- Amazon.co.jp ・本 (207ページ)
- / ISBN・EAN: 9784828832791
感想・レビュー・書評
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新鮮だった。この小説が書かれたのは、1990年!
それなのに新しい!
時代を捉える感覚がすごいと思う。
女子高生、裕生が主役。
ちゃんと伏線が貼ってあるかのように、
ひろみ…ちゃんと男の子にも女の子にも
対応しうる名前。
自分のことを僕と呼ぶ、
その理由も、この時期を過ごした女性なら
どこか覚えがあり、共感できるのではないか。
そう、女になりたくなかったんだよね。
大人になりたくない…のとはちょっと違う。
言葉では上手く説明出来ないこの時期を過ごす
女子高生の思いをうまく、表現しているのではないかな。
「かぐや姫って結局、男のものになんないのな」
この一言がすごく大事なことを伝えてくれている。
そう、僕は男のものになりたくないのだ。
自分は自分でありたい。
今もそう思う。
この本を読んだきっかけは、
「女ことばってなんなのかしら」の引用から〜
欧米には女になりたくないという、
微妙で、繊細な、揺れる少女特有の気持ちは
理解されないらしい。
文化の違い?、このあたりも随分意外に思って、
この本を手に取った。
もう一つの短編人魚の保険、
こちらもなかなか鋭い視点というか、
ちょっと人とは違うところをついていて、
この作者の感覚の新しさ、斬新さを感じる。
どっちかと言うとこちらが好きだったかも。
肉体を失った精神は肉体が恋しいが、
精神を失った肉体は、精神が恋しくない…
何だかすごく考えさせられる。
東京はそろそろ終わりかな、
よくわからないけど、なんとなくもう美味しいところは食べちゃったって気がするのよね。
イズミにこんなことを言わせるあたりもすごい!
たぶん、バブルの頃だよね。
時代を読んでいたのか??すごい。
イズミのフィアンセとの約束は、
会うのは60歳になってから。
別々の人生を生きて、60歳になったら一緒になって一緒に死ぬこと。
魂の結婚、近くにはいられないけれど、そのかわり終わりのない関係…
死ぬ間際に始めれば、終わらない。
いつか終わるとわかっていても怖がらずに好きになれる。
そんな約束を頼りに生きるイズミに教えてあげたい。
40年近く経った今、60じゃ人生は終わらない。
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海燕文学新人賞受賞作。
驚いたことに受賞は1990年。
自分は30年以上遅れていると思った。
本書を知ったのは
平野卿子『女ことばってなんなのかしら』。
P54「『僕っ娘』はなぜ現れた」。
「女の子の一人称をキーワードにした
小説といえば、なにをおいても松村栄子
『僕はかぐや姫』をあげないわけには
いきません」
裕生が〈僕〉使う理由は、自分が女の子である
ことは「こっちにおいといて」生きたいから。
理不尽に思える実存への意志でもある。
だが「自分が女であることをいやおうなしに
意識させられる」現実に
「裕生は、自分が考えていた、少年のもつ
『性以前の透明な人間性』は幻想にすぎない
ことを悟る」
幻想なのか…。
「あのね、男とか女とかじゃないと思うのよね。
(中略)つまりね、地球上に四十億人の人間が
いるとするじゃない?恋人は四十億人から
選ばれるの」
「物語の最後で、裕生は両性が共有している
〈わたし〉を選び取る決意を」する。
ジェンダーフリーの素晴らしい話だと思った。
思春期の女の子が〈僕〉を使う解説も
素晴らしかった。
①女らしさの規範から脱して「男の子のように
生きたい」という気持ち
②「少女」から「女」への移行にたいする
恐れやためらい -
2019/4/3(水曜日)
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短編がふたつ入っていた/ 僕はかぐや姫+人魚の保険/ 僕はかぐや姫は、僕っ子のリアルな一面なのだろうか/ 男でなく、かといって女であることも当たり前に受け入れられない女子高校生の選んだ一人称が僕/ とてもかわいい/ ライ麦がほんの少しだけ話題に上ったが、ライ麦的であるともいえるんじゃないかな/ 世の中のシステムに馴染みたくない若者の戦い/ 人魚の保険はバブル期の調子づいた女の感じがよく出ている/ 今の時代にあんな生き方している奴はそんなに多くはないだろうし、いたとしても貧乏だろう/ 優雅な生活送りながらくだらないことに悩んでいる純文学/ しかし未来の日本の予言が凄い/ 1991年(バブル崩壊前)に2015年のことをここまで予測できたのだろうか/ 知識階級と若年層の大量海外脱出(日本で高額税金を払うくらいなら海外へ)・中国の復権・出生率の低下・大和民族優越論の横行(移民問題がこれに拍車)、そして当然とも言えるがバブルの崩壊/ 人魚の保険はバブル崩壊後の世界が想像もつかない時代に書かれていることに、その時代のリアルな独身女のありようがわかってメタ的にも面白い/ 高級マンションに一人暮らしで「この部屋を貸せば食うに困らないからそのお金で一生海外生活をしようかな」的な/
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「すべてのものはいつかは終る。終わらせたくないという、その気持ちが恋だ。」(p.194)
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はやく迎えに来ないと、大人になっちゃうよ。
ピーターパンになりたいと思ったことはあるけど、
それを日本的に言うと、かぐや姫なのかもしれないなと思った。
でもピーターパンもかぐや姫も、最後は恋をする。
絶版なのがすごく惜しいと思う。
目立たないけど、意外とたくさん薄暗くうずまいているこういう青春を、うまく表している。
性を遠ざける青春。
理解できない人にこそ読んで欲しい。 -
表題作の他に「人魚の保険」という作品も入ってました。「僕はかぐや姫」は、多分高校生ぐらいのときに読まないと共感できないんじゃないか、と思いました。「人魚の保険」は、最後がちょっと唐突だった印象。
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主人公は高校3年生の文系女子。読書家。数学ができない。高潔で透明な「僕」という一人称を使う。
わたしとそっくりだなあと思って読み始めたら、ぐさぐさと、鋭く刺さってくる言葉たち。
なんだろう、この感覚。
まるで細かく砕けたガラスの破片に、掌を落ちつけたような。そんな痛み。
レトリックも好き。本当に、言葉を飾りとして使っているところとか。
未だにわたしのこころを捉えて離してくれない作品です。