そして最後にヒトが残った―ネアンデルタール人と私たちの50万年史

制作 : 解説:近藤修 
  • 白揚社
3.42
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本棚登録 : 240
感想 : 15
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  • Amazon.co.jp ・本 (368ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784826901703

作品紹介・あらすじ

地球に存在した20種以上の人類の仲間のなかで、なぜヒトだけが生き延びることができたのか…古人類学の第一人者が数々の新発見とともに語る壮大な人類の物語。

感想・レビュー・書評

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  • 2度目2016.10.12 期限10/26 返却10/18本館と相武台分館

  • FC1a

  • 企画、編集、制作を担当。

  • ノンフィクション

  • 絶滅した人類達、という原題。700万年に及ぶ霊長類の歴史を旅する。現代に生き残ったホモ・サピエンスは優秀だったからか。たとえば他の人類であるネアンデルタール人を駆逐したのか。本書を読むとそうではない。たまたまの偶然によってホモ・サピエンスは生き残ったのである。適切なときに適切な場所にいただけである。農耕が行われてから一万年。それはこの霊長類の歴史の中ではほんの一瞬の時間である。これから人類はどのようになるのか。自分たちの手で自分たちの種を絶滅に導くのか?

  • フィンレイソン『そして最後にヒトが残った』(白楊社、2013)

    スペインの人類学者による研究。

    「現行人類が唯一の生存者=成功者である」という一般の理解が誤りであることを指摘し、近年の研究による証拠を積み上げることで、人類の拡大は数々の集団によってさまざまな実験がなされた結果であり、その中で「たまたま現在まで生き残った」のがわれわれである、との結論に至っています。

    一般に理解されている、アフリカにいた人類が徐々に進出して各地に根付いたという「単一起源説」に対して、著者はさまざまな集団が各地で独自に発展したとする「多地域進化説」に同情的な立場を示します。後者は人種問題に関連して議論を呼んでいるところで、現在でも確定的な答えはないということではありますが。

    この他、「進化」=適者生存、環境に最も適応したものが生き残る、という単純な説明を否定してみせたり、ネアンデルタール人と現行人類との交配を論じたりと興味深いトピックがならびます。

  • 読了。
    現生人類よりも脳容積が大きく、強靭な体躯を誇り、より早く成熟したネアンデルタール人は、生物学的に強者だったのかもしれないが、今日我々が此処に存在するのは、たまたま適切な時に適切な場所にいた為に過ぎない。
    強者ではなく、環境の変化に適応出来たものだけが生き残るという事実は、現代の人間社会にも大きな示唆を与えてくれるのではないか?
    因みに、昨今話題の「DNA鑑定に依る人類とネアンデルタール人の交配/統合の可能性」については、この著者は否定的。

  • 人類の歴史は「弱肉強食」ではなく「適者生存」であった。
    長いしテンポも良くないし読むのは苦痛なんだけれど、50万年の時間と、その間の生存空間を調べると、これまで「常識」とされていたことがかなり誤っていたことがわかる。
    良書だと思う。

  • カバー絵に描かれているのは誰の横顔か? 読み始める前までは、ありし日のネアンデルタール人の子供かなと思っていた。彼らは絶滅し我々は生き残る。どことなく眼差しも憂いを帯びている..。しかし読み終わってあらためて見ると人類に思え、それも繁栄と引き替えに「家畜化」された私たちではなく、著者が未来に希望を託す「偶然」に選ばれた子供たちではないかと思えてきた。彼らは抑圧され崖っぷちに追いつめられているが、生き延びるために必死に創意工夫を重ね、やがては幸運に導かれるが、それを偶然の賜物だと受け止める謙虚さを持つ存在。

    著者は奥さんと一緒に、ネアンデルタール人の終焉の地であるイベリア半島やジブラルタルの洞窟を、10年以上にわたって地道にコツコツと調査しつづける古生物学者である。彼は乏しいデータからの極端な主張には決して与しない。わずかな証拠から行なわれた極端な一般化は、「1万ピースのジグソーパズルの全体図を、たった100ピースから把握した気になるようなもの」として退ける。

    彼は自らの調査やすでに得られている知見を通じて、次のようなまっとうな疑問点から出発している。偶然と気候変動に左右される極度に不安定だったこの世界で、たくさんの人類集団が絶滅したが我々もその運命にあったのではないか? そして、なぜ人類の系譜からは外れる化石は多く出土するのに、二十一世紀まで歩んでこられた我らの祖先の化石が少ないのか? それはひょっとしたら我々の祖先の方が数は少なく、周縁で細々と暮らしていたためではないか?

    著者は、「私たちが今ここにいるのは、たんに適切な時に適切な場所にいたからであって、つまり運が良かったからにすぎない」と言う。間違った時に間違った場所にいたネアンデルタール人たちが姿を消していくのは、時間の問題だった。さらに「この考えに私はいつもはっとさせられ、自分の身の丈を思い知らされるのである」と締めくくる。この部分はかつて小林秀雄が小さい頃に魂を見たとする柳田国男の思い出を引き合いに、「こういう人でなければ日本で民族学は生まれなかった」と感慨と相通ずるところがある。

    人類の起源をめぐってはおかしがちないくつかの過ちがある。
    ・人類がひとつの確固たるルートをたどったとする考えや一本の線で表せるような単純な進化の物語。
    ・人類のあり方はひとつで、世界は同時期に複数の人類種が存在しなかったという考え。
    ・人類の移動経路について大陸を厳密に分割したり、国境線を引いて考えること。
    ・脳の大きさだけで祖先の系統をたどること。
    ・装身具のような現代的行動の証拠にとらわれること。
    ・北東アフリカからオーストラリアへと人類大移動があったいう考え。
    ・人類が海を渡るには船や航海術など新しく高度な技能を必要としたという考え。

  • 何だか、同じようなことを繰り返し述べているようで、くどい印象を受けました。
    「著者の主張は正しいが、その他の主張は誤り」のような書き方も目立ち、独善的な印象もあります。

    結局のところ、この類の話は、証拠が少なすぎて確定的なことを言うのは難しいため、各研究者が、それぞれ、進化のストーリーを描かざるを得ないと思います。
    それらを互いに照合しながら、より合理性のある説明へと統合、あるいは淘汰されていくべきだと思うのですが、それぞれが、自身の主張の正しさを叫んでいるだけのように思えました。

    というわけで、読み終わった後、少し残念な気持ちになりました。
    まあ、知識的には、得るものもなくはなかったのですが。

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