ニュートンはなぜ人間嫌いになったのか―神経内科医が語る病と「生」のドラマ

  • 白揚社
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  • Amazon.co.jp ・本 (379ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784826990059

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  • 『古典悲劇と同じように私たちの関係は事件のまっただなかにあり、私の目の前では選ばれた過去のできごとが急速に、最後まで演じられる。そして私たちの短い出会いは終わり、患者は彼または彼女の人生を生きていくべく取り残されることになる』―『プロローグ』

    父の書斎から一冊の本を抜き取る。「ニュートンはなぜ人間嫌いになったのか(原題:Newton's Madness: Further Tales of Clinical Neurology)」生理学や薬学関係の本が収まった棚とは別の書棚から。タイトルから想像されるように、オリバー・サックスの著書とある意味では似た書籍。調べてみると、サックスが代表作「妻を帽子とまちがえた男」を出版したのが1985年、クローアンズが本書を出版したのが1990年。もっとも、サックスは1973年に映画化もされた「レナードの朝(原題:Awakenings)」を既に出版しているし、クローアンズの一作目「なぜ記憶が消えるのか(原題:Toscanini's Fumble and Other Tales of Clinical Neurology)」の出版が1988年であることを考えると、出版社がサックスの著書を意識していたのは間違いないだろう。

    クローアンズの著作にも実際に診察・診療に当たった患者の人間ドラマが描かれていて、言ってみればサックスの著書の二番煎じのようにも思えるけれど、サックスが脳の機能の不思議さに焦点を合わせて患者の症状を機能的にじっくり診察する様子を物語るのに対して、クローアンズももちろん神経内科的な診断を如何に下すかという意味では診察に重点を置いている様子を描くとはいえ、どちらかといえばL-ドーパなどによる治療の有効性(あるいはその限界)に物語が向かいがちだ。こういうと少し極端だけれど、サックスが脳の機能に対して畏怖のようなものを抱いている印象を残すのに対し、クローアンズは医療の限界は認識しつつも還元主義的にいつかこの病は治療可能となることを信じているように読める。サックスの畏怖が自然に対する畏怖に近い感情であると解釈するならば、クローアンズの態度は自然を制御可能と考える都市化の考えに近いとも言えて、養老孟司に傾倒しがちなものとしては、どうしてもサックスにより親近感を覚えてしまうのは否めない。

    とは言え、クローアンズの描く人間の弱さに対する著者自身のまなざしは冷徹な還元主義者のそれではない。度が過ぎたような真剣な診察の態度や患者への質問も、真摯に患者の症状を見極め、出来る限りの治療を施そうとすればこその態度であることは間違いない。達観せずに現実に対してあれこれと手を差し伸べようとするのは、正解が解らない中で次善の策を打ち続ける結果でもある。但し、医者がそれを言ってしまうのは、あるいはタブーなのかも知れないけれど。

    父がこの本を見えるところに置いていたのは、ひょっとすると母のパーキンソン病のことがあって読み返したからなのか。あるいは単に父の趣味としてサックスよりもクローアンズの方が好みだったからなのか、今となっては知る由もない。

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