所は、3階開架 請求記号:401//To17
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第5章
(p. 129〜)「眼と脳の視覚システムは非常に複雑な仕組みなので、それがちゃんと機能したと言うのは、われわれが設計した人工物であるニュートリノ検出装置の場合よりもしかしたら困難かもしれない」と述べられている。だが、感覚的な直接経験を疑うならば、科学は不可能になるのではないか。結局のところ、肉眼で見ているものの実在性まで疑ってしまえば、肉眼での観察にどこかで依存している科学という営みは、二重の懐疑にさらされることになるからだ。
章の最後で、戸田山は実在論は理論の連言が可能なのに対し、経験的十全性では不可能だ、という議論をしている。だが、この議論はおかしいのではないか。連言した理論が経験的十全でないなら、その理論が真だということも言えないだろう。戸田山は「オズ科学像では連言化を合理的手順として認めることができない」が、「イド科学者(実在論者)は、理論を他の理論や補助仮説と接合させて、より多くの観察可能な帰結を出せる」と言う。だが、イド科学者も出鱈目に理論を接合させているわけではなく、何らかの一定の基準や手続きにのっとっているはずだ。その基準や手続きをオズ科学者も共有できるのではないか。
第6章
対象実在論は、科学理論に対しては科学の目的については科学的実在論を主張し、理論的対象については「現在の」実在論的信憑について述べている、と主張しているように見える箇所がある(p.190)。