自由論 (日経BPクラシックス)

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  • Amazon.co.jp ・本 (264ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784822248574

作品紹介・あらすじ

個人の自由の不可侵性、言論の自由の重要さ、政府の干渉はどこまで許容されるべきかを明らかにした自由論の古典。

感想・レビュー・書評

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  • 侵してはならない個人の自由、言論の自由の大切さ、社会が個人に行使する権力の性質と限界について説く。明治日本の自由民権運動にも大きな影響を与えた、自由論の古典的名著。

    言論を統制する権力は不当である。その害は人類全体に及び、後の世代も被害を受ける。そして、意見の発表を禁じられた人以上に、意見に反対する人が被害を受ける。その意見が正しい場合、自分の間違いを正す機会を奪われるからである。

    「思想と言論の自由」は、人類の知性の健全な発達のために必要である。人は議論と事実によって、自分の誤りを改めることができる。人間の判断に頼ることができるのは、間違いを正すための手段が用意されている時だけである。

    古い時代、支配者は国民の意思とは無関係に権力を握っており、国民と利害が対立した。そして、自由とは「支配者による圧政からの保護」を意味した。その後、国家の行政を動かす役職に国民の代表がつく方が良いと考えられるようになると、一時的な支配者を選挙で選ぶ方法が求められるようになった。

    「国民の意思」とは、現実には多数派の意思である。このため国民の一部を抑圧するよう望む場合がある。これは権力の乱用の一種であり、いまでは政治について考える時、この「多数派の専制」は、社会が警戒すべき悪の1つとされている。

    社会が個人に干渉する時、それが正当かどうかを決めるのは、次のような原則である。
    ・人間が個人としてであれ、集団としてであれ、誰かの行動の自由に干渉するのが正当だといえるのは、自衛を目的とする場合だけである。
    ・文明社会で個人に対して力を行使するのが正当だといえるのはただ1つ、他人に危害が及ぶのを防ぐことを目的とする場合だけである。

  • だいぶだらだら読んでしまった。とりあえず文庫のほうでも読む。

  • 言論の自由、思想の自由はなぜ大切なのか? 19世紀のイギリスを代表する哲学者、ジョン・スチュアート・ミルが約150年前に説いた民主主義のエッセンスを、新たな役で紹介する。

    第1章 はじめに
    第2章 思想と言論の自由
    第3章 幸福の要素としての個性
    第4章 個人に対する社会の権威の限界
    第5章 原則の適用



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    【要約】


    【ノート】

  • 原題:On Liberty (1859)
    著者:John Stuart Mill(1806-1873)
    訳者:山岡洋一(1949-2011)

    【わたくしメモ】
    ・日本語version
    春秋社  1961 柳田 泉
    岩波文庫 1971 塩尻公明、木村健康
    光文社古典新訳文庫 2006 山岡洋一
    日経BPクラシックス 2011 山岡洋一
    光文社古典新訳文庫 2012 斉藤悦則

    ・とても詳しい英語版ウィキペディアでの「On Liberty」記事。
    https://en.m.wikipedia.org/wiki/On_Liberty


    【簡易目次】
    第1章 はじめに
    第2章 思想と言論の自由
    第3章 幸福の要素としての個性
    第4章 個人に対する社会の権威の限界
    第5章 原則の適用
    解説[佐藤光]

  • この小論のテーマは、いわゆる「意志の自由」ではない。じつに不幸なことに、「自由と必然」という形で「哲学的必然性」という誤解をまねく概念に対立するものとされている「意志の自由」ではなく、市民としての自由、社会のなかでの自由である。いいかえれば、社会が個人に対して適切に行使しうる権力の性質と限界が、この小論のテーマである。

  • 「人間らしさ」の定義と、「人が人らしく生きる社会」への提言。

  • 「人間の身体と精神の全体的な構造は、足の形よりも個人差が少ないのだろうか。」

    自由とは何かについて書かれた本。権力を持っているのは、知的に高い水準、ポジションにいるものではなく、”一般大衆の多数派”であると考える。人は、他人や社会にマイナスの迷惑をかけない限り、何をする自由を有する。社会的財産である自身の知能を使わなくても、それを刑法で罰することはできない。しかし、悪評や批判等の世論による社会的制裁が加えられることがある。そして、それは問題ないとする。それを選んだのも本人の自由だからだ。

    売春を取り締まらず、売春あっせん者だけを取り締まるのは、主犯を見逃し、従犯だけ罰するようなものだ、という話の流れは、非常に素晴らしいたとえであると感じた。

  • 山岡洋一さん訳のミルの『自由論』(日経BP社)目を通しました。08年出版の光文社古典新訳文庫をさらに磨き上げた感じで、解説(大阪市立大・佐藤光氏)が素晴らしい。英語なので原著読めば早いけど、日本語としてはこなれているかなという感。※逐語訳としては岩波文庫がいいかな、とも 。

    光文社古典新訳文庫のミルの『自由論』は、昨年、斉藤悦則さんによって新訳。これはまだ未見。「〈あとがきのあとがき〉「『自由論』を普通に読めるようにし、 哲学を普通の言葉で語ること」 斉藤悦則さんに聞く」 kotensinyaku.jp/archives/2013/… を読むと面白そうではあります。

    ミルといえば、危害原則に目が向きがちだけど、ソクラテス流の対話術や弁証法の展開で共同認識へ至ろうとした経緯を押さえておくべきだなーと痛感。『自由論』の冒頭にはフンボルトの「人類が最大限に多様な方向へと発展していくことが絶対に決定的に重要だ…」(『国家活動限界論』を引用しているしね

  • 約150年前に執筆されたにも関わらず今も説得力を失わない、自由に関する最重要古典。国家権力が個人の行動に干渉するのは個人の行動が他者に危害を加える場合にのみ正当化される「他者危害の原則」を明確にしているのだが、何よりミルの想定する個人のあり方が素晴らしい。曰く、人間の知性というのは反論を聞いて自らの誤りを正すことによってもたらされるものであり、そうした反論は個性や多様性、少数派の意見というものを尊重しなければ決して生み出されないと言う。人は誰でも間違える、だからこそそれを克服するために自由は必要なのだ。

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