- Amazon.co.jp ・本 (281ページ)
- / ISBN・EAN: 9784826901901
感想・レビュー・書評
-
詳細をみるコメント0件をすべて表示
-
原題は、Frankenstein‘s Cat.
動物に対するバイオテクノロジーの適用分野、事例を紹介するもの。
遺伝子組み換えで発光する熱帯魚(売るため)、有益な成分を多く含む乳を出すヤギ(薬剤、有効成分の大量生産のため)、ペットのクローン(飼い主のため)、事故で失った尾びれの代わりに人工尾びれを装着するイルカ(イルカ自身のため)。
様々な理由で様々なレベルのテクノロジーの介入がある。本書では、それらを一方的に良い、悪いと判断するのではなく、事実として行われていること、それに対する賛否の意見をバランスをとって紹介する。
自然や動物に対する介入自体を否定する立場もあるが、人間の通常の活動が既に動物の生存、環境、進化に影響を及ぼしている現状に於いては、単に気持ち悪い、何となく反対では済まない。自分にとってはどこまでOK、あるいは積極的に肯定する範囲なのか、自分で考えないとダメよねということ。 -
昆虫に電極を埋めて操作する。
ドローンビートル。研究はここまで来ているのか。 -
遺伝子操作、クローン、サイボーグ。バイオテクノロジーの現実を知る。動物と人間の関係について考える。
-
遺伝操作で思いのままの動物を造る、クローンを産み出す、または機器を埋め込んで動物を意のままに操る、そんな事例が紹介されるが、肝はこれらの技術は畢竟人間にも応用出来ること。その点、タイトルに動物と銘打ち、内容もその主題に基づいてはいるとはいえ、テクノロジーが可能にした上記のような世界を我々がどう捉え、どう対応または適応していくのかなど、近い将来の人間のあり方をも問うた著作と言える。個人的にはペットのクローンの話題が琴線に触れたが、仮にその状況に置かれたとしても自分はそれを望まないだろうと思った。例えれば近未来の宇宙旅行と同じで、技術的かつ料金的にそれが可能になったとしても、やるやらないは別の話。だからこそ、選択肢が増えていく今後、より個人の識見が問われる時代になる。自分が許容できない世界が現出したとしても、それに関して無知であるべき理由は無く、そういう好奇心を満たしてくれる良書。
-
貸し出し状況等、詳細情報の確認は下記URLへ
http://libsrv02.iamas.ac.jp/jhkweb_JPN/service/open_search_ex.asp?ISBN=9784826901901 -
著者の楽観的なものの見方がすごい。
新しい技術で実現されることについて、一人ひとりが本当に必要なのか考えることには大賛成。
けれど、研究者たちが、その利用方法も含めて考える想像力がなければ、金儲けが1番の優先になっている世の中だ、起業家や企業家たちに良いように使われてしまうのではないか?というのが心配。 -
刺激的で示唆に富む内容。
単に動物の利用だと片づけられない。
義肢によって動けるようになった動物たち、そしてその技術を人間に応用した例。
もちろんゴキブリに電気信号を送り込んで操作するなど神経系を乗っ取るやり方のように人間のためだけの改造もある。
いろんな境界があって簡単に切り分けられない面倒な問題が散見される。
動物と人間の関係における新たな倫理観の構築はもはや避けられないと思った。 -
テーマによっては今ひとつ。
-
原題は"Frankenstein's Cat ---Cuddling Up to Biotech's Brave New Beasts"
動物(または生物)に科学技術を適用して「改変」することについては、さまざまな立場があるだろう。どちらかというと批判的に捉える人が多く、まったく受け入れられない、許されないと思う人も多いだろう。
本書の著者は、テクノロジーと動物の出会いを、(もちろん「節度」や「配慮」は求めてはいるが)比較的好意的に捉えている。それは端的に、副題に"Cuddling Up"(寄り添う)という句を選んでいることにも現れているように思う。
歴史上、動物を家畜化・ペット化する際に、より乳を多く出すもの、より肉質のよいもの、より性質が温厚であるもの、狩りなどの目的にあったもの等を選び取り続けてきたこともまた、ある意味(消極的な)改変と見なすことはできる。
