歴史民俗学資料叢書 5

制作 : 礫川 全次 
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  • Amazon.co.jp ・本 (345ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784826502528

作品紹介・あらすじ

大正14年(1925)皇居(江戸城)二重櫓の下から多数の白骨死体が発掘され、にわかに「人柱」論争が巻き起こった。南方熊楠・柳田国男・中山太郎といった強烈な個性で知られる民俗学者の「人柱論」をとおして日本文化の基層を探る。生贄と人柱に関する貴重な研究・資料を収集し、人間存在の実相・本質に迫る資料集。

感想・レビュー・書評

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  • この本を読んで痛感したこと。それは、漢文を読む力と日本の神様の知識があれば、もっともっと理解が深まったということ。今後古文献を自分で読みたいと思っている自分としては、すこしずつ慣れるようにしつつ、解説付きの本も取り入れていくようにしようと思う。

    人身御供、人柱。昔話や民間伝承や現在の物語の題材にもなっているので、意外と馴染みのあるテーマであるように感じたが、歴史上は記録に残りにくいものでもあるので、専門家達の間では大きな議論のテーマであったことが感じられた。
    主に柳田國男(否定派)と加藤玄智・中山太郎(肯定派)の論文が多く、批判も交えているので研究の仕方の勉強としても面白いし、当時の論争が目に見えるように編集してあるので面白く読めた。

    編集者の中山太郎への敬愛を感じるものだった。
    また、編者は論文を読んでいて引用した資料に興味を持ち、論文自体よりその資料により魅力を感じたり、それがなかなか調べられなかったりしたので本書を作ったと。
    確かに論文の多さと構成がよく調べられていて情熱を感じた。

    印象に残った点
    ○隠居制度は姥捨て山から転じてできた制度であるということ。

    ○人身御供は神様に備えるという意味と思っていたが、「神様を食べる」という意味もある。人間を一人神様に選び、その人を殺して食べる風習やキリスト教の葡萄酒とパンがそれにあたるという。そういう見方をするのかと衝撃的だった。

    ○5月に機織りをしないという風習。水の神は女性であり、機を織ると考えられて入り、水の恩恵を最も必要とする田植月だけはその水の神の真似をするようなことはしないと。

    ○仏教や儒教の教えによって生贄の風習をやめたという事例も多い。儒教の教えから、人を捧げるように要求する神様は淫祠邪教の神であるからそのような者に捧げる必要はないと説いてやめさせたと。神様を否定せず説得できる場合もあるのか。

    ○人身御供の名残り転化した風習として、厄を受ける人を決め、沐浴させ、その人を象った土人形を殺す真似をする。その場で死ぬ訳ではないが、5年以内に死ぬとかいう噂になって村にはその期間は捉えられないよう出歩くものがなくなった。

    ○くしなだ姫の考察。櫛になったのではなく、串に刺されたということでは。女性が犠牲になって田の神になるという信仰は多い。オナリ信仰等。

    ○生贄自体は女より男の方が数多いが、なぜ伝承になるのは女が多いのか?それは劇的になるからだけではなく、奴隷、妻妾として略奪する場合もあったからだと。

    ○背景として、山の民海の民が生活物資不足や女が足りないために里に下りて強奪する。襲撃をおそれて村も女物資を用意していた。

    ○皇居の二重櫓から人骨。記録にないから人柱はなかったの論調に対し、今夜妻が孕んだなどと日記に記録する人はふつういない。記録にないからわが子ではないということがないように記録がないから人柱がないということにはならない。(南方熊楠)

    ○古代は王の死後人柱を燃やして立ち上った煙をみて霊が下りてきたといった。そのような幽霊観もあった。

    ○飲料が気化するのを見て、太陽神が飲んでいると古代の人は思った。

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