近年、バイオテクノロジーや電子工学・コンピュータ技術の発展に伴い、人為的に(積極的に)手を加えられた動物が増えてきている。中には従来の家畜化・ペット化の延長線上にあるようなものもあるし、いやそれはちょっと踏み出しすぎではないかと思われるようなものもある。
著者はこうした「新しい」改変動物を追う。
近年の改変の2つの柱は遺伝子改変と工学的な改変である。後者には、大まかに、ハードの部分の補轍(義肢に代表される、身体の欠損した部分を補うもの)とソフトの部分のコンピュータ制御がある。
遺伝子改変では、ペットとして売られる光る魚、ミルク中に薬剤成分を分泌するヤギ、迅速に成長するサケ、ペットや競走馬のクローン作製、クローニングを利用した絶滅危惧種を救う試み等が挙げられる。
工学的改変では、人工尾ビレを装着されたイルカ、触覚への電気刺激で進行方向を変えるゴキブリ(「ロボローチ」)、災害現場の探索にラットを使う試みなどがある。改変という意味では少し拡大解釈だが、海洋動物などにセンサーを付けて行動を探る例もある。これをさらに拡張して、装着された動物自身のデータに加え、温度や位置など周囲環境のデータを集め、総合的に環境を「見える」ようにする試みも進んでいる。
上に挙げたラットの例では、ラットの脳にワイヤを埋めておく。この部位は「快楽」を感じる部位である。ラットに人の臭いを覚えさせ、臭いを探知したら、「ご褒美」として電荷を掛け「快楽」を与える。予備実験で得られた成績は非常によかったという。
同じようにして、地雷探査も実行できるのではないかという提唱もある。ラット自身は体重が軽いため、地雷を検知する過程でその上に乗ったとしても、爆破させる恐れはない。
このように操作されたラット自身に苦痛はなく、寿命もむしろ延びるほどだという。
だがやはり、「倫理的」にどうなのかという点では割り切れなさが残る。
イルカの人工尾ビレは、あるイルカの子の不幸な事故に端を発する。カニ漁の仕掛け縄に絡まり、傷を受けた尾ビレが壊死してしまったのだ。イルカの子は何とか生き延びたが、胸ビレだけを使う無理な泳ぎ方から、脊椎が曲がり始めてしまった。このままでは深刻な障害を負う。ニュースでたまたま知った義肢装具士が、人工尾ビレを付けたらどうか、自分なら作れる、と申し出た。
開発は苦難の連続だった。海中で暮らすイルカの皮膚は濡れて滑りやすい。尾ビレには強い力が加わるため、しっかりした固定が不可欠だ。皮膚を傷つけずに固定することが果たして可能か。試行錯誤の末、通称「ドルフィンゲル」と呼ばれる、粘着性があり、丈夫で伸縮性が高く、かつ熱可塑性(熱を加えると思い通りに成形できる)を持つ素材が生まれた。
この素材は、イルカを助けただけでなく、義肢のアスリートにとっても恰好の素材となった。汗をかいても義肢がずれることもなく、快適に固定が得られる点が人気となった。動物の研究から人にも役立つものが生まれた形である。
イルカの子はまた、義手・義足の多くの子を笑顔にし、励ましてもいる。
だがおそらく、この子は生涯、野生に戻ることはできない。成長する身体に合わせて、尾ビレやゲルに微調整が続けられてもいるし、人工尾ビレを長期使用してどうなるかも不明であるからだ。
動物の視力を矯正したり、記憶を高めたりといった試みもある。人間が技術で生活の質を向上させてきたならば、動物にもその恩恵を分けてもよいのではないか、というわけだ。逆に、タカの視力、イルカの遊泳能力などを人に取り込むことはできないか、という発想もある。
種を越えた生物としての可能性ということか。
ここまで行くとSF的過ぎて、少なくとも近いうちにその域に達することはなかろうと思うが、発想自体がなかなか衝撃的である。
人間のために動物を利用することはどこまで「許される」のか。どこで「線を引く」べきなのか。
動物が不快を感じていなければよいのか。動物にとっての福祉とは何なのか。
クリアカットの答えが得られる本ではない。むしろよくわからなくなる本である。
だが、よくわからない混沌を抱える時代になりつつあることを、豊富な事例と共にまざまざと感じさせる1冊として、一読の価値がある